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長崎地方裁判所 昭和60年(ワ)581号 判決

【昭和六〇年(ワ)第五八〇号事件】

原告

今田智明

宇都重徳

大田利守雄

大渡貞夫

斧澤正徳

河野左郷

佐藤郁雄

田中豊

原三作

廣瀬邇

堀川武治

本田勝雄(亡本田昌幸訴訟承継人)

原告

本田基子

岩崎寛子

本田省三

本田裕二

本田洋一

原告

溝田勝義

宮崎貞雄

宮崎正司

宮谷春松

山口庫松

山口惣次郎(亡山元秋夫訴訟承継人)

原告

山元タエ子

山元陽一郎

山元紀子

秦美奈子

山元裕恵

【昭和六〇年(ワ)第五八一号事件】

原告

享保衛

【昭和六一年(ワ)第二四七号事件】

原告

石川シズエ

鴨川勝子

橋川まり子

右三二名訴訟代理人弁護士

浅井敞

石井精二

小野正章

片山昭彦

金子寛道

小西武夫

古原進

小林清隆

國弘達夫

熊谷悟郎

塩塚節夫

柴田國義

高尾實

龍田紘一朗

中村尚達

中村照美

福崎博孝

松永保彦

水上正博

森永正

山田冨康

山元昭則

横山茂樹

河西龍太郎

本多俊之

宮原貞喜

諫山博

稲村晴夫

岩城邦治

江上武幸

角銅立身

椛島敏雅

立木豊地

谷川宮太郎

馬奈木昭雄

三浦久

村井正昭

山本一行

下田泰

吉田孝美

千場茂勝

小堀清直

鍬田万喜雄

小野寺利孝

安田寿朗

亡本田昌幸承継人原告ら及び亡山元秋夫承継人原告らを除く右原告ら二二名訴訟代理人弁護士

吉田良尚

杉光健治

筒井丈夫

亡山元秋夫承継人らを除く右原告ら二七名訴訟代理人弁護士

鴨川裕司

原告斧澤正徳訴訟代理人弁護士

松岡肇

村井正明

山下登司夫

小宮学

田中貴文

原告河野左郷訴訟代理人弁護士

伊藤誠一

亡本田昌幸承継人原告ら及び亡山元秋夫承継人原告ら一〇名訴訟代理人兼弁護士熊谷悟郎訴訟復代理人弁護士

原章夫

亡本田昌幸承継人原告ら及び亡山元秋夫承継人原告ら一〇名訴訟代理人兼弁護士熊谷悟郎、同福崎博孝訴訟復代理人弁護士

小林正博

弁護士熊谷悟郎訴訟復代理人弁護士

井上博史

椎名聡

小野寺利孝

彦坂敏尚

【全事件】

被告

日鉄鉱業株式会社

右代表者代表取締役

北嶋千代吉

右訴訟代理人弁護士

山口定男

関孝友

三浦啓作

松崎隆

奥田邦夫

主文

一  被告は、別紙一原告別認容金額一覧表の「原告」欄記載の各原告らに対し、同表「認容金額(円)・合計」欄記載の各金員及び右各金員に対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項記載の金員のうち、前同表「仮執行認容額」欄記載の金額の限度において、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告ら(但し、原告番号一五、同二三、同二五の原告らを除く。なお、本件においては、訴えの取下等により、原告番号九、同一〇、同二二は欠番である。)に対し、各金三三〇〇万円及び右各金員に対する昭和六一年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告亡本田昌幸訴訟承継人本田基子に対し金一六五〇万円、同岩崎寛子、同本田省三、同本田裕二、同本田洋一に対し各金四一二万五〇〇〇円、及び右金員に対する昭和六一年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告亡山元秋夫訴訟承継人山元タエ子に対し金一六五〇万円、同山元陽一郎、同山元紀子、同秦美奈子、同山元裕恵に対し各金四一二万五〇〇〇円、及び右各金員に対する昭和六一年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告は、原告石川シズエに対し金一一〇〇万円、同鴨川勝子、同橋川まり子に対し各金五五〇万円、及び右各金員に対する昭和六一年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告が経営していた長崎県西彼杵郡伊王島等所在の各炭鉱の従業員として炭鉱労務に従事し、じん(塵)肺に罹患した者又はその相続人としての原告らが、被告に対し、雇用契約上の安全配慮(健康保持)義務の不履行に基づく損害賠償を請求する事案である。

二  争いのない事実等

1  当事者

(一) 被告は、昭和一四年五月、鉱業・鉱物加工業を主要な目的として設立された株式会社であり、同年、二瀬鉱業所及び池野、神田、御橋、小佐々、矢岳の各炭鉱を有するに至る北松鉱業所を設立、右各炭鉱を開発経営し、昭和二九年九月三〇日には嘉穂長崎鉱業株式会社(以下「嘉穂長崎鉱業」という。)と合併、伊王島鉱業所も経営するようになったが、右各炭鉱の終掘により、同三八年二瀬鉱業所を、同四〇年北松鉱業所を、同四七年伊王島鉱業所をそれぞれ閉山した(以下、伊王島鉱業所、北松鉱業所及び二瀬鉱業所を「本件各鉱業所」という。)。

(二) 原告今田智明、同宇都重徳、同大田利守雄、同大渡貞夫、同斧澤正徳、同河野左郷、同佐藤郁雄、同田中豊、同原三作、同廣瀬邇、同堀川武治、同本田勝雄、元原告亡本田昌幸、原告溝田勝義、同宮崎貞雄、同宮崎正司、同宮谷春松、同山口庫松、同山口惣次郎、元原告亡山元秋夫、原告享保衛、亡石川清文(以下、右二二名を「原告ら元従業員」という。)は、被告との雇用契約(但し、伊王島鉱業所での稼働については、昭和二二年から同二八年までは、長崎鉱業株式会社(以下「長崎鉱業」という。)との、同二八年から同二九年九月までは、嘉穂長崎鉱業との雇用契約)に基づき、別紙二原告ら元従業員就労状況一覧表記載の就労炭鉱において、概ね、同表記載の就労期間に、同表記載の作業に従事した(別紙二記載の原告番号二、五、八、一三ないし一五、一七、一九ないし二一、二三ないし二五の各原告ら元従業員の就労炭鉱、就労期間、就労作業については、当事者間に争いがない。甲第一三八号証、第一一〇一号証の二、三、五、第一一〇三号証の七、一一、第一一〇四号証の二、八、第一一〇六号証の二、五、八、第一一〇七号証の五、第一一一一号証の二、一七、第一一一二号証の七、八、第一一一六号証の二、七、九、第一一一八号証の四、乙第一九六号証の二、第一九八号証の二、原告佐藤郁雄本人(第一回)、同原三作本人(第一回)、弁論の全趣旨)。

(三)(1) 元原告亡本田昌幸は、平成元年九月一日、死亡した。原告亡本田昌幸訴訟承継人本田基子は昌幸の配偶者、同岩崎寛子、同本田省三、同本田裕二及び同本田洋一は昌幸の子である(弁論の全趣旨。なお、昌幸死亡の事実については当事者間に争いがない。)。

(2) 元原告亡山元秋夫は、平成六年二月二二日、死亡した。原告亡山元秋夫訴訟承継人山元タエ子は秋夫の配偶者、同山元陽一郎、同山元紀子、同秦美奈子、同山元裕恵は秋夫の子である(弁論の全趣旨。なお、秋夫死亡の事実については当事者間に争いがない。)。

(3) 亡石川清文は、昭和五一年六月二〇日、死亡した。原告石川シズエは清文の配偶者、同鴨川勝子、同橋川まり子は、清文の子であり、清文には他に二人の子がある(甲第一三〇一号証の三、一九、弁論の全趣旨)。

(以下、(三)記載の原告ら一三名を「遺族原告」という。)

2  原告ら元従業員が就労した各炭鉱(以下、本項記載の炭鉱ないし炭坑を「本件各炭坑」という。)の概要(甲第一五七、第一六四号証、第一六五、第一六七号証の各一、二、乙第一号証の一、二、第九〇、第九一号証、第一五八号証の一、第一七三号証、証人山田政次、同前嶋貞幸、原告原三作本人(第二回)、弁論の全趣旨)

(一) 伊王島鉱業所伊王島坑

伊王島坑は、昭和一六年二月一一日に長崎鉱業により開坑され、同一八年三月二〇日着炭、翌一九年八月ころから出炭を開始した。従業員数は、開坑当初、職員・坑内夫・坑外夫あわせて一三七名であったが、同二三年には一〇〇〇名以上となり、同二八年からは、嘉穂長崎鉱業が、同二九年一〇月からは被告が経営にあたった。

炭層は厚層で、稼行鉱区は四鉱区あり、伊王島と隣接する沖の島及びその周辺海域にまたがって所在していた。通称雪卸・竹卸・三尺卸・花卸を含む、灰の脇断層と第一断層に囲まれた第一区では、本卸・連卸が坑口から海抜マイナス二〇〇メートルの五尺層まで掘進され、そこから各区域採掘のために水平幹線坑道である富士坑道が展開された。第一区の坑道は幹線坑道、片盤坑道とも沿層坑道であり、昭和三〇年六月ころ終掘となった後、同四七年三月の閉山前一年間程度、残炭払いがなされた。第二区は、第一断層を境にして第一区の西側に隣接しており、更に西側の「第二断層」と北側の灰の脇断層によって区画され、通称第三卸・第四卸・第五卸がこれに含まれた。この区域では、三尺層を沿層の卸及び片盤坑道で採掘し、それより下層の炭層は、富士坑道から岩石中に四卸を掘進し、片盤坑道も岩石中に展開する盤下坑道方式で、同三〇年四月ころから同三九年ころにかけて採掘し、一旦終掘した後、閉山前数年間残炭払いがなされた。第三区は、第二区の西側の第二断層を境にその西側に位置し、通称一一卸がこの区域に含まれ、同三五年ころから同四六年ころまでの間採掘が行われたが、出水により五尺層は採炭できなかった。第四区は、第一区、第二区の北側の灰の脇断層以北の区域に当り、同四三年五月ころから閉山直前まで採掘された。海面からの深度は、二区、一区、三区、四区の順に深くなり、最深部は、ほぼ海抜マイナス六〇〇メートルであった。

(二) 北松鉱業所

(1) 御橋鉱

御橋鉱は、昭和一三年四月、日本製鉄株式会社(以下「日本製鉄」という。)が買収したもので、日本製鉄の出資により被告が設立された後、被告により同一六年一二月一日から開坑に着手された。採炭は同一八年ころから開始され(松浦三尺層を採炭した。)、これを御橋一坑と称した。御橋二坑は、同二二年八月ころ開坑され、採炭開始は同二八年ころであり、御橋二坑の採炭開始に伴って一坑の労働者が二坑に移ったが、同三六年ころには、一部の労働者が再び一坑で稼働した。御橋一坑は同三七年終掘し、御橋鉱は同四〇年二月に閉山した。

(2) 北松鉱業所には、他に池野鉱、神田鉱神田坑(以下「神田坑」という。)、鹿町鉱小佐々坑(以下「小佐々坑」という。)、矢岳鉱矢岳坑(以下「矢岳坑」という。)があった。なお、御橋鉱も含め、北松鉱業所各坑の炭層は、薄層であった。

池野鉱と神田坑は、昭和一四年から被告の経営となり、柚木三枚層あるいは松浦三尺層の粘結炭を採炭して、池野鉱は同二〇年ころ、神田坑は同三六年ころ、それぞれ終掘した。

小佐々坑は、一坑が被告が経営を開始した昭和一四年より前の同一二年ころ、二坑が同三二年ころ開坑され、大瀬五尺層あるいは大瀬三枚層の強粘結炭を採掘し、それぞれ同三五年、同三六年に終掘した。

矢岳坑は、昭和二〇年から被告が経営するようになり、大瀬五尺層の強粘結炭を採掘して、同三七年七月、終掘した。

(三) 二瀬鉱業所

二瀬炭鉱は、福岡県飯塚市と嘉穂郡穂波町にまたがって所在した炭鉱で、大正末期には年間出炭量が一〇〇万トンを超す大規模な炭鉱であったが、昭和九年二月、日本製鉄二瀬鉱業所となり、被告設立に伴って、被告二瀬鉱業所となった。同三〇年一〇月稲築坑、同三五年五月高雄一坑、同三六年九月潤野坑が閉山し、同三七年一二月には中央坑と高雄二坑の直営稼業が廃止され、高雄炭鉱株式会社に経営を移譲、同三八年一月一五日に二瀬鉱業所は廃止された。

3  原告ら元従業員のじん肺法等に基づく行政上の決定

亡石川清文を除く原告ら元従業員は、それぞれ、じん肺法(昭和三五年三月三一日法律第三〇号。以下「旧じん肺法」という。)又は労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律(昭和五二年七月一日法律第七六号)によって改正されたじん肺法(以下「改正じん肺法」という。)に基づき、別紙三管理区分行政決定経過一覧表記載のとおりの行政上の決定を受けた(甲第一一〇一、第一一〇二号証の各一、第一一〇三号証の一、五、一〇、第一一〇四ないし第一一〇八号証の各一、第一一一一号証の一、第一一一二号証の一、五、第一一一三号証の一、三、第一一一四、第一一一五号証の各一、第一一一六号証の一、五、八、第一一一七、第一一八号証の各一、第一一一九号証の一、六、第一一二〇、第一一二一号証の各一、第一一二三号証の一、三、第一二〇一号証の一、原告享保衛本人(第一回)。なお、亡石川清文が、改正じん肺法等に基づく行政上の決定を受けていないことは当事者間に争いがない。)。

三  争点

1  被告の健康保持義務あるいは安全配慮義務の具体的内容

(原告ら)

(一) 原告ら元従業員が就労していたのは、ほとんどが地底の狭隘な坑道で、通気が悪く、高温多湿であったが、他方、天盤、側盤、下盤等は、粉じん(塵)の飛散、浮遊が起こらない程には湿潤ではなく、概ね乾燥していた。

(二) 原告ら元従業員が従事していた掘進作業、採炭作業、仕繰作業等各種坑内作業は、いずれも大量の粉じんを発生させる作業であり、その発じん(塵)量は、乾式さく岩機の使用や機会採炭により著しく増加した。発生した粉じんは空気中に浮遊、堆積し、堆積した粉じんは作業過程で再び空気中に拡散し、原告ら元従業員は、多量の粉じんが浮遊している中で作業を行っていた。

坑外作業でも、選炭作業における炭チップラー・硬チップラーの操作は粉じんの発生を伴うものであった。

(三) 炭鉱でじん肺が発生することは明治時代から医学界、炭鉱業界で知られており、炭肺の原因が炭坑内の粉じんであることもこのころから認識されていた。大正時代に入ってからは、官庁等によりじん肺の調査研究が行われ、大正末期頃には鉱山鉱夫のじん肺被害が社会問題となっていた。また、昭和に入ると日本鉱山協会や石炭鉱業連合会等の業界誌が発行されるようになり、この中でじん肺に関する調査研究の成果が取り上げられていた。これらの状況のもとで、被告は、遅くとも昭和一五年ころには炭鉱でじん肺が発生するおそれのあることを認識し得たし、認識していた。

そして、じん肺に関する情報はその病理、防止対策にも言及していたから、被告は、遅くとも右時期にはじん肺防止対策についての知識を得ていたし、その防止のための基本的対策も遅くとも右時期には確立されていたから、これらの対策を実施することにより、原告ら元従業員のじん肺罹患を回避することも可能であった。

(四) 前記(一)、(二)記載のように大量の粉じんが常時発生している環境で労働者を就労させる使用者であり、かつ炭鉱でのじん肺発生の可能性を認識していた被告は、その違反が、単に損害賠償義務を生ぜしめるにすぎない安全配慮義務ではなく、雇用契約上又は信義則上認められる使用者の本質的義務として、労働災害や職業病罹患の危険にさらされる地位から自由でありえない労働者に対し、作業現場での散水(「撒水」と同義に使用する。)、湿式さく岩機や乾式さく岩機用収じん機の使用等粉じんの発生を抑制する措置をとる義務、有効な防じん(塵)マスクの無償支給や適切な坑内通気の確保等労働者の粉じん吸入を回避するための措置をとる義務、労働者の健康管理を徹底し、じん肺罹患者の発生を防止するとともに右疾病の早期発見と治療並びに作業転換等必要な措置をとる義務、以上の義務の履行(じん肺対策)を有効に行うため、労働者にじん肺の危険性や発じん抑制、粉じん吸入回避措置の重要性を認識させるための安全教育を行う義務、粉じん曝露時間の規制等労働条件を改善する義務等の健康保持義務ともいうべき義務を負っていた。

(五) このような被告の健康保持義務は、労働者の作業内容・作業方法・作業環境、じん肺に対する医学的・社会的知見、じん肺に関する法令等の変遷に関わらず、常に労働者の最も根源的な基本権ともいうべき生命・身体・健康の安全を保護し、確保するために必要かつ可能な最高度のすべての組織的・体系的な総合的諸措置をとるべきことを内容とする高度の義務であり、労働者が被告における就労によって、生命・身体・健康にいかなる危害も受けることがないように万全の措置をとる義務、すなわち、じん肺等の職業病を発生させないという「結果債務」である。

(六) なお、長崎鉱業及び嘉穂長崎鉱業も、原告ら元従業員との雇用契約に基づき、以上と同様の健康保持義務あるいは安全配慮義務を負っており、被告は、合併により右義務を承継した。

(被告)

(一) 伊王島炭鉱は、海底炭鉱であるため採掘による亀裂からの透水・浸水等が多く、岩石に含まれる化石水も加わり、坑内は極めて湿潤で、多種作業による粉じんの発生は少なく、発生した粉じんが飛散することもなかった。また、同炭鉱は、ガスの発生が多い甲種炭鉱であったことから、爆発防止の目的からも通気が十分に確保されていたから、これにより坑内が高温になることもなく、粉じんも速やかに排除されていた。

他の本件各炭坑も、概ね湿潤で、通気も確保されていた。

(二) 炭鉱においてけい(珪)肺が発生することを認識し得たのは、石炭鉱山保安規則(以下「炭則」という。)の改正により、けい(珪)酸区域制度の設けられた昭和二五年ころであり、このころでさえも、岩石に遊離けい酸分を多く含む区域でその可能性があると認識されていたにとどまり、遊離けい酸分の少ない伊王島坑においては、同三一年ころまでけい肺患者が発生していなかった(他の本件各炭坑においても、けい肺罹患者が発見されたのは、昭和二〇年代後半であった。)こともあって、同坑の外、本件各炭坑においてけい肺が発生するとは明確に認識できなかった。炭鉱における粉じんが一般に危険性を有することが医学界の水準的知見になったのは第二次世界大戦後(以下「戦後」という。)であり、遊離けい酸分の少ない炭じん(塵)や一般の粉じんの有害性は同三〇年ころから指摘され始めたにすぎないから、被告が、本件各炭坑で稼働していた原告ら元従業員らに対し、じん肺の発生を予見し、右疾病の罹患という結果を回避すべき義務を負うのは、早くとも同二〇年代後半からである。

(三) 使用者が負う雇用契約上の安全配慮義務の具体的内容は、それが問題とされる時代の医学知見の水準、法令や行政指導に基づく産業界の実態、慣行、衛生工学技術等により定まるものであり、当時の医学知見において、結果発生の予見可能性がなく、あるいは技術の未発達等により、結果回避の可能性がない場合には、安全配慮義務の不履行があるということはできない。

(四) ところで、坑内作業が不可欠である石炭鉱業は、他の産業と異なる危険防止の必要性があることから、鉱業法制上、特に鉱山保安の行政監督が厳重に施行され、炭則等、その実施基準は各時代における鉱山技術、衛生工学技術の最高水準であった。したがって、右実施基準を尽くすことが、鉱山衛生に関する雇用契約の付随的義務としての安全配慮義務の履行というべきである。

また、石炭産業は、現代産業において不可欠の基幹産業であり、国の石炭政策の下に遂行されてきたものであるから、安全又は衛生上の危険の故をもって、その事業を停廃することができないのはいうまでもなく、前記基準を超えるものは安全配慮義務の範囲を超えるものであり、使用者が履行義務を負うとすることはできない。石炭産業は、社会的に有益ないし必要な行為で、他の法益を侵害するおそれを伴うが、一定の範囲内では合法と認められる許された危険のひとつなのである。

更に、労働基準法や労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)が職業病を法定し、使用者に補償義務を課している趣旨は、特定の業務遂行に伴い不可避的にある種の疾病が発生することが予想されるけれども、右業務の必要性から、労働者の就労を認める代わりに、使用者に無過失責任による補償を行わせるというものであり、このことからも、職業病については、使用者が法規で定められた安全基準、衛生基準を遵守し、社会通念上その発生を防止するために妥当と考えられる措置をとった場合には安全配慮義務違反は成立しないと考えるべきである。右法規が、一定の補償額を定めている趣旨は、使用者が一定額の補償をすれば、原則として、それ以上の責任を問わないものとし、使用者の責任の限界を明らかにしたものというべきである。

2  被告の健康保持義務あるいは安全配慮義務違反の有無等

(原告ら)

被告及び長崎鉱業、嘉穂長崎鉱業(以下、本項において、右三社を単に「被告」ということもある。)は、昭和一五年から同四七年ころまでの間、本件各炭坑のいずれにおいても、以下のとおり健康保持義務の履行を怠った。

(一) 散水設備は、鉱車に石炭を積み込む場所等極一部に存したのみで、掘進、採炭等の作業現場には散水設備がなく、また、一部で行われていた散水も炭じん爆発防止目的(以下「防爆目的」という。)のものであり、じん肺対策としての発じん防止には不十分なものであった。

(二) 湿式さく岩機は、乾式さく岩機に比べて発じん量が少ないが、被告は本件各炭坑に湿式さく岩機を導入しなかった。

(三) これらにより、著しい発じんがあったにもかかわらず、被告は、収じん(塵)装置の設置や適切な坑内通気の確保を行わず、局所排気のための風管、局部扇風機はほとんどその機能を果たしていなかった。

(四) 被告は、二瀬鉱業所では昭和三〇年ころ、他の本件各炭坑では概ね同三〇年代後半に、一部又は全部の坑内作業従事者に防じんマスクを支給したが、支給された防じんマスクは、炭坑労務のような重労働を行う場合には継続して使用することができなかったし、性能の落ちた防じんマスクの交換に所定出炭量の達成を条件とするなど、その管理・支給体制は整備されていなかった。また、被告は、右支給の際、防じんマスク着用の目的やその必要性についてなんら説明を行わず、労働者に右マスクの使用を徹底しなかった。

坑外作業である炭又は硬チップラーによる選炭作業等は、炭じん爆発防止の配慮が行われていた坑内よりもじん肺対策が遅れ、肺じんマスクは昭和四二年ころになってようやく支給された。

(五) 被告は、昭和三五年ころまで一般健康診断しか行わず、じん肺罹患者の早期発見と治療のための対策をとらなかった。同年以降は、けい肺ないしじん肺健康診断が継続的に行われたが、医師による診断は初回のみであったし、診断結果は労働者に通知されず、じん肺罹患が判明した労働者に対しても作業転換、労働時間短縮等の処置はとられなかった。

(六) 被告は、労働者に粉じん吸入によるじん肺罹患の危険性を認識させるための教育を行わなかったばかりか、粉じんの有害性を故意に隠蔽した。

(七) 被告における賃金体系は、請負給が賃金の七割を占めていたため、労働者は過重労働を強いられ、疲労による身体の抵抗力の低下によりじん肺に罹患しやすい状況に追いやられたが、被告は、労働時間を適切に調整することをしなかった。

(八) 原告ら元従業員が稼働していたころのじん肺及びその防止策に関する医学的・社会的認識に照らすと、以上のような、被告の安全配慮義務の懈怠は、故意に基づくものであるとさえ解され、少なくとも過失がある。

(被告)

被告は、昭和二五年ころに炭鉱でけい肺が発生する旨の、同三〇年ころに炭じんも有害である旨の認識を得てからは、以下のとおり、原告ら元従業員の作業環境、作業内容に照らし、当時の技術水準からみて、必要にして十分なじん肺対策を行い、安全配慮義務を尽くしてきた。

(一) 被告は、伊王島鉱業所を経営するに至った昭和三〇年ころから湿式さく岩機の使用を開始し、このころには、散水管が掘進箇所まで敷設されるようになり、さく孔前や発破前は十分な散水が行われていた。散水の目的は、当初は防爆であったが、炭じんが人体に有害であることを認識してからは、じん肺対策としても行っていた。

また、機械採炭においては、いずれの採炭機械も散水設備を伴っており、他の散水等と併せて、発じんを抑制するに十分であった。

御橋鉱においても、昭和二七年ころから、岩石掘進箇所で湿式さく岩機の使用及び散水を始め、他の本件各炭坑においても、発じんを抑制するに十分な散水等を行っていた。

また、チップラーによる選炭作業では、坑内での散水により、炭や硬が湿潤であった上、右作業でも散水を行っていたので、発じんは抑制されていた。

(二) 伊王島坑は、甲種炭鉱であったことから、適切な風管延長や局部扇風機の使用により坑内通気は十分確保されており、(通気速度毎分一五メートルないし二〇メートル)、発生した粉じんは速やかに排除され、粉じん管理の目安である空気量一CCあたり一〇〇〇個を下回っていた。他の本件各炭坑においても、通気は十分確保されていた。

(三) 伊王島坑では、昭和三〇年ころには、衝撃式さく岩機を使用する掘進作業員に、御橋鉱においては、同二四年ころから掘進作業員に、小佐々坑、矢岳坑においては、同二八年には採炭作業員全員に、いずれも防じんマスクが支給され、その後、逐次支給対象の範囲が広げられ、仕繰作業員等にもマスクが支給された。マスクの交換については所定出炭量の達成を条件としたことはなく、交換期限は原則として一年と定められてはいたが、現物を持参すれば、いつでも交換に応じるという柔軟な運用を行なっていた。防じんマスクの着用の必要性については、その支給時及び交換時に十分教育を実施していた。

マスクの性能については性能試験を依頼するなど改善に配慮し、伊王島坑では昭和三七年ころからサカイ式一一七号を使用し始めた。

(四) 中食時発破・上り発破を行っていたことから、作業員が発破による粉じんに曝露することはなかった。

(五) 被告は、本件各炭坑において、労働基準法に基づく定期健康診断を行っていたし、けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法(以下「けい特法」という。)や旧じん肺法により、健康診断を行うよう定められたころからは、法規に従った健康診断を行い、その結果に基づき、作業転換等の措置も採っていた。

(六) じん肺については、直接、作業を行う労働者に対し、新聞、坑口掲示等による教育伝達、繰込時に係員が行う保安教育、保安懇談会、保安担当者の巡視時の機会教育等により、徹底した教育を行っていた他、係員に対しても、右労働者に対するじん肺教育を行うに必要な知識を与える教育等を行った。

(七) 賃金算定の基礎となる協定賃金における固定給、能率給(請負給)の比率は、当初、四対六であったが、年々改訂されて昭和四七年ころには七対三となっていたから、能率給を稼ぐために労働者が過重労働になったことはない。

(八) 仮に、被告に安全配慮義務に反する事実が認められるとしても、被告設立の昭和一四年五月から第二次世界大戦終結の同二〇年八月まで、及び右終戦時から同二三年ころまでの人的、物的資源の窮乏、国家統制又は占領政策下という社会情勢に照らせば、右義務の履行として結果回避措置をとることは一民間企業にすぎない被告には不可能であり、期待可能性がなかった。

右のような社会的情勢は、安全配慮義務違反の有無の判断においても考慮されるべきであり、当時の社会情勢からみて、使用者の責に帰し得る程、極端に劣悪な労働条件と評価し得る特段の事情が認められる場合に限り、右義務違反が認められるとされるべきである。

3  原告ら元従業員の損害

(原告ら)

(一) じん肺は、各種粉じんの吸入により生ずる肺疾患であり、かつ生体の免疫系統に異常を招来する免疫疾患であり、呼吸器及び免疫系統という生命維持に不可欠の器官ないし機構を破壊するものである。じん肺による呼吸器障害は慢性に進行するため、罹患者が粉じん職場を離れた後も症状が進行し、一旦進行した肺の線維増殖性変化は不可逆的であり、これに対する治療法は存在しない。

また、じん肺は、肺結核、肺炎、続発性気胸等の各種感染症や、肺癌等死亡率の高い合併症を頻繁に伴う。

(二) じん肺に罹患すると、肺機能の低下や咳等の自覚症状により日常の行動が著しく制約され、労働も不可能となるが、じん肺が治療法のない進行性の疾病であることから、じん肺罹患者の死に対する恐怖もその行動の制約を招くのであり、これにより右罹患者は経済的に困窮し、経済的困窮と看護負担から家庭の平穏も失われ、患者自身の精神的苦痛は、じん肺罹患、ついには死に至るその悪化に対する恐怖ばかりではなく、これらにより更に増大する。

(三) このように、じん肺罹患により生ずる損害は、身体的苦痛、精神的苦痛、労働が不可能になることによる経済的困窮、それらに起因する家庭破壊、人生破壊等多岐にわたり、またそれらが相互に関連して相乗的に損害を拡大させている。このようなじん肺罹患による損害につき賠償を求める場合、従来のように、逸失利益や個々の治療費・付添費・入院費、入院雑費、交通費、家屋改造費その他の項目別に損害を算定し、それらを合算した財産的(物質的)損害と狭義の精神的損害(慰謝料)を併せて請求する「個別算定方式」によることは、じん肺被害の実態を正しくとらえた請求方法にはならないのであり、右損害は総体として包括的にとらえられなければならない。

また、進行性の疾患であるじん肺においては、症状固定という概念がないことからも、これを前提とする「個別的算定方式」によることは不可能である。

(四) また、(一)で述べたじん肺の特質から、じん肺に罹患した者は、現在の症状に関わらず、いずれ重篤な症状に陥ることが確実に予定されているのであるから、確実な重篤化も予め前記総体としての損害に含め考慮されなければならず、原告ら元従業員に生じた損害は、各人の現在の病状の程度に関わらず、同一である。

すなわち、原告ら元従業員は、重篤な呼吸器障害から循環器障害をも引き起こす肺疾患としてのじん肺に罹患しているという点で一致しており、更には、粉じん曝露による免疫異常の可能性にさらされている。各原告ら元従業員の現在又は死亡時の病状は、その軽重、質的側面に相違があるが、右健康被害はいずれの原告ら元従業員にも生じ得るのであり、したがって、健康被害が生じていること、あるいは生ずるに至る高度の蓋然性があること自体が重大なじん肺被害であり、現在における症状の軽重によって、被害の軽重が定まるものではないのである。

原告ら元従業員がじん肺罹患により被ったこれら財産的損害及び非財産的損害の総和は、それぞれ三〇〇〇万円をはるかに上回るものであるところ、原告らは右全損害の一部の賠償として、原告ら元従業員一名につき、各三〇〇〇万円の損害賠償を請求するものであるが、原告らはいずれも、本件訴訟の他に、被告に対し、その名目のいかんを問わずじん肺罹患に基づく損害の賠償を請求することはない。

(五) 本件各炭坑が閉山されている今日、本件各炭坑の労働環境、原告ら元従業員の労働実態、それによる粉じん発生の実態、被告のじん肺対策の懈怠を主張、立証するための資料収集、及び専門性を有するその内容の把握には相当な労力を要し、また、じん肺の発生の機序、特質等についての理解も本件訴訟活動には不可欠である。このような事情に照らせば、原告ら元従業員の原告ら訴訟代理人らに対する弁護士費用は、原告ら元従業員一人当り三〇〇万円を下らない。

(被告)

(一) じん肺罹患者は、適切な運動療法や呼吸訓練を継続することにより、肺機能を回復させ、息切れ等の臨床症状を軽減させることが可能であり、この意味において、じん肺は可逆的であるし、肺内に吸入された粉じんによるじん肺症状の進行は、右粉じんの量・質等によりその程度が定まり、決して無限に進行するものではない。

また、改正じん肺法等の規定する合併症それ自体は、適切な治療により治癒するものであるし、右治癒により、肺機能の著しい障害はなくなる。

(二) 人の肺には予備機能があり、一部の肺胞が線維化してその機能を停止しても、肺全体の機能には支障を来さないから、線維化等の病理的変化が直ちに臨床症状につながるものではない。このようなことから、じん肺罹患者であれば直ちに就労が不可能となるものではなく、意欲によっては就労は可能であるし、日常生活においても、同年齢の非罹患者に比べて、特に制約を受けることはない。

特に、合併症に罹患していない管理二又は管理三相当のじん肺罹患者は、じん肺による著しい肺機能障害を有していない者であり、その他の健康障害も発生しておらず、したがって、労働能力も喪失していないから、賠償されるべき損害は発生していないというべきである。

(三) なお、原告ら元従業員の具体的症状の程度については、合併症罹患中の肺機能障害は、合併症の影響によるもので、じん肺自体の進行による肺機能の低下とはいえず、したがって、この間の肺機能の低下をもって、じん肺の症状の程度を定めることはできないこと、改正じん肺法に基づく肺機能検査の一次検査は被験者の態度により検査結果が左右される可能性が大きいため、肺機能障害の程度を定めるにあたっては、右肺機能検査の二次検査の結果が重視されるべきであること等を考慮すべきであり、単に管理区分の決定を受けていることを理由として、症状の程度を定めるべきではない。

4  他粉じん職歴による責任の限定

(被告)

(一) 複数の行為者の行為が場所的同一性、時間的同一性を有し、共同不法行為が成立する場合においても、一部の原因を与えたにすぎない個々の行為者が全責任を負うとすることは妥当ではないことからすると、原告が複数の粉じん職場において稼働した場合のように、違法行為であるとされる行為に場所的、時間的同一性が認められない場合には、原告らが、被告が損害の一部に原因を与えたことを主張、立証しただけでは足りず、全損害が被告の行為によってのみ生じたことを主張、立証しない限り、被告に全損害の賠償責任を負わせることはできないとすべきであり、債務不履行責任である安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求に、不法行為に基づく損害賠償に関する規定である民法七一九条一項後段を類推適用すべきではない。

そして、安全配慮義務違反という債務不履行に基づく損害賠償債務は、可分債務であるから、複数の粉じん職場における稼働経験を有するものに対する賠償義務は、原告らによる特段の主張、立証のない限り、民法四二七条により、全使用者が平等の割合で負担し、その負担部分についてのみ賠償責任を履行すれば足りるところ、原告ら元従業員のうち、別紙四他粉じん職歴一覧表一記載の者は、同表記載の粉じん職歴を有しているから、被告が負担すべき損害の割合は、同表「被告の負担割合」欄記載の割合に限定される。

(二) 仮に、本件損害賠償債務が可分債務であると認められないとしても、稼働期間の長短によって複数使用者の責任割合を定めるべきであり、その場合に被告が負担すべき割合は、別紙五他粉じん職歴一覧表二の「被告の負担割合」欄記載のとおりである。

(原告ら)

複数の粉じん職場における稼働歴のある労働者に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務は、不可分債務であり、また、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求においても、民法七一九条一項後段が類推適用されるべきであるから、被告が、原告ら元従業員のじん肺罹患と被告の債務不履行との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証しない限り、被告は原告ら元従業員の損害の全部を賠償すべき責任を負うのであり、被告の主張する責任の限定は認められるものではない。

5  消滅時効の成否、除斥期間の経過等

(被告)

(一) 本件各請求は、原告ら元従業員が被告との間で締結した雇用契約上の安全配慮義務不履行を理由とする損害賠償請求であるところ、債務不履行による損害賠償請求権は、本来の債務と同一性を有するから、右損害賠償請求権の消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時の最終時点から進行するというべきであるところ、右最終時点は当該従業員らの退職時であるから、消滅時効の時効時間は右退職時から進行する。

殊に、亡石川清文については、同人が、退職時に自己がけい肺ないしじん肺に罹患していることを認識しており、退職日には損害賠償請求権を行使することが可能であったことからも、時効期間は退職時から進行するというべきである。

そして、被告が原告ら元従業員と雇用契約を締結することは商行為であることから、右時効期間は、商法五二二条により五年間であり、そうでないとしても、民法一六七条一項により一〇年間である。

原告ら元従業員の被告退職日は、左記のとおりで、いずれも、退職日から本件提訴日(亡石川清文の遺族原告については昭和六一年六月一八日、他の原告については同六〇年一二月二六日)までの間に、一〇年以上経過しているから、原告ら元従業員全員について、消滅時効が成立している。

(1) 原告今田智明、原告宇都重徳、同大田利守雄、同大渡貞夫、同河野左郷、同佐藤郁雄、同田中豊、同廣瀬邇、同堀川武治、同本田勝雄、元原告亡本田昌幸、原告溝田勝義、同宮崎正司、同宮谷春松、元原告亡山元秋夫、原告享保衛   以上一六名

昭和四七年三月二三日

(2) 原告 斧澤正徳

昭和四五年 四月一五日

(3) 原告 原三作

昭和三七年 四月一三日

(4) 原告 宮崎貞雄

昭和四二年 八月 五日

(5) 原告 山口庫松

昭和四一年 二月一八日

(6) 原告 山口惣二郎

昭和三四年 一一月一四日

(7) 亡  石川清文

昭和三七年 八月 一日

(二)(1) 仮に、そうでないとしても、原告ら元従業員が最初にじん肺有所見診断を受けた日の翌日、又は旧じん肺法等に基づく最初の行政上の決定を受けた日の翌日からは原告ら元従業員の被告に対する権利行使は可能であったから、右のいずれか早い日が消滅時効の起算日となる。そうすると、原告ら元従業員のうち、左記の六名については、左記の事項により、本件提訴日までに消滅時効が完成している(時効期間は、前項と同様である。)。

① 原告 宇都重徳

昭和四五年 有所見診断

② 原告 佐藤郁雄

昭和四二年一一月 八日 有所見診断

③ 原告 原三作

昭和三五年 二月一六日 けい肺第1症度

④ 原告 廣瀬邇

昭和四七年       管理二

⑤ 原告 宮崎貞雄

昭和四二年 四月一四日 管理三

⑥ 亡  石川清文

昭和五〇年夏 有所見診断

又は同五一年 六月四日 有所見診断

(2) なお、原告らは、原告ら元従業員が最初に行政上の決定を受けた時期を明らかにするための証拠調べを拒絶しており、このことからすれば、前項記載の原告ら元従業員を除く一六名の原告ら元従業員についても、遅くとも昭和五〇年一二月二五日までに最初の行政上の決定を受けたものとして、本件提訴日までに消滅時効が完成していると認められるべきである。

(三) 消滅時効が成立しないとしても、原告ら元従業員が被告を退職した日の翌日から二〇年が経過すれば、除斥期間により、被告の債務は消滅するところ、原告原三作、同山口惣次郎、亡石川清文の三名については、前記(一)記載の退職の日の翌日から二〇年が経過している。

(原告ら)

被告は、雇用契約上の健康保持義務を尽くさないことにより、経費を節約して資本を蓄積したのであり、被告の発展は原告ら元従業員を含む炭鉱労働者の生命、身体の犠牲によるものということができる。更に、原告ら元従業員は、被告のいわゆる「じん肺隠し」により、被告に対する権利行使を困難にされた。このように、被告の健康保持義務懈怠の態様が悪質であることに加え、じん肺に罹患した原告ら元従業員の被害が極めて深刻であることから、被告の消滅時効の援用は時効援用権の濫用であり、信義則に反し許されない。

6  過失相殺

(被告)

(一) 使用者が安全配慮義務を負う場合にも、労働者は自己の安全を守るために基本的かつ最小限度の注意を払うべき義務を免れるものではないから(改正じん肺法五条参照)、労働者は、使用者の右義務履行の有無に関わらず、自己の置かれた具体的状況に応じて自己の安全を守るために可能な注意を一通りは尽くすべきである。そして、安全配慮義務不履行による損害賠償請求においても、労働者に損害が生じたことにつき、労働者に過失があるときは、右過失が損害賠償額の算定にあたり考慮されるべきである。

(二) 原告ら元従業員は、被告係員から、必ず防じんマスクを着用するように厳しく指導教育され、自己の健康管理上も自ら防じんマスク着用の必要性を認識し、多少の息苦しさに耐えてこれを着用すべきであったにもかかわらず、時々防じんマスクを着用しないで作業をし、じん肺罹患予防のための基本的な注意義務を怠った。

(三) 原告ら元従業員は、喫煙が健康に対し有害であり、これにより気管支粘膜の絨毛上皮が影響を受け、清浄化作用が衰え、粉じんの排除能力が低下することを知りながら、喫煙をやめようとしなかったことにより、自己の安全と健康に害のある行為を継続し、じん肺罹患予防や増悪防止のための基本的な注意義務を怠った。

(四) 原告宮崎貞雄は、昭和四一年四月ころ、管理三に該当することが判明したので、被告の担当者は、同年六月、旧じん肺法二一条の規定に基づき、同原告に対し、非粉じん作業に従事するよう作業転換を勧めたが、同原告はこれを拒否した。被告担当者は、昭和四五年五月ころにも右規定に基づき、同原告に作業転換を勧告したが、同原告は、再度これを拒否した。作業転換に関しては、労働省通達により、労働者本人の意思を尊重し、強制を行わないよう指導されていたため、同原告が拒否する以上、被告において作業転換を実行することは不可能であった。同原告が、昭和五一年五月一七日に管理四の決定を受けたのは、同原告が作業転換を拒否して、粉じん作業を継続した結果である。

(五) 以上の原告ら元従業員の過失により、別紙六過失相殺割合一覧表「原告ら元従業員」欄記載の各原告ら元従業員に対し、それぞれ、同表「過失相殺事由」記載の事由により、同表「過失相殺割合」記載の割合による過失相殺が行われるべきである。

(原告ら)

(一) 雇用契約においては、使用者は労働者に対する指揮監督権を有し、またこれに対する健康保持義務を負っているのに対し、労働者は原則として使用者から提供された労働環境において就労するものであるが、このような関係においては、労働者が就労上犯した過失をもって、過失相殺すべき過失であると評価することは許されない。更に、原告ら元従業員の損害の発生に関しては、被告の健康保持義務懈怠の態様の悪質さに照らして、被告の故意責任が認められるというべきであるから、この点からも、過失相殺を行うことは許されない。

また、じん肺を予防するための安全教育は、被告の健康保持義務の重要な要素であり、資力、情報収集能力等において被告と原告ら元従業員との間には著しい隔たりがあることから、原告ら元従業員の認識の欠如を理由として過失相殺を行うことは許されない。

(二) 被告の行った防じんマスクの支給は、その時期、支給した防じんマスクの性能、破損した防じんマスクの交換制度等の点において極めて不十分であったし、また、じん肺に関する知識がなく、防じんマスク着用の必要性の説明も受けていなかった原告ら元従業員がその着用を怠ったとしても、これを原告ら元従業員の過失ということは、被告の健康保持義務懈怠の態様に照らせば、なおさら過失相殺を行うことは許されない。

(三) 喫煙とじん肺の因果関係が明らかでないこと、原告ら元従業員が被告の安全教育の欠如によりじん肺についての知識を有していなかったこと等からすると、原告ら元従業員の喫煙歴を理由として過失相殺を行うことは許されない。

(四) 原告宮崎貞雄の作業転換拒否は、じん肺に関する知識の欠如からその必要性が理解できなかったこと、作業転換による賃金低下を嫌ったことが理由であり、これを以て過失相殺を行うことは許されない。

7  損益相殺

(被告)

(一) じん肺に罹患した者は、労災保険法に基づき、各種給付金を受領するところ、本件訴訟の口頭弁論終結の日までに原告ら元従業員又は遺族原告が支給を受けた労災保険金等の受給額は、原告ら元従業員の損害額から損益相殺として控除されるべきである。

(二) 労働基準法八四条二項及び労災保険法一二条の四は、一時金給付を前提とした規定であり、年金である労災保険給付等との調整においてこれを類推することは妥当ではないし、労災保険制度が、使用者の保険料負担に支えられた労働者の保護に厚い、確立した制度であることからすると、本件口頭弁論終結の後に原告ら元従業員又は遺族原告が受給する労災保険給付等給付金についても、これを現在価格に換算して、損害額から控除すべきである。

(三) したがって、別紙七労働災害保険給付個人別受給額計算表記載の既受領額及び同表記載の将来受領額は、同表「原告ら元従業員」欄記載の各元従業員の損害からそれぞれ控除されるべきである。

(原告ら)

労災保険法上の給付請求権と使用者に対する民法上の損害賠償請求権が併存する場合に、右保険給付の存在を理由として減縮することができるのは、保険給付と「同一の事由」(労働基準法八四条二項、労災保険法一二条の四)の関係にあるもの、すなわち、保険給付の対象たる損害と民法上の損害賠償の対象たる損害が同性質であり、右損害賠償を認めることにより損害の二重補填等不当な結果をもたらす場合に限られる。

原告らが本件訴訟において賠償を求める損害は、争点3に関する主張のとおりであり、労災保険給付と同一の損害ではない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告の健康保持義務あるいは安全配慮義務の具体的内容)について

1(一)  争いのない事実等1(二)記載のとおり、被告は、原告ら元従業員と雇用契約関係にあったのであるから、被告は原告ら元従業員に対し、信義則上、雇用契約上の付随義務として、原告ら元従業員が労務に従事するに際し、その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っていたものと解すことができる。

原告らは、被告が負う義務は、その違反により、単に損害賠償債務を生じ得るにすぎない安全配慮義務ではなく、労働者が使用者に対し履行請求を求め得る健康保持義務であると主張するが、その主張の趣旨は、労働災害や職業病罹患の危険にさらされる地位にある労働者に対し、雇用契約上又は信義則上使用者の負う義務を、その不履行の効果でとらえる安全配慮義務の概念を超えるものとして、事前履行請求の視点をも込めて健康保持義務の概念でとらえるのが相当とするにとどまり、やはり、従来、安全配慮義務として問題とされたものとほとんど一様に重なり合う法律関係を取り扱うものであって、これを除外するというものではないと解することができるから、損害賠償請求である本件においては、安全配慮義務を含む健康保持義務一般には触れることなく、原告らが同請求をなし得るような被告の債務不履行におけるその債務の内容、程度を、以下、安全配慮義務として検討することとする。

(二)  ところで、伊王島鉱業所は、昭和一六年から同二八年までは、長崎鉱業の、同年から同二九年九月三〇日までは、長崎鉱業と嘉穂鉱業株式会社(以下「嘉穂鉱業」という。)が合併してできた嘉穂長崎鉱業の経営であり(以上の事実は当事者間に争いがない。)、右各期間には、原告ら元従業員は、それぞれの期間に対応する会社との雇用契約により就労したものである。しかしながら、争いのない事実等1(一)、乙第一九、第九〇、第九三号証、第一八六、第一九〇、第一九一号証の各一、第一九五号証の一一、一二、第一九九号証の五、六、第二〇九号証の一、証人中野輝和、同井杉延寿及び弁論の全趣旨によると、長崎鉱業と嘉穂鉱業の合併による嘉穂長崎鉱業の設立、同社と被告との合併による経営主体の移転は、前経営主体からの、鉱業権、伊王島鉱業所の各種施設等の包括的な移転を伴っていると推認され、労働者についても、少なくとも、被告への移転に際しては、従業員名簿の引継ぎが行われ、その際には、入社時に求める宣誓を求めないなどの措置がとられていることが認められ、雇用契約が包括的に承継されているというべきであり、この点は、長崎鉱業と嘉穂鉱業の合併においても同様であったと推認される。そうすると、被告は、これにより、長崎鉱業及び嘉穂長崎鉱業が、原告ら元従業員に対して負っていた雇用契約上の安全配慮義務及びその不履行に基づく損害賠償義務を承継したということができる。

よって、以下において、原告ら元従業員が、長崎鉱業及び嘉穂長崎鉱業で稼働していた期間については、被告との雇用契約に基づき稼働していたと同視して論ずることとする(以下、長崎鉱業、嘉穂長崎鉱業及び被告の三社を「被告会社」という。)。

(三)  なお、原告ら元従業員の伊王島鉱業所における稼働に関わり、原告山口惣次郎の星野鉱業での稼働、元原告亡山元秋夫の間組での稼働は、被告の下請企業におけるものであり、右各稼働に関しても、被告は、安全配慮義務を負う旨の主張がなされている(もっとも、元原告亡山元に関しては、間組が被告の下請企業であった旨の主張が必ずしも明らかではないが、被告が安全配慮義務を負う範囲を明らかにするため、ここで検討しておくこととする。)ところ、一般論として、元請企業が下請企業の労働者に対し、安全配慮義務を負うことがあることは認められるが、本件においては、被告と星野鉱業ないし間組との契約関係、労働者に対する具体的な指揮監督関係、星野鉱業ないし間組の安全配慮義務の履行状況等を明らかにするに足りる証拠がなく、したがって、この点に関する被告の安全配慮義務の有無、程度及びその不履行の有無を判断することは不可能である。

したがって、以下においては、原告山口惣次郎の星野鉱業での稼働、元原告亡山元秋夫の間組での稼働は、考慮の外におくほかはない。

2(一)  使用者の負う安全配慮義務の具体的内容、程度は、労働者を就労させる作業環境・作業内容、それによる疾病等の危険発生に対する社会的認識、右危険発生を回避するための手段の存否及び内容等によって規定されるところ、本件は、原告らが、被告に対し、原告ら元従業員が、被告会社において粉じん作業に従事したことにより、じん肺に罹患したとして、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求める事案であるから、その具体的内容、程度は、原告ら元従業員が従事した粉じん作業の内容、その作業環境、じん肺に関する医学的知見、じん肺防止に関する工学技術水準及び行政法令等を総合考慮することにより確定されることになる。

このように具体的に規定された安全配慮義務を使用者が完全に履行している場合には、たとえ労働者の生命又は健康等に損害が発生したとしても、使用者に安全配慮義務違反があるとはいえず、被告会社のもとでの稼働により原告ら元従業員がじん肺に罹患したことが認められれば、被告会社の右義務不履行が認められる(すなわち、安全配慮義務は「結果債務」である。)との原告らの主張は採用することができない。

(二)  本件において、被告会社の安全配慮義務違反が問われているのは、昭和一五年九月(原告原三作の稼働開始時期)から同四七年三月までであるから、以下、右期間につき、前記考慮事項を確定し、本件において、被告会社が負っていた安全配慮義務の内容を検討する。

3  本件各炭坑の作業環境

争いのない事実等2、甲第一四一、第一四二、第一五九、第一六〇号証、第一六三号証の一、第一六四号証、第一六五号証の一、二、第一六七号証の二、第一六八号証の一、第一八九号証の一、第一九八号証の一、第一九九号証の一、二、五ないし八、第二〇〇号証の一ないし五、第二一八号証、第一一〇一号証の五、第一一〇二号証の六、第一一〇六号証の五、第一一一三号証の七、第一一一四号証の九、第一一一五号証の八、第一一一六号証の七、第一一一八号証の四、五、第一一一九号証の九、第一一二一号証の六、七、第一一二三号証の八、第一二〇一号証の一四、乙第一号証の二、三、第二七ないし第三二号証の各一、二、第三四号証の一ないし三、第四五号証、第四六号証の一、六、第六九、第七二、第九〇号証、第九二号証の一ないし三、第九六、第一〇〇号証、第一一一号証の一、二、第一五一号証、第一五八号証の一、二、第一六三、第一七三、第二〇八、第二四〇号証、第三一一号証の三ないし五、七、第三一三号証、第三三九号証の一、二、証人宍戸連次郎、同前嶋貞幸(但し、両証人については、以下の認定に反する部分を除く。)、同渡部能和、原告宇都重徳本人、同斧澤正徳本人(第一回)、同佐藤郁雄本人(第一回)、元原告亡本田昌幸本人、原告享保衛本人(第一回)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

なお、以下において、特に坑又は時期を限定しないものは、本件各炭坑及び本件で安全配慮義務を検討する期間(但し、伊王島坑以外の本件各炭坑については、前記争いのない事実等1(二)で認定した原告ら元従業員が稼働していた時期を中心とする。)を通じて、認められるものである。

(一) 通気方式等

(1)① 伊王島坑の稼業層は、上層(五尺層と三尺層)と下層(一〇尺層、二尺層及び一一尺層)で、弱粘結炭(含有水分二パーセント前後)を産した。

上層は、卸坑道も片盤坑道もすべて炭層の中に坑道を展開する沿層坑道であり、岩石坑道はほとんどなかった。これに対し、下層では、ほとんどの部分で、本卸、連卸を岩石層に掘進し、それぞれから片盤坑道を同じく岩層中に掘進、これを岩石坑道で結んで通気の流れを作ったあと、肩側と深側の片盤坑道からそれぞれ炭層に向ってクロスするクロス坑道(一部沿層坑道)を掘進し、右坑道が炭層にあたったところから、沿層坑道を展開していた(盤下坑道方式)。

通気は、排気坑道の坑口に主要扇風機(ターボ型三〇〇馬力、後記排気立坑完成後は二段プロペラ型四〇〇馬力)を設置して、坑内の空気を吸い出す方法であり、入気が本卸から入り、深坑道から切羽を通って扇風道から連卸に抜けていた(中央式通気方式)が、昭和三七年八月に排気立坑が掘削されてからは、排気坑道として利用されていた連卸も入気坑道として利用されるようになった(対偶式通気法)。

② 他の本件各炭坑の通気方式は、中央式通気方式であったが、神田坑では、昭和二四年ころ、排気専用の斜坑が完成し、対偶式通気方式となった。御橋鉱では、一坑、二坑のそれぞれに六五馬力のシロッコないしターボ型、神田坑では四〇馬力のもの、小佐々坑では三〇ないし五〇馬力のもの、矢岳坑では、昭和二五年以降一五〇馬力のものを、それぞれ主要扇風機として、排気坑道の坑口に設置していた。池野鉱、高雄二坑でも、排気坑道に主要扇風機が設置されていた。

中央式通気方式の坑では、鉱夫が通行するいわゆる「人道」は、ほとんど排気坑道が使用されていた。

(2)① 掘進切羽は、常に坑道の先端箇所であったため、すべて行き止まりのいわゆる「盲坑道」であり、掘進中の当該坑道を入気及び排気の両方に使用せざるを得ず、最寄りの入気坑道から風管を通し、局部扇風機(五ないし一〇馬力)で掘進切羽に入気を送り込み、その通気の流れで切羽付近の汚れた空気を最寄りの排気坑道へ押し流す方法がとられていたが、通気の状態は、概ね不良であった。

右風管は、当初、鉄製で、継目を粘土で目塗りしていたが、昭和三〇年前後ころから同三〇年代後半にかけて、差込式のビニール風管に代わった。

② 小佐々坑では、後記個人掘が行われていた昭和二一年ころまでは、局部扇風機や風管はなく、掘進箇所、採炭箇所は自然通気であり、払が狭隘で、隣接する採炭箇所の進行程度により「盲坑道」であったこともあり、通気は極めて不良であった。

(3) 坑道は、盤圧で狭くなることがあり、特に後記スライシング採炭法の下段の肩風道は、その傾向が強く、これによっても通気が阻害された。

(二) 坑内温度及び湿度

作業箇所の温度は、通常二五度程度で、高いところでは三〇度以上になり、また、極めて高湿であった。

(三) 湧水及び滴水等の状況

(1) 伊王島坑の採炭箇所は全て海底であったため、石炭や地層が生成されたときから岩石中に含まれている化石水に加え、採掘により海底が沈下し断層等の亀裂に沿って流れ込む海水が坑内の湧水・滴水となり、坑内には、一部に天盤等から多量の滴水のある「雨箇所」があり、出水もあった(昭和四六年には、出水の危険がある炭坑として、炭則三九五条に基づき出水指定を受けた。)。坑内に発生した湧水等は、坑底付近に設けられた貯水層からポンプにより、斜坑に設置されたパイプを通して、順次、上方の幹線水平坑道に揚げられ、最も上部の水平坑道である富士坑道では、本卸坑底に設置された五〇〇トン主要貯水槽と三台のポンプにより、坑外に揚水、排出されていた。しかし、これらの坑内水によっても、多くの作業現場は、粉じんの発生が抑制され、発生した粉じんの飛散が防止できるほど、湿潤な状態ではなかった。

(2) 他の本件各炭坑においても、一部に「雨箇所」があり、北松鉱業所の炭鉱は出炭量に比べて、出水量が多いとされていたが、多くの作業現場は、粉じんの発生が抑制され、発生した粉じんの飛散が防止できるほど、湿潤ではなかった。

証人宍戸連次郎、同萩尾稔、同渡部能和の各証言中には、本件各炭坑が、後記掘進、採炭等の作業による粉じんの発生、飛散を招かない程に、湿潤であった旨の供述があるが、前掲各証拠に照らし、信用できない。

(四) けい酸質区域指定等

神田坑は、昭和二九年二月に、松浦三尺層上部の砂岩層に対する掘進作業について、矢岳坑は、同三〇年九月に大瀬五尺層の上下に存する砂岩層に対する掘進作業(遊離けい酸分約六五パーセント。頁岩においても二五ないし三四パーセントのところがあった。)について、伊王島坑は、同三一年、一一尺層下の砂岩及び砂質頁岩並びに四尺層下部の二〇メートル砂岩層に対する掘進作業(同三一ないし三三パーセント。他に、砂質頁岩で、二五ないし四一パーセントのところがあった。)について、それぞれけい酸質区域の指定を受けた。

また、高雄二坑では、砂岩、頁岩の遊離けい酸分が一四ないし三六パーセント、御橋鉱では、砂岩で四六ないし六四パーセント、頁岩で二四ないし三二パーセントであったが右区域指定は受けなかった。

4  本件各炭坑における作業内容及びそれによる発じん状況

甲第九八、第一〇九、第一一二、第一二一、第一二二、第一二四ないし第一二六、第一二九、第一三一ないし第一三四、第一三六、第一三七、第一四〇、第一四一、第一五五ないし第一五七、第一五九ないし第一六二号証、第一六三号証の三ないし六、八、九、一〇、一四、第一六四号証、第一六七号証の一、二、第一八〇、第一八一、第一八八号証、第一八九号証の一、三、四、第一九五号証、第一九六号証の一、第一九八号証の一、二、七、第一一〇一号証の五、第一一〇二号証の六、第一一〇三号証の七、第一一〇四号証の八、第一一〇六号証の五、八、第一一〇七号証の五、第一一一一号証の一七、第一一一三号証の七、第一一一四号証の九、第一一一五号証の八、第一一一六号証の七、第一一一八号証の四、第一一一九号証の九、第一一二〇号証の五、第一一二三号証の八、乙第九、第一〇号証の各一、二、第九六、第一〇二、第一〇四、第一〇五、第一一二、第一一八ないし第一二一、第一七三、第二〇八号証、第二六三号証の一、第三〇一号証、証人山田政次、同渡部能和、同鴨川純一郎、同中野輝和、同宍戸連次郎、同萩尾稔(但し、証人山田を除く各証人については、粉じんの発生、排除に関する部分を除く。)、原告大渡貞夫本人(第一、二回)、同斧澤正徳本人(第一回)、同河野左郷本人、同佐藤郁雄本人(第一回)、同原三作本人(第一回)、元原告亡本田昌幸本人、原告溝田勝義本人、元原告亡山元秋夫本人、原告享保衛本人(第一回)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

本件各炭坑において、掘進、採炭、仕繰の各作業(いわゆる「坑内直接夫」の行う作業)が、伊王島坑において、車道大工等の坑内間接作業、選炭及び検炭の各作業があったことは、当事者間に争いがない。そして、前掲各証拠によれば、坑内直接夫の行う各作業内容は、時代による変遷はあるが、以下において、特に坑を特定して述べるものの他は、本件各炭坑でほぼ同様であったことが認められるので、以下においては、主として、伊王島坑における作業内容について述べ、他の本件各坑については、原告原三作、同享保衛及び亡石川清文が従事した作業について、伊王島坑と異なる点を付記するにとどめる。

(一) 掘進作業

(1) 概要

掘進作業は、岩盤又は炭壁面にさく岩機で穴を穿ち(さく孔)、そこにダイナマイトを装填して爆発させ(発破)、破砕された岩石又は石炭を搬出し(積込み)、これにより切り開かれた箇所の天盤を支える枠を入れる(枠入れ)ことにより坑道を延長する作業であり、さく孔から枠入れまでが一サイクルで、通常四人一組で作業を行った。一方(後記5(一)(1)参照)の作業量は、一サイクルなしい二サイクルであり、一サイクルで一ないし1.5メートル掘り進んだ。

なお、昭和三一年ころには矢岳坑で、同三六年ころには伊王島坑で、それぞれ急速掘進が行われ、約六名の作業員が積込機械を使用し、一方で2.5メートル以上掘進したことがあった。

岩盤を掘削する岩石掘進と炭層に沿って掘削する沿層掘進があったが、沿層掘進は、すべて炭層を掘進するもののほか、一部下部分で岩石を掘削するものが多かった。その作業手順は、炭を採掘してから岩盤を掘削する以外は、以下に述べる方法とほぼ同様であった(もっとも、コールピックのみで作業が行われた箇所もあった。)。

坑道の広さは、概ね、主要幹線坑道では四メートルアーチ(四半分の弧状の長さは四メートルのもの・有効断面積9.7平方メートル)、片盤坑道では、梁と足の長さがそれぞれ2.1メートル(有効断面積4.4平方メートル)であった。

(2) さく孔

さく孔作業は、岩石掘進では二台以上、沿層掘進では一台のさく岩機を用い、圧縮空気を動力源として、1.5メートル程度の棒様のノミの前後運動及び半回転運動により、先端に取り付けたビットで岩盤又は炭壁を細かく破砕して穴を穿つもので、三人の作業員が一台のさく岩機を担当し、先山がさく岩機のノミ先をとってさく孔の方向、角度を指示し、これに従って後向の二名がさく岩機を支えて(後には、さく岩機を支えるレッグ付きのものが導入された。)さく孔するため、さく孔が進むにつれ、作業員は、岩盤又は炭壁に近付くことになった。右作業に水を使用しない乾式さく岩機は、破砕された岩石や炭の繰り粉を、圧縮空気により孔外に排出するものであったため、作業員は夥しい量の粉じんに曝露した。繰り粉を水で排出する湿式さく岩機を使用した場合は、乾式さく岩機を使用した場合に比べ、粉じんの発生量は相当程度抑制されたが、完全に抑制するには至らなかった。孔の大きさは、通常、直径三ないし四センチメートル、深さは、1.2メートルから1.4メートルで、さく孔本数は、坑道の種類、広さによって異なったが、四メートルアーチで四〇本程度、片盤坑道の岩石掘進で二五本程度、沿層掘進で二〇本程度であり、いずれの場合も、さく孔に要する時間は、約一時間(但し、二時間程度要する坑もあった。)であった。

なお、神田坑では、沿層掘進に電気オーガー(回転式さく岩機)を使用したことがあったが、これは、機械の回転運動により、繰り粉を自然に排出するものであったので、衝撃式さく岩機に比べ発じん量が少なかった。

さく孔が終了すると、キューレンという棒状の道具で、孔内に残っている繰り粉を排出する作業が行われることがあったが、キューレンの代わりに、圧縮空気で排出されることもあり、これによっても、さく孔作業中と同様の粉じんが発生した。

(3) 発破

発破は、通常一方で一回ないし二回行われたが、発破による粉じんの発生は著しく、その直後の粉じん量は掘進作業中で最も著しいものであった。

発破係員及び発破警戒線に立つ作業員以外の作業員は、沿層掘進で四〇ないし五〇メートル、岩石掘進で七〇ないし八〇メートル、切羽から離れた入気坑道側に退避するのが通常であったが、作業箇所によっては適切な退避場所が確保されないこともあった。

発破後は、発破係員が完爆や天盤の状態等安全を確認した後に作業現場に入ることとされており、また、発生した粉じんは、時間の経過とともに、通気により希釈、排除され、あるいは沈降したが、作業能率を上げるために、十分に時間を置かずに作業現場に戻ると、粉じんに曝露することになった(証人宍戸連次郎は、発破後、五分ないし一〇分程度で粉じんが完全に除去されていた旨供述するけれども、掘進箇所の通気状況及び現実に掘進作業を行っていた原告ら元従業員の各供述に照らし、信用できない。)。発破をかけたところで昇坑する上がり発破、発破に合わせて中食をとる中食時発破がなされる場合もあったが、作業の進行の程度に左右され、常に行われていたものではなかった。但し、御橋鉱では、原則として、上がり発破がなされていた。

なお、雷管は、昭和二五年ころ、瞬発電気雷管から、段発雷管、ミリセコンド雷管に変わったが、これにより、瞬発雷管では五回程度に分けて行なっていた結線作業が一度で済むようになり、粉じんに曝露する量は減少した。また、発破の威力を増すための「込め物」は、昭和三〇年ころまでは粘土が、その後、ビニール袋に入れた砂あるいは水が、昭和四〇年代には、水タンパー(屈曲水筒)が使用され、水タンパーには、発じんを押さえる効果も認められた。

(4) 積込み

発破で崩壊した炭又は硬を鉱車に積み込むが、当初は、ホゲと掻板を使って、手で積み込む「手積み」が行われていた。昭和三〇年代初めころから、ロッカーショベル、ギャザリングローダー、サイドダンプショベルという積込機械が、順次導入された(但し、神田坑を除く。)が、一部では手積みも行われていた。

積込みに際し、大きな硬は、ピックやハンマーで割る必要があり、積込みに要する時間は、手積みでは三ないし四時間、機械積みでは一時間ないし一時間半であり、その間、多量の粉じんが発生し、機械の導入は、発じん量を更に増加させた。

(5) 枠入れ

坑道の天盤、側壁を支えるために梁及び支柱を入れるが、発破後の坑道は、必ずしも枠の形状に適合しているとは限らないので、不適合な岩盤部分等は枠入れの際に削り落とさねばならず、天盤に向ってコールピックやツルハシで掘削したり、小規模の発破を行うことがあった。また、枠の脚部を埋め込む「アシガマ」を掘削するためにも、コールピックやツルハシを使用し、小規模な発破を行った。

これらの作業により、粉じんが発生した。

(6)① 小佐々坑では、昭和二一年ころまで、後記(二)(4)記載の個人掘と同様の形式(手掘り)で、掘進作業が行われ、炭層の掘進には、ツルハシ、さく孔のためのノミ、石刀、セーランが使用された。さく孔には、一本二時間程度を要し、一日の作業では、さく孔を終えることができなかった。さく岩機が使用され始めたのは、昭和二〇年ころで、同二三年ころからは、一般的に使用するようになった。

運搬機械は導入されず、手積みが行われた。

② 伊王島坑では、昭和三〇年代半ばころまで、下層でガスのため発破ができない箇所では、コールピックによる掘進作業が行われた。

③ これらの作業のうち、ツルハシ、さく岩機、コールピックを使用する作業は、粉じんを発生させた。さく孔後の発破による発じん、積込作業等による発じんは、前記(3)ないし(5)で認定したところと、ほぼ同様である。

(二) 採炭作業

争いのない事実等1(二)で認定したところによると、原告ら元従業員が採炭作業に従事した期間は、亡石川清文が、昭和一八年から小佐々坑で従事している他は、いずれも同二二年以降であるから、一般的な採炭作業については、同二二年以降について認定する。

(1) 長壁払採炭法

① カッペ採炭

伊王島坑では、昭和二二年ころから、後退払の長壁払採炭法が採用された。この採炭方法は、本線坑道から、切羽長(数十メートルないし一〇〇メートル)に応じた間隔で片盤坑道を二本平行に開削し、下側の片盤坑道から上側の片盤坑道まで掘った昇坑道を採炭切羽として、本線坑道の方向に掘り進む方法である。切羽の天盤を支える支保には、同二九年ころまでは木材が使用されたが、同年以降、鉄柱(当初は、摩擦鉄柱が使用され、同三八年ころから、水圧鉄柱が導入され始めた。)とカッペ使用による払の鉄化が行われ、カッペを使用した採炭方法は、カッペ採炭と呼ばれた。カッペ採炭が行われる前の長壁払採炭による作業内容は、カッペ導入により作業効率が良くなり、各種作業が並行して行われるようになった他は、カッペ採炭と大きく異なるところがないので、以下、カッペ採炭について述べる。

カッペ採炭では、一切羽に、一方約二〇なしい三〇人の作業員が稼働し、昭和三八年ころまで、ピック又は発破で採炭を行っていた。

ピック採炭(圧縮空気を動力源として、コールピックの先端のピックスチールを炭壁に直接打撃し、その振動で炭層を崩していく方法)では、まず、約一〇名のピック・マンが、それぞれコールピックで炭層の上部を切りつけて採炭し、カッペを延長する。その後、炭層の下部が同様に採炭され、これらの炭は、スコップ等で、払に設置してあるパンツアーコンベアー(H型コンベアー、昭和二九年ころまではV型トラフチェンコンベアー)に積み込まれて深坑道まで運ばれ、鉱車に積み込まれるか、コンベアーで後記ポケットに運ばれた。採炭後は、コンベアーの移設、立柱及び抜柱(切羽の進行に併せて、カッペや鉄柱を移動させる作業)が、それぞれを担当する作業員により行われた。この過程で、松岩等の除去は発破で行われることもあった。カッペの長さは、1.2ないし1.4メートルであり、一サイクルの作業でコンベアーを移設する距離も同程度であった。他に、深坑道と肩坑道に、払の進行に伴って、パンツアーコンベアーのエンジンを設置するステーブル座をピックで採炭することなどにより確保するステーブルマン、鉄柱とカッペの管理を行う鉄柱管理マンが払の中で稼働していた。

なお、右に述べた、カッペの延長、コンベアーの移設、立柱、抜柱の各作業は、後記②のいずれの機械採炭においても、必要な作業であった。

発破採炭は、ピックを使用する代わりに、採炭切羽を概ね一五メートル毎にさく岩機等でさく孔し、ダイナマイトで破砕したが、他の作業は、ピック採炭の場合とほぼ同様であった。なお、第一区、第二区の下層においては、ガスのため、発破採炭ができない箇所があった。

コールピックによる採掘やさく岩機等によるさく孔及び発破は、いずれも粉じんを発生させる作業であり、また、採掘された炭をコンベアーに積み込む作業も発じんを伴うものであった。水圧鉄柱が使用されるようになってからは、水圧鉄柱の抜柱の際、右鉄柱内の水が放出されたが、これのみによって、各作業による発じんを抑制するに至る状態ではなかった。

また、抜柱を行い、採掘跡の天盤を自然崩落させたり、場合によっては発破等によって人為的に崩落させ、切羽への荷重を和らげる「跡ばらし」を行っていたが、これも多量の粉じんを発生させるものであった。

② 機械採炭

伊王島坑では、昭和三四年ころ一年程度、ホーベル採炭を実施したほか、コールカッターを使用し、同三八年前後の極一時期、ドラムカッターを導入した他は、同四五年ころにホーベル採炭に移行するまで、ジブカッターを使用した。

(ア) ジブカッター採炭

爪状のピックの付いたチェーン(ジブ)を回転させ、チェーンソーのように炭層の下部あるいは下盤岩層を幅約一五センチメートル、奥行約1.3メートルで、透截し、残った炭壁を自然崩落させるか、発破やコールピックによって崩落させる方法である。ジブカッターは、水冷方式では、機械内部を冷却するために水を使用しており、その水が外部に出ていたが、それにより発じんが防止されるには至らなかった。

(イ) ドラムカッター採炭

直径約七〇センチメートルの円筒に切削用のノミが螺旋状に並列に埋め込まれたドラムを高速で回転させて採掘する方法である。ステーブル座を設けたあと、そこにドラムをあて、回転させながら、コンベアー上を走行させた。採掘中は、機械内部の冷却も兼ねて切截部分に散水がなされていたにも関わらず、これによる発じん量は著しかった。

(ウ) ホーベル採炭

原動機により切削するビットで、払を深から肩に前進、後退しながら石炭を採掘する機械で、作業手順等は、ドラムカッターとほぼ同じであった。

(エ) これら、採炭機械には、採掘した炭をコンベアーに積み込む機能もあったが、必ずしも全部の炭が機械によりコンベアーに積み込まれることはなく、スコップによる積込作業も行われた。また、採炭機械の動力源や矢玄を設けるために切羽の肩・深の両端を切り広める場合やジブカッターで炭層下盤付近を透截した後、その上部炭層を崩落させる場合には、さく岩機によるさく孔、発破が行われた。

機械採炭での作業のうち、機械による透截及び採掘(それに続く炭の自然崩落)、コールピックの使用、さく孔、発破、積込作業等は粉じんを発生させるものであった。

(2) スライシング採炭法

伊王島坑では、昭和三〇年ころ、主として一〇尺層に対し、炭層を上下二段に分け、上段を概ね二〇メートル先に採掘し、その後下段を採炭するスライシング採炭が開始され、一切羽で約三〇人が稼働した。上段では、採炭切羽の進行に伴い、下盤に木・竹材(後には鋼材を使用)を網目状に敷きつめ、この上に上段天盤を自然崩落させ、盤圧によって崩落した天盤が緊縮するのを待って、下段の人工天盤を形成した後、下段の採炭を行った。

鉄柱・カッペの使用、採炭の方法は、長壁式採炭法と同一であり、粉じんの発生状況も同様であったが、下段では、人工天盤から崩落するボタによっても粉じんが発生し、また、より幹線坑道に近い位置に上段が存することで通気量が少なくなるため、粉じん曝露の状況は、一層著しかった。

(3) 運搬機

伊王島坑では片盤坑道での炭の運搬は、当初、戸樋口まで鉱車を引き込み、直接鉱車に積み込む方法がとられていたが、昭和三一年ころから、ポケット積込方式が導入され、ポケットまでの運搬機としてパンツアーコンベアーが使用されるようになった。このころには、深坑道には、パンツアーコンベアーの監視と清掃を行うゲート番と払から流れてきた大きな松岩を小さく割る作業を行う松割が配置されていた。また、ポケットの下の戸樋口では、戸樋口マンがポケットに貯蔵された炭を鉱車に積み込む作業を行っていた(以上の作業に従事する者は、被告会社において、坑内直接夫とされていなかったが、本件の判断にあたっては、採炭作業に含めて考慮することとする。したがって、別紙二記載の原告ら元従業員の就労作業にいう「採炭」は、右各作業を含むものである。)。

パンツアーコンベアーからゲートコンベアー、ゲートコンベアー間、及び戸樋口では、炭の落下に伴って粉じんが発生した。

(4) 亡石川清文の小佐々坑での採炭作業

① 小佐々坑では、昭和二二年ころまでは、小グループが割り当てられた採炭切羽を手掘りする「個人掘」が行われた。この方法では、深から肩に向ってグループ毎に約一〇メートル幅で切り昇るが、炭層が薄層であったため、スラ街道と呼ばれる坑道(高さ約一メートル、幅約1.5メートル)を中央に掘削し、そこから両側の炭層を幅五、六メートル採炭していた。作業員は天盤と下盤の間四〇センチメートル程度のところに寝るような姿勢で潜り込み、ツルハシで石炭を掘り崩し、これをスコップでスラ街道にはねだしていた。それを、他の作業員がスラ(木製の運搬道具)に積み込み、坑道際の置場に運搬し、鉱車に積み込んだ。一日の作業量は、約一メートル炭層を採炭し、その後、翌日の採炭のため、スラ街道を約一メートル掘進した。右掘進は、炭層下盤をノミ、石刀を用いてさく孔し、発破をかけていたので、個人掘では、沿層掘進と採炭を同一の作業員が行っていると同様であった。発破後は、それにより発生した硬で当日の採炭跡を充填して一日の作業を終了していた。

個人掘は、同二四年ころまで続けられた。

以上のような採炭作業、岩盤掘進作業、炭をスラから返す作業、各積込作業により、粉じんが発生した。

② 昭和二二年ころ、一部で前進払による長壁式採炭法が開始された(前進払は、後退払に比べ、採掘跡に通気が漏風してしまい、切羽面の通気に障害があった。)。

採炭方法は、ツルハシによる手掘採炭で、六〇メートル程度の切羽で、約三〇人が就労しており、払の運搬には、チェーンコンベアやV型トラフが使用され、採掘した炭をこれにはね込んでいた。これらの作業により、粉じんが発生した。

その後、昭和二三年ころには、さく岩機が一般に使用されるようになり、発じん量が増加した。

③ 昭和二八年ころからは、一部でスクレーパーによる機械採炭が始まり、同三六年の終掘まで続いた。これは、ロープを緊張させることによって、機械を払の炭壁に沿って上下させ、炭壁を鉄爪(ビット)で削り取ることにより採炭する方法であり、深側に下がるとき、炭を集め、戸樋口で鉱車に積み込んでいた。なお、払は、ここでも前進払であった。

また、松岩等によりスクレーパーが通らないときには、発破することもあり、機械の導入により、発じん量が多くなった。

(5) 矢岳坑では、昭和三六年、同三七年ころは、スクレーパー採炭又はホーベル採炭を行っていた。

二瀬鉱業所では、昭和二二年ころから同二六年ころまでは前進払、その後は後退払の長壁式採炭法が行われ、採掘方法は、当初は発破採炭が中心で、ピックも使用されていた。同三〇年ころからは、ジブカッターが導入されたが、機械積みは行われなかった。パンツアーコンベアーの導入された同三二年ころまでは、準備形と出炭方で一サイクルの採炭作業が行われていた。

それぞれの、作業内容、発じん状況は、伊王島坑ないし小佐々坑について述べたところと同様である。

(三) 仕繰作業

(1) 仕繰作業には、坑道の維持管理、坑道の撤収作業、坑道の密閉作業、捲上機の設置場所を作る捲場作り、炭じん爆発防止のための岩粉散布、右爆発伝播防止の水棚管理、坑道清掃等がある。

坑道の維持管理は、坑道が岩盤の圧力により、狭くなることから、コールピックまたはツルハシによる盤打、切り上げ、切り広めを行い、枠(坑枠材は、当初、坑木を使用していたが、徐々に、鋼枠材を使用するようになった。)を入れ替えるなどして、坑道の広さを維持するほか、落盤等で崩落した坑道の補修も必要であった。

坑道の撤収作業は、使用しなくなった坑道から枠、風管、エア管等を撤収する作業、密閉作業は、採掘跡に空気が入らないよう坑道を遮断する作業である。

(2) 仕繰作業は、通常二人又は三人一組で行われ、コールピックやツルハシでは盤打等ができない場合にさく岩機を使用して、発破をかけることがあったが(但し、採炭後の坑道を補修する採炭仕繰では、発破は行われず、したがって、さく岩機も使用されなかった。)、さく孔長は約四〇センチメートル、さく孔本数は三、四本であった。

仕繰作業により発生した岩石や石炭のボタの積込作業に、機械が使用されることはなく、ホゲと掻き板による手積みであった。

(3) 払の撤収作業は、深側から行い、肩に向かうが、水圧鉄柱用の配水管は、作業の早い段階で撤去してしまうので、散水はできず、また、深側の払の天盤は順次崩落してゆくので通気が通らなくなり、発生した粉じんは容易に希釈されなかった(なお、撤収作業において散水が行われていたという渡部証人の供述部分は、信用できない。)。

(4) 以上のような仕繰作業は、作業自体に、コールピックやツルハシの使用、さく孔、発破等、粉じんを発生させるものがあった他、掘進切羽や採炭切羽の近く及び排気坑道で作業を行う場合には、掘進作業や採炭作業で発生した粉じんにも曝露することがあった。また、枠や坑道に積もった堆積炭じんが飛散し、これにも曝露した。

(四) その他の坑内作業

(1) 原告今田智明の従事した坑内での機械修理、火薬管理は、坑内の道具小屋や火薬庫で行っていたもので、右箇所はいずれも粉じんのある環境ではなく、また作業自体も粉じんを発生させるものではなかった。

(2) 原告大田利守雄の従事した車道大工が行うのは、掘進現場の近くでの、掘進跡の整地、枕木敷設、レール敷設、風管延長等の作業であり、右作業に伴い、他の作業で発生した堆積粉じんが飛散し、作業員はこれに曝露した。

(3) 原告河野左郷が従事した坑内修繕方は掘進のエアー管、採炭のエアー管と散水管の延長と撤廃、及びそれらの維持管理、並びにホイスト(捲上機)やポンプの据付けが作業内容であった。右作業自体によって粉じんが発生することはなかったが、堆積粉じんを飛散させ、これに曝露することはあった。

(4) 原告河野が、従事した試錐作業には、探炭ボーリング(石炭を探すため、上方又は下方に、あるいは石炭層までの距離を確認するため片盤坑道から約四五度上方に孔削するもの)と先進ボーリング(掘進、採炭作業に先立って、水抜きやガス抜きのために行うもの)があった。右作業には、圧力水を用いた試錐機が使用されていたので、作業自体は、粉じんを発生、飛散させるものではなかったが、作業箇所が、掘進坑道の延先や片盤坑道であり、掘進作業や採炭作業により発生した粉じんに曝露される危険があった。

(5) 原告廣瀬邇が従事した坑内での運搬作業は、掘進切羽や採炭切羽から、硬や炭を積載して捲立に送られてきた鉱車を連結し、捲上機により坑外まで搬出する作業であった。右作業箇所である運搬坑道は、入気側の幹線斜坑や水平坑道であったから、他の作業により発生した粉じんに曝露することはなかったが、鉱車を坑外に搬出する際には、入気の方向に逆らって進行するため、積載している硬や炭から粉じんが飛散し、鉱車の後部に添乗する運搬作業員は、これに曝露する危険があった。

(五) 選炭及び検炭作業

原告大渡貞夫が、伊王島坑の坑外で従事した選炭及び検炭作業は、その全期間を通じ、以下のとおりであった。

(1) 炭又は硬を積んだ鉱車は、捲上機により、九ないし一七函が連結されて坑口に上げられ、チップラー(鉱車に積まれている炭又は硬を下部のホッパー等に落とし込むための回転装置)まで運ばれた。

(2) 炭チップラーには、作業員三名と検炭係一名が配置されており、連結された鉱車が坑口から上がってくると、まず、検炭係が、屋外で炭の積載量等を記録し、その後、鉱車をチップラー小屋(柱と屋根のみで、壁はなかった。)内の炭チップラーに入れ、作業員一名が後続の鉱車との連結棒をはずすピン切り作業をし、他の作業員が鉱車を炭チップラー(台数は、二台であった。)に固定して、回転させ、炭をホッパーに落した。

なお、この後の過程の選炭作業には、原告大渡は従事したことがない。

(3) 硬を積んだ鉱車は、更に、坑口から離れて位置していた硬チップラーの小屋(壁のある建物)に運ばれ、硬チップラー(台数は、一台であった。)の操作により、硬が硬ポケットに入れられたが、その作業内容は、ほぼ炭チップラーと同様であった。

もっとも、硬チップラーが設置された昭和三二年ころまでは、鉱車から直接、斜面下の硬捨て場に投棄していた。

(4) 検炭係以外の作業員は、炭チップラーと硬チップラーを一週間交替で担当し、八時間の作業中に、約六〇〇台分の炭及び硬を処理していた。

炭や硬が落下する際には、函部分の幅約一メートル、長さ約二メートル、高さ約一メートルの鉱車から一度に落下するため、多量の粉じんが発生し、各チップラー小屋内の作業員はこれに曝露したが、検炭係は、小屋の中では作業をしなかったので、粉じんに曝露することはほとんどなかった。

(六) この他、原告廣瀬邇が従事した採炭関係の保安係員の仕事は、坑内を巡回し、通気の状況、ガスの有無等を点検する仕事であり、それ自体は粉じんを発生させる作業を伴わなかったが、坑内の作業現場を巡回するときには、各種作業で発生した粉じんに曝露することはあった。

原告宮崎正司は、同原告の従事した坑外でのボイラーマンの仕事においても、コークスに水をかけたときに粉じんが発生していたと主張するけれども、右作業において粉じんが発生していたとの事実を認めるに足りる証拠はなく、以下においては、同原告の右稼働は考慮の外におくほかはない。

5  作業時間

甲第一五九、第一六四号証、第一一〇一号証の五、第一一〇二号証の六、第一一一二号証の七、第一一一四号証の九、第一一一六号証の七、第一一一八号証の四、第一一一九号証の九、第一一二一号証の六、第一一二三号証の八、証人渡部能和、同宍戸連次郎及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一)(1) 掘進、採炭、仕繰、選炭等の作業員の作業時間は、一番方(甲方)が午前七時から午後三時、二番方(乙方)が午後三時から午後一一時、三番方(丙方)が午後一一時から翌日午前七時の、三交替制とされていた。

但し、昭和三九年ころから、仕繰は、通常一番方のみで稼働することとなった。

また、御橋鉱の掘進作業従事者は、午前七時から午後五時までが労働時間であり、二瀬鉱業所では、原則として、二交替制が取られていた。

他の坑内作業員は、車道大工が昭和三九年ころから、合理化により一番方のみの稼働となるなどしていたが、労働時間は、他の作業員とほぼ同様であった。

(2) 小佐々坑で個人掘に従事していた者には、指定される勤務時間はなかったが、一日一二時間を超える相当長時間にわたる労働が行われていた。

(二) 本件各炭坑のいずれにおいても、坑口から作業現場までの所要時間はおよそ片道一時間であったので、現実の作業時間は、最初と最後の各一時間を除く約六時間であったが、残業が多く行われていた。

6  じん肺に関する知見、じん肺防止措置及び行政法令等

炭鉱労働者に関して問題となるじん肺は、遊離けい酸によるけい肺、炭素じん等による炭肺(ないし炭素じん肺)及びその混合(炭けい肺)であるから、以下においては、けい肺、炭肺を中心に検討することとする。

甲第一ないし第六、第九ないし第一三、第一五、第一六、第一八ないし第二四、第二六なしい第四〇号証、第四四号証の一、二、第四五、第四六、第四八号証、第四九号証の一、二、第五〇、第五二、第五三、第五七ないし第六〇、第六二ないし第七〇、第七三、第七四、第七七ないし第八〇号証、第八一号証の一、第八二、第八三、第八五、第八六、第八八ないし第九三号証、第九四号証の一ないし三、第九五、第九七、第九八号証、第九九号証の一ないし三、第一〇〇、第一〇七ないし第一一一、第一一三、第一一五、第一一六号証、第一七四号証の一ないし四、第一九〇ないし第一九三号証、第一九七、第二二一ないし第二二三、第二二五、第二二六、第二七〇、第二七一号証、乙第七三号証の一、第八一号証、第一〇七、第一〇八、第一五三、第二一八、第二二四、第二二九ないし第二三三、第二三五なしい第二三八号証、第二三九号証の一、二、第二四一号証、第二五〇号証の一、二、第二五一ないし第二五五、第二五七、第二六一(但し、乙第二六三号証の二ないし四に照らし、医学的知見に関する部分を除く。)、第二七三ないし第二七九、第二八五、第二八八、第二八九、第二九二、第二九四、第二九五、第二九七、第三〇七、第三〇八号証及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

炭鉱におけるじん肺の知見に関する証人乾修然の供述は、同証人が炭鉱での経験をほとんどもたないこと及び右各証拠に照らし、信用できない。

(一) 明治年間には、炭鉱で炭粉刺激による慢性肺炎が発生しているとの調査報告や死亡した鉱夫の剖見から、多量の粉じんの吸入が呼吸を妨げるとの鉱山勤務医の報告が医学雑誌になされ、粉じんを吸入する職業に従事する者に「炭肺」等肺の病的変化が起こることを指摘するものがあった。

大正年間には、北海道の鉱山医が、北海道の坑夫の健康状態調査に基づいた報告において、「炭肺」を炭鉱病としてとらえ、炭鉱に一〇年以上勤務した鉱夫、殊に坑内夫の右疾病罹患率が他の疾病に比べて高く、勤続年数に応じて増加すること、一度罹患すると坑外に転換させる必要のあること等を指摘し、内務省社会局の技師は、鉱山衛生の概説書において、炭肺が、炭鉱労働により吸入した炭じんが漸時肺実質に侵入沈着して生じるものであり、軽度の場合は自覚症状を欠くが、炭じんの沈着がある程度に達すると、咳嗽、墨汁喀痰、呼吸困難、貧血等の諸症状が現れ、更に進行すると肺気腫に移行することが多く、炭じんの沈着が過度であれば、ついには肺に空洞を生ずるに至ると指摘していた。

また、粉じん量を測定して、当時使用されていた乾式さく岩機(もっとも、一部金属鉱山では湿式さく岩機が使用されていたし、大正一五年には、後に被告が経営した鹿町炭鉱等で湿式さく岩機が使用されていた。)による発じん量の著しさとその危険性を指摘する研究や防じんマスクの必要性を指摘し、それを研究するものが存在し、大正六年には、市販されている防じんマスクがあった。この他、炭肺の予防方法として、通気の確保、散水等が提唱されていた。

なお、大正一三年ころには、内務省社会局が、鉱山を対象として、「坑夫ヨロケ病」の調査、報告を行い、同一四年には、全日本鉱夫総連合会等がヨロケの実態を訴えるパンフレットを出していたが、ヨロケ、炭肺等の疾病の概念については一致をみるに至っていなかった。

(二)(1) 被告設立前である昭和一三年ころまでの昭和初期には、鉱肺(けい肺)は、岩粉中の遊離けい酸により肺に線維性変化が起こる疾病で、主として金属鉱山の鉱夫に発生するが、北海道等の炭鉱においても右疾病の罹患者が相当数発見されているとの報告が石炭鉱業連合会が発行していた業界誌「石炭時報」に掲載された。また、炭肺等のレントゲン学的研究が行われるようになり、純粋炭じん吸入者は必ずしもレントゲン写真上異常を示さず、粒状影等は極まれであるが、石じん(塵)等の吸入者と質的に区別できない肺の変化が起こり、肺気腫が高頻度に見られるとの報告がなされた。

もっとも、このころには、けい酸を含む岩石じん(塵)によるけい肺に比べ、炭鉱夫に起こる炭肺は、慢性的に進行し、臨床上特異な症状を呈することはほとんどないとの見解が多く示され、昭和一〇年ころには、肺臓に重篤な病変を惹起させるのはけい酸又は石綿であり、線維増殖性変化を伴わない炭鉱の粉じんはこれと異なるとの見解も示された。すなわち、炭じんは、石じん・鉱じん(塵)に比べ比較的無害であるとの見解が大勢であったが、炭じんを石じん・鉱じんと混合して吸入したときは、じん肺が高度に進行することもあり、高度に進行した場合には、肺気腫、肺結核の合併、労作による呼吸困難、貧血が現われるともされていた。中でも、夕張炭鉱病院長白川玖治は、「北海道の炭肺に就いて」と題する報告において、純粋炭じんの吸入によってはじん肺は発生しないとしていたものの、現実の炭鉱夫が吸入する粉じんには石じんが混入していると指摘し、純粋炭じんのみを吸入した者のレントゲン写真にも小結節が認められ、これはけい肺における肺の変化と質的には同一であり、量が異なるのみであると述べていた。このように、総じて、じん肺発生に対するけい酸の有害性を重視する見解が強かったものの、炭鉱においてけい肺が発生しないとの見解や炭鉱で発生する粉じんが完全に無害であると主張する見解は存在せず、同八年ころには、米国での調査結果に基づく報告として、炭じんの吸入がけい肺の予防になるという考えを否定する見解、炭じんの吸入が炭鉱夫に多い結核の予防に役立つとの考えを否定し、むしろ結核の発生を促進、増悪させるとの見解も発表された。

なお、昭和九年には、日本鉱山協会が商工省鉱山局、内務省社会局の後援で、東京、福岡等において鉱山衛生講習会を開催し、じん肺についての知識の普及を図った。

以上の研究等により、昭和一三年ころには、じん肺とは、種々のじん埃の吸入により肺に二次的変化を招来させる疾病の総称とされ、じん埃の種類により、鉱肺、炭肺、石肺等の名称が使用された。病理学的には、異常微細物質が外気道を経て組織に侵入、それにより線維性変化を起こし、肺の弾力性が減少し、呼吸困難を招くこと、レントゲン写真上は、肺門像の濃大及び肺紋理の増強、小斑点の存在、融合性陰影の出現と順次進展すること、炭肺は、一般には緩慢に進行し、特別の症状を呈さないが、進行の程度は、個人の素因、粉じんの種類、多少によって様々であり、咳嗽、息切れ等の症状を示し、肺の聴診、打診で変化がみられること、気管支炎、肺気腫の併発、肺結核の続発があり、高度に進行した場合には死に至ることもあるが、既に吸入された粉じんを排除する方法はなく、療法は対症療法にとどまるため、予防が重要であることが認識されていた。

(2) 昭和初期には、作業の機械化の進展に伴い、発じん量が増加したことから、粉じん予防策についての関心が高まり、乾式さく岩機使用時の防じんマスクの必要性が説かれたり、岩粉防止装置として英国の炭鉱で広く用いられるようになったスゴニナ岩粉袋や発破による粉じんを鎮静させるための油噴霧の研究が石炭時報に紹介されたり、同国での乾式さく岩機による岩粉集収装置の実験結果が日本鉱山協会に伝えられていた。また、日本国内においても、鉱山関係者が同様の実験を行っていたし、金属鉱山における粉じん発生量の測定により、機械の使用、発破等により著しい発じんがあることが明らかにされ、それを踏まえて、散水等による発破時の粉じん抑制の試験結果が報告された。また、じん肺において有害な粉じんの大きさが、一〇ミクロン程度以下であるとの指摘もなされていた。

昭和一〇年ころには、じん肺予防方法としては、発じん防止のための乾式さく岩機用収じん装置や湿式さく岩機等の防じん装置の使用、発破作業等による粉じん発生、飛散防止のための散水、換気、粉じん吸入防止のための防じんマスク使用と鉱夫に対する着用指導、労働時間の短縮、発病予防としての健康診断、職場転換等があると考えられ、それを実現するための工学的研究が行われ、湿式さく岩機については、一部炭鉱で既に使用されていた。

(3) 行政法令では、明治二五年三月に制定された鉱業警察規則が、昭和四年に改正され(同年一二月六日商工省令第二一号、以下「鉱警則」という。)、坑内就業者に多いけい肺や炭肺を予防する目的で、著しく粉じんを飛散する坑内作業をする場合においては注水その他の粉じん防止の施設を設け、やむを得ない場合においては、適切な防じん具を備え、これを使用させるべきこと(六三条)、選鉱場等坑外作業場で著しく粉じんを飛散する場所においては、粉じんの飛散防止のため、散水、粉じんの排出、装置の密閉等適当な方法をとるべきこと(六六条)が規定された。右目的等の商工省技師による解説は、石炭業界雑誌である「石炭時報」にも掲載された。

同五年六月三日には、内務省社会局労働部長発労第一五四号通牒により、同一鉱山に原則として三年以上就業した鉱夫がけい肺に罹患した場合には、当該鉱山の性質上けい肺発生の原因がない場合(炭鉱はこれに該当しないと解されていた。)を除き、右疾病は業務上の疾病であると推定し、当該鉱夫に対し、鉱業法に基づく「鉱夫労役扶助規則」を適用し、障害扶助料を支給することとされ、商工省鉱山局の統計資料「本邦鉱業ノ趨勢」は、この年から、呼吸器疾患としてけい肺・炭肺の項目を掲げ始めた(これは、鉱警則七四条に基づく、鉱山からの報告によるものと推認される。)。

(三)(1) 戦後、被告北松鉱業所において、「珪肺症患者取扱内規」(後記二1(一)参照)が制定された昭和二八年までの間には、それまでに蓄積された知見を承継しつつ、じん肺の種類、症状や原因の研究が行われた。この過程で、粉じん中最も有害なのはけい酸じんで、これがけい肺の原因であると改めて認識され、純粋炭じんの吸入ではけい肺に罹患しないとの実験結果も引き続き発表されていたが、炭坑内の粉じん、すなわち、頁岩粉及び炭じんは、肺内で自然に排斥された累積的悪影響はないものの、多年吸入すると炭じんが肺実質に侵入・沈着して炭肺となり、炭じんの沈着がある程度までに進んだ時は咳嗽、墨汁喀痰、呼吸困難、貧血等の諸症状が現われ、肺気腫に移行することが多く、肺に空洞を生ずるに至ることがあると大正期から指摘されていた炭肺の危険性も指摘されていた。

また、海外でのけい肺発生状況や防止対策等の紹介において、炭鉱でもけい肺が発生し、死者も出ていることが紹介され、昭和二四年には、前年度の調査結果として、砂岩・頁岩を地質とする九州の炭鉱においてけい肺が発生し、一部の炭鉱では同一四年から罹患者が発生していることが、労働省の報告として公衆衛生学会誌に発表された。同二六年ころ、同省では、けい肺の他のじん肺は主として炭肺であり、純粋な炭肺というよりも、炭けい肺であると考えていた。

(2) このころ、乾式さく岩機に対しては収じん装置がいくつか考案されていたものの、炭鉱での実用に耐える収じん装置が少なく、防じんマスクの使用が主流となっていたが、防じんマスクは、労働者が着用を好まないので、着用を徹底するための訓練を必要とすると指摘されていた。この他のじん肺予防策としては、従来どおり、通気の改善、さく岩機やカッター、運搬機使用時の噴霧器での散水、採用時及び定期の健康診断の必要性が説かれ、同二五年には、選炭場、チップラー操作場の粉じんの多さを指摘し、右作業場での防じんマスクの必要性が指摘されるに至った。

(3) 行政法令等では、昭和二三年四月、金属鉱山復興会議が、衆参両議院議長に対し、「鉱山労働者珪肺対策に関する建議」を行う一方、同二二年に設置された労働省が、労働者保護対策の重要な一環としてけい肺問題を取り上げ、同二三年七月「珪肺対策協議会」(翌二四年に「珪肺対策審議会」となった。)を設けるとともに、同年一〇月から、「珪肺巡回検診要綱」に基づき、全国の主要鉱山及び炭鉱を含むけい肺発生のおそれのある事業所に対しけい肺巡回検診を行った。そして、その結果に基づき「珪肺措置要綱」(昭和二四年八月四日基発八一二号)及び「労働基準法施行規則三五条七号の取扱いについて」(同八一三号)を決定した。これらは、けい肺罹患者を要領一ないし要領三に分類し、それぞれに応じた保護具の使用、健康管理、労働管理等を実施し、休業者には労働基準法による補償を行うこと、加えて、けい肺発生のおそれのある事業所の医師に対するけい肺教育の実施の内容としていた(なお、「珪肺措置要綱」は、同二六年一二月の改正により、各要領の対象とされる範囲が若干変更された。)。

鉱警則を引き継ぐものとして、昭和二四年八月一二日、炭則(通産省令第三四号)が制定施行され、衝撃式さく岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならないが、防じんマスクを備えたときはこの限りではないこと(二八四条)、作業中多量の炭じんが飛散する場所又は箇所、すなわち炭じんを発生させる採炭機械を使用するとき、炭層発破の前後、炭じんが発生しやすい採炭作業場、石炭の積込口においては、炭じんを鎮静するため散水しなければならない(一四一条)ことが規定された。なお、炭則は、その後、数次にわたって改正され、同二五年、けい酸質区域(掘採作業現場の岩盤中に遊離けい酸分を多量に含有し、通産商業大臣が指定する区域)制度を創設し、同四七年までに、右区域において、せん孔前の岩盤等への散水、湿式さく岩機の使用、右さく岩機に使用する配水管の設置、発破の際の粉じん曝露回避を行うことが義務付けられ(なお、金属山におけるけい酸質区域制度は、同二七年に廃止されている。)、同三〇年には、規制される粉じん作業が、岩石掘進、運搬、破砕等の著しく粉じんを飛散する坑内作業に拡大された。

また、昭和二五年一二月には労働衛生保護具検定規則に基づき防じんマスクの国家検定規格が定められた。

(四)(1) 旧じん肺法が制定された昭和三五年三月ころまでは、じん肺の病理機序の基本的理解はこれまでと同一であるが、炭鉱において発生する粉じん中の遊離けい酸濃度を分析する研究等が行われ、昭和二八年ころに行われた伊王島炭鉱等の岩粉中のけい酸分(遊離けい酸以外のけい酸も含んでいた。)分析研究では、最低値約五〇パーセント、最高値約六三パーセントとの結果が得られた。また、防爆用に散布する岩粉に含まれる遊離けい酸の危険性についても指摘がなされた。同三二年ころに長崎、佐賀の炭鉱夫に対して実施されたけい肺検診では、発生率が二二パーセントであった。

(2) 右時期には、じん肺予防は、ひとつの方法では有効な対策にならず、二、三種類の粉じん予防法を併用のうえ、防じんマスクを使用させ、着用するよう教育を行うべきであることが明確に指摘されるようになり、散水、機械の湿式化、収じん機、粉じん測定による粉じん状況の把握、作業転換の必要性が繰り返し説かれ、実験結果も発表された。

また、防じんマスクに関しては、性能維持等のため、その管理の必要性が説かれ、昭和三三年ころには、防じんマスクを一括管理(洗浄、乾燥、交換)していた会社があったし、このころには、静電気を使用して粉じんを捕捉し、吸気抵抗の少ない静電濾層を使用した防じんマスクが、同三五年には、更に性能の優れたミクロンフィルターが開発された(この開発を承けて、同三七年には、防じんマスクの国家検定規格が改訂された。)。

このような中で、昭和三〇年ころには、鉱山保安局が指導した金属鉱山では、ほぼ九九パーセント湿式さく岩機を使用するようになっていた。また、経済的事情で湿式さく岩機を使用できない場合には、乾式さく岩機の収じん機を使用すべきであるとされ、同二八年には足尾式一一番型さく岩機用収じん機が、同二九年には、ケーニヒスボルン型さく岩機用収じん機及び宝式さく岩機用収じん機が、同三三年には、ピオニアーさく岩機用ラサ式排風装置が、鉱山保安局長により、炭則二八四条の二(同条は、けい酸質区域に適用される。)に定めのある鉱山保安監督部長の許可を受けた粉じん防止上、湿式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械として認可されていた。

(3) 昭和三〇年七月、けい特法が制定され、同法及びその継続のために同三三年五月に定められた「珪肺等の療養等に関する臨時措置法」(以下「けい臨法」という。)において、使用者の、粉じん作業に常時従事させる従業員に対する就業時及び定期その他のけい肺健康診断の実施義務、けい肺症状決定の結果通知の手順、けい肺罹患者の作業転換、離職の勧告及びそのための補償並びに療養補償が定められた。

更に、昭和三五年三月三一日、石綿肺・滑石肺等の鉱物性粉じんをも対象とする旧じん肺法が制定され、けい特法同様の健康診断、作業転換、離職、それらの補償等の定めを置いた他、一般的にではあるが、防じん対策及びじん肺教育の実施が義務付けられた。

なお、労働省は、昭和二九年三月の「珪肺対策審議会」の粉じん恕限度専門部会答申を受けて、同三三年五月、労働省労働基準局長通達(基発第三三八号)による、けい特法別表第二に定める粉じん作業についての労働環境改善の一般的措置を定めた「労働環境における職業病予防に関する技術指針」において、粉じん恕限度を、当面の目標として、遊離けい酸含有量五〇パーセント以上の粉じんについては、空気一cc中七〇〇個、右含有量がそれ以下の粉じんについては、同一〇〇〇個(二〇ミリグラム)としていたが、右専門部会の答申は、じん肺、けい肺発生のおそれがあり、衛生管理上なんらかの措置を必要とする基準として、遊離けい酸含有量一〇パーセント以上であれば空気cc中四〇〇個、右含有量がそれ以下であれば、同一〇〇〇個、進行性のじん肺症例が発生するおそれが高い基準として、右含有量区分に従って、それぞれ同四〇〇から一〇〇〇個、同二〇〇〇個としていた。

7  被告会社が負うべき安全配慮義務の内容

(一) 前記6記載の事実によると、遅くとも昭和一四年ころには、炭肺に関する医学的知見は、炭じんの吸入によって生ずる炭肺の症状は一般に軽度ではあるが、遊離けい酸を含む石じんを吸入することによって生ずるけい肺と質的には同一の肺の変化を来すものであり、炭じんの沈着が過度になれば、肺気腫、肺内の空洞の発現等重大な障害を引き起こすというに至り、炭肺よりも有害であるとされていたけい肺についても、炭鉱で発生する粉じんには、けい酸の原因となる遊離けい酸も含まれているから、炭鉱においてもその罹患の危険があるとの知見に至っていた。そして、その予防策としては、散水、さく岩機の湿式化、乾式さく岩機等に対する収じん機の使用、発破による粉じん曝露の回避、通気の改善、防じんマスクの使用、労働時間の短縮、健康診断の実施、作業転換、従業員に対するじん肺教育等の必要性が認識されており、その実施も、時代により、それによる効果の程度に変遷はあったが、可能であった。

(二)(1) 被告は、じん肺の医学的知見に関し、一般的な医学知見において、炭鉱でけい肺が発生することを認識し得たのは、昭和二五年ころ、炭じんによりじん肺が発生することを認識し得たのは、同三〇年ころであり、戦前の研究は、一部の先駆的研究者によってなされていたものに過ぎず、水準的な医学的知見とはいえないと主張する。

なるほど、甲第八四号証には、じん肺研究において「戦前は暗黒期」であったとの記載があり、甲第五七、第六六、第七三、第七四、第九一、第一一一、第一一五、第一一九号証、第二〇一号証の二、三の一、第二五八号証の二、乙第八五号証の二、第二二四、第二二九ないし第二三二、第二三六、第二三七号証、第二三九号証の一、二、第二四〇ないし第二四二、第二八六号証によると、けい肺ないしじん肺問題が社会の関心を呼び、医学的、行政的、組織的に取り上げられ、系統的な研究が国の規模で、本格的に行われるようになったのは戦後、昭和二三年ころからであり、戦前の研究の規模は大きくなかったことが認められ、また、乙第二三一、第二三四ないし第二三八号証によると、同二〇年代初めころまでは、医学界一般のじん肺に対する関心は低かったことが認められる。しかしながら、じん肺のように「限られた不幸な人達の間だけの疾患」(乙第二三四号証)といわれるような職業病においては、その発生の予見可能性の有無につき、医学界一般や社会的な関心の程度を問題とするのは相当ではなく、前記6(一)及び(二)で認定したように、同一四年ころまでには、当該疾病の発生する職場に関連する医師等により研究が行われ、その結果等の情報は、関連業界にも伝わっていたのであるから、被告の右主張は失当である。

殊に、乙第二三八号証によると、昭和五年に「鉱夫労役扶助規則」が制定されて以降も、鉱山経営者は、自己の鉱山におけるけい肺発生をできるだけ隠そうとする傾向が強く、検診を行い予防措置を講ずることの必要性が力説されても、労働者を無用に刺激し不安に陥れるだけであるとの理由で拒否し続けたとの事実もあるというのであるから、なおさらのこと、被告の右主張は採用することができない。

乙第二四一号証には、炭鉱において初めてけい肺が取り上げられたのは昭和二三年ころからである旨の記載があり、「筆者は三〇年以上炭鉱で働いて来た者であるが、炭鉱においては、よろけ等は、全く見た事はなかった。」と記載されているけれども、同証拠によれば、右筆者は、「炭鉱に於いては、けい肺はないと考えていたのは、文字通り不覚であった…。」ともしているのであり、右記載は、前記判断を覆すに足りるものではない。

また、乙第二三八、第二七八号証には、御厨潔人が、昭和二六年ころに、初めて炭鉱におけるけい肺を報告したかのような記載があるけれども、乙第二二八号証の一、二において、同人が認めているように、これ以前においても、炭鉱でのけい肺罹患者は報告されていたのであるから、右記載は、前記認定を左右するものではない。乙第二二八号証の一、二、第二八四号証には、同二四年ころには、鉱山医師、炭鉱技術者、炭鉱労働者の労働組合に、炭鉱でじん肺が発生することを認識していなかったものがあり、佐世保労働基準監督署にも報告された例がない旨の御厨の供述記載があり、これは、乙第二六〇号証に示された谷口永恭の意見の記載、証人前嶋貞幸、同渡部能和、同鴨川純一郎、同中野輝和、同井杉延寿らの各証言内容(なお、同各証言によれば、同証人らは、それぞれ、被告従業員であった。以下、同証人らを「被告従業員であった証人ら」という。)と合致するけれども、前記6(一)ないし(三)で認定した当時のけい肺等に関する知見及び行政法令等に照らすと、右各証言等は容易に信用することができない。

(2) 次に、被告は、昭和一四年当時は、けい肺は金属鉱山における病気であって、炭鉱では、けい肺は発生しないと考えられていたと主張し、乙第二四四、第二四五、第二四七号証によると、昭和七年から同一九年ころの産業衛生及び医学関係の論文等において、けい肺に罹患する職業として炭坑夫が掲記されていないことが認められ、乙第二六五号証等右主張に合致する証拠も散見される。しかしながら、右各書証の記載は、当該職業病の発生する代表的な職業を掲記したものと解され、その意味で、炭鉱よりも金属鉱山におけるけい肺が問題となっていたとはいえるけれども、右各記載が、炭鉱におけるけい肺発生の可能性を否定するものであると解することはできず、これをもって、被告の右主張を裏付けるものとすることはできない。福岡鉱山監督局の立山方による「鉱夫災害扶助規則義解」(乙第二五一号証)の巻末付録「業務上の疾病一覧表」も、けい酸を含む粉じんを飛散する作業による肺結核を伴う又は伴わざるけい肺の生ずる作業として「金属山の坑内作業」のみを、眼球振盪症、ワイル氏病を生ずる作業として、「石炭山の坑内作業」のみを掲げているが、先に6(二)(3)で認定したように、「鉱夫労役扶助規則」は炭鉱を除外するものではなかったのであるから(乙第二六三号証の三参照)、右記載を右作業以外には疾病が発生しないことを意味すると解するのは相当でない。なお、右通牒の目的は、金属鉱山ではけい肺防止と一般衛生であったが、炭鉱では一般衛生のみでけい肺予防を目的とするものではなかった旨の通産省九州鉱山保安監督局鉱務監督管理官の陳述記載(乙第二六〇号証)は、右通牒が出される前年に、鉱警則がけい肺予防の目的で改正され、これが炭鉱にも適用されていたこと(前記6(二)(3)参照)に照らし、信用できない。更に、昭和一三年のILOの会議においてわが国が行った発表の中には、炭鉱でのけい肺への言及がない(乙第二五〇号証の一)けれども、同会議においては、炭鉱でもけい肺の発生の可能性があるとされ、それがわが国にも紹介されているのであるから(乙第二五七号証)、同一四年ころ、わが国において、炭鉱でけい肺が発生するとの認識がなかったということはできない。乙第二六四号証の荒木忍の供述記載及び証人伊木正二の供述もこれを覆すに足りるものではない。

甲第五〇号証、乙第二三六号証、第二三九号証の一、二、第二四一、第二七一、第二七二号証によると、戦後のけい肺運動等において、特に早くから問題になったのは金属鉱山であり、労働省によるけい肺巡回検診も、第一年次は金属鉱山のみが対象で、炭鉱は第二年次から行われたこと、「珪肺対策審議会」でのけい特法の審議も、金属鉱山が中心的問題とされたことが認められるけれども、前記(1)で説示したように、社会的関心の程度を問題にすることは相当でないし、金属鉱山でのけい肺が中心的な問題とされると同時に、炭鉱も対象とされていたことからすると、これらをもって、被告の右主張を認めることはできない。

以上に述べてきたところから、昭和二五年ころまで、炭鉱でけい肺が発生するとの一般的認識はなかった旨の被告の主張が失当であることは明らかである(乙第二六六ないし第二六九号証等、炭鉱でのけい肺に言及していない文献が見られるけれども、これらが、炭鉱でのけい肺発生を否定するものと解することはできない。)。

(3) 更に、被告は、炭肺に関し、昭和一四年当時、炭肺の発生が指摘されていたとしても、それは、健康被害を招来するものとはされておらず、炭じん等、けい酸以外の粉じんの有害性が認識されたのは、昭和三〇年代前半であると主張する。

なるほど、甲第六二、第六五、第九一、第一〇四、第一一一、第一一五、第一一七、第一九二、第一九三号証、乙第八四、第二二九ないし第二三二、第二三三、第二三八、第二四一、第二五三、第二五四、第二七三、第二七四、第二七六号証等には、昭和三〇年ころまでは、線維増殖性変化の多少やその進行速度の点から、遊離けい酸の有害性がもっとも重視され、けい肺と石綿肺は有害であるが、炭肺は、臨床症状や機能障害の発現がほとんど認められず、ほとんど無害な良性じん肺であると考えられており、この認識が改められ、全ての無機性粉じんが有害であることを表明したのが旧じん肺法であるという趣旨の記載があり、同六年ころには、「炭坑における塵肺問題―即ち炭肺は産業管理上又坑内衛生上左迄重要視すべきものにあらざる」旨の提言をするものもあった(乙第二五五号証)ことが認められる。

しかしながら、これらにおいて、「無害」又は「良性」というのは、けい肺や石綿肺に比べると、線維性変化の程度が軽く、比較的短期間に肺機能障害を招来することが少ないという比較の問題にとどまり(甲第三〇、第三七、第八五号証、乙第二五三号証)、前記6(一)及び(二)で認定したように、肺内の沈着量が大量になれば機能障害を招くという点ではほぼ一致していたと解される。これに、炭鉱において、現実に発生する粉じんには、石じんが多少とも混入していること(したがって、より機能障害を惹起しやすいけい肺との合併が予想されること)、使用者の安全配慮義務の履行により保護されるべきは、労働者の生命、健康であるという被害法益の重大性に鑑みると、たとえ軽症であっても健康被害が発生することを認識し又は認識することが可能であれば、使用者は、その健康被害の発生を予防すべき安全配慮義務を負うというべきであって、労働能力に影響がない程度の軽症でしかないという事由は、被告会社の安全配慮義務を免れさせるものではない。同様に、当該疾病のわが国炭鉱における発生頻度が不明であったとしても、炭鉱における粉じんが原因であることが明らかである以上、安全配慮義務を負わないとすることはできない。

このように 昭和一四年ころには、遊離けい酸の含有量が多くはない炭鉱での粉じんを吸入することによって、炭肺が発生することが認識され、又は認識することが可能であり、これを予防するための安全配慮義務が肯定される以上、昭和三〇年までの主な研究対象が「けい肺」であり、同三〇年代前半からは「じん肺」とするものが増えたこと(甲第六五、第九五、第一〇四号証、乙第二八〇号証の一ないし二六、第二八一、第二八二号証)や、行政法規が、まず、遊離けい酸を規制の対象としたことにより、右判断が左右されるものではない。労働省による巡回検診が実施された後で、旧じん肺法制定に向けた種々の活動が行われていた昭和三〇年代前半に、右巡回検診の結果を踏まえ、炭鉱でのけい肺ないしじん肺(かつての「炭肺」がこれに含まれる。)の実態を報告するものや、けい酸じん以外の粉じんの有害性を明確に指摘する調査研究が多数発表されたのは、当然のことであり、この事象をとらえて、炭鉱における遊離けい酸以外の粉じんの危険性の認識が右時期以降に発生した根拠とすることはできない。

(三)(1) ところで、被告は、石炭鉱業に対しては、鉱山保安のために、行政法令による厳重な監督が行われており、その法規の基準は、各時代における鉱山技術、衛生工学技術の最高水準であったから、使用者の安全配慮義務の範囲は、右法規の水準を超えることはない旨主張する。

しかしながら、鉱山保安法、炭則等の行政法令の定める労働者の安全確保に関する使用者の義務は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき安全配慮義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から、特に重要な部分にしてかつ最低の基準を公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないから、右行政法令等の定める基準を遵守したからといって、信義則上認められる安全配慮義務を尽くしたものということはできない(最高裁平成元年(オ)第一六六六号同六年二月二二日第三小法廷判決、福岡高裁昭和六〇年(ネ)第一八一号、第一八二号、第三三九号平成元年三月三一日判決参照)。

そして、このことからすれば、金属鉱山に対する行政法令と炭鉱に対するそれとの差異(金属鉱山に対する行政規則のほうが、より厳格であり、炭鉱においては規則がない事項もあったこと)や、旧じん肺法までは、もっぱら遊離けい酸が規制対象とされていたことを理由として、安全配慮義務を免れることはできない。

(2) また、被告は、石炭鉱業の社会的有用性を説き、いわゆる「許された危険」の法理を援用したうえ、右行政法令等の安全基準、衛生基準を遵守することによって安全配慮義務が尽くされる旨主張する。

なるほど、石炭は水力とともにわが国の貴重な国産エネルギーとして不可欠のものであり、石炭鉱業は現代産業において不可欠の基幹産業として、国の石炭政策のもとに、戦時中は国策遂行のため、戦後は経済復興のため社会的に重要な役割を担ってきたことは公知の事実であり、被告も石炭鉱業を目的とする企業のひとつとして右の例にもれなかったと推認され、この意味において、被告の果たした役割を十分評価するにやぶさかではない。

しかしながら、石炭鉱業が社会的に必要かつ有益な事業であるからといって、右業務遂行の過程で労働者の身体、健康に障害が発生しても、それが許されてよいとする理由は見出せず、生命、健康という被害法益の重大性に鑑み、被告の右主張は到底採用することができない。そして、このことは、じん肺のような職業病について、労働基準法その他の行政、労働法令上の災害補償制度が存在することによってもなんら変わりはないというべきである(労働災害補償制度は、一定の範囲内で労働者や遺族の生活保障を図るものにすぎず、労働災害に際して被災労働者がさらに損害賠償を請求し得ることは、労働基準法八四条二項及び労災保険法一二条の四第二項の規定からも明らかである。)(最高裁平成元年(オ)第一六六六号同六年二月二二日第三小法廷判決、福岡高裁昭和六〇年(ネ)第一八一号、第一八二号、第三三九号平成元年三月三一日判決参照)。

(四)(1) 工学技術に関しても、被告は、炭鉱で使用される小型の湿式さく岩機が実用に耐え得るようになったのは、昭和三〇年ころからであると主張し、甲第二二五号証には、ジャックハンマー等の湿式化は、金属鉱山における湿式さく岩機の使用が法規により義務付けられてから発達した旨の記載があり、甲第八一号証の二、乙第二六四、第三〇〇ないし第三〇二号証中には、右主張に沿う記載があり、房村信雄の意見書(乙第二六一号証)、同人の供述調書(同第二六三号証の二ないし四)及び証人伊木正二の供述も、これに沿うものであるけれども、甲第一二、第一五、第一六、第三三及び第三四号証によると、昭和一四年ころまでに、炭鉱において、小型のものを含む湿式さく岩機が使用されていたことが認められ、また、乙第二三八号証によれば、同二七年二月時点で、炭鉱において五三〇〇台を超える湿式ジャックハンマーが使用されていた(割合は、0.7パーセントにすぎないが、その台数の多さは重要である。)こと、金属鉱山では、同二五年にジャックハンマーの湿式化率が33.6パーセントに達していたことが認められ、更に、甲第二一九号証、第二六三号証の二及び三によっても、同二八年以前から、炭鉱で湿式さく岩機が使用され、同二九年には、通商産業大臣官房調査統計部の行った「炭鉱設備調査」も湿式さく岩機と乾式さく岩機に分けて統計を取り始めていることが認められるのであり、これらのことからすれば、被告の右主張を採用することはできない。使用者は、利用可能な技術の限度で、労働者の生命、健康を保護すべき安全配慮義務を履行すべきなのであって、なんら支障のない程度に技術が確立するまで、右義務の負担を免れるものではないのである。したがって、国産の湿式小型さく岩機が完成されたのが同三一年ころであるとの事実(乙第三〇三ないし第三〇六号証によると、右の事実が推認されなくはない。)は、右認定を左右するものではない。

(2) 被告は、防じんマスクについても、さく岩機に関すると同様の主張をなし、同主張の中で、昭和三〇年代後半に実用に耐え得るマスクが開発されたというけれども、大正六年には、既に防じんマスクが商品化されていたことは、被告も認めるところであり、その後、研究開発が行われてきたことは、被告が労働者に提供すべき防じんマスクの種類、程度を変化させることにはなるけれども、より良い防じんマスクが開発される前の防じんマスク提供義務を免除することにはならない。

(3) 乾式さく岩機の収じん装置については、前記6(四)(2)で認定したように、通達により、湿式さく岩機と同様の効果をもつと認められたものがあったのであり、実用に耐え得る収じん機が存在したことはない旨の被告の主張は採用することができない。

(五)(1) そこで、前記3ないし6で認定した事実に基づいて検討するに、被告会社は、労働者に、強制的な通気を行うことが必要な地底の坑道等において、岩粉や炭じんを発生又は飛散させ、これに曝露する危険のある作業を行わせていたのであるから、遅くとも前記(一)記載の医学的知見及び予防技術の存在した昭和一四年以降、以下のようなじん肺防止措置をとり、原告ら元従業員の雇用者として、その健康管理、じん肺罹患の予防につき、深甚の配慮をすべき義務があったということができる。

①  作業による発じんを抑制するため、作業前又は作業中に、適切な箇所に、散水や噴霧等を行う。

特に、さく孔作業による発じんの防止に関しては、湿式さく岩機又は乾式さく岩機の収じん機を使用する。

②  作業による粉じんが完全に抑制されない場合は、発生した粉じんが作業現場付近に滞留しないよう適切な通気を確保する。

また、労働者の粉じん曝露を避けるため、適切な防じんマスクを支給するとともに、着用を指導、監督し、更に、発破による粉じんの曝露を避けるため、粉じんが希釈されるまで労働者を作業現場に立ち入らせないよう監督するか、上がり発破や中食事発破を行うよう指導、監督する。

③  健康診断を定期的に実施し、じん肺罹患者の早期発見、健康管理に努め、じん肺所見の認められた者に対しては、診断結果を通知するとともに、作業転換等の適切な措置をとる。

④  以上の対策を有効に行うため、じん肺の原因、症状、予防方法及び補償制度などを説明、教育し、じん肺対策の重要性を認識させる。

(2) 原告らは、右の外、粉じん曝露時間の制限など労働条件の改善を行うべき義務も負っていたと主張するところ、前記(一)で述べたように、じん肺対策としてその必要性を説くものもあったが、じん肺所見のない者も含め労働者全員の粉じん曝露時間をどの程度に制限すべきであったかを明らかにするに足りる証拠はなく、被告会社による履行、不履行を認定し得る債務の内容を特定することが困難であるから、以下においては、安全配慮義務として考慮の外におくほかはない。

また、原告らは、被告には、離職後の労働者に対しても、じん肺健康診断を含む定期的な健康診断を行い、補償制度やその申請手続についての教育を行い、就労不能になった労働者に対しては、生活保障をなすべき義務があった旨主張する。

しかしながら、雇用契約の付随義務である安全配慮義務の内容として、原告らの右主張のような義務を認めるのは困難と解されるし、仮に、被告が右義務を負うことが認められるとしても、補償制度についての教育や生活保障に関する義務は、その不履行が、後に検討する原告ら元従業員の損害の発生ないし拡大と因果関係を有するものとは認められないので、本件においては、考慮しない。

二  争点2(被告会社の安全配慮義務違反の有無等)について

甲第一二二、第一二五ないし第一二八、第一三〇、第一三二、第一四一、第一四三号証、第一四四号証の一、二、第一四五ないし第一四七号証、第一四八号証の一ないし四、第一五五、第一五六、第一六〇、第一六二、第一六四号証、第一六五号証の一、二、第一六六号証の一ないし三、第一六七号証の一、二、第一六八号証の一、第一六九号証、第一七四号証の一ないし四、第一七五ないし第一八一、第一八四、第一八六ないし第一八八、第一九五号証、第一九八号証の一、二、四ないし六、第二〇〇号証の一ないし五、第二一八、第二二〇、第二三〇号証、第一一〇一号証の五、第一一〇二号証の六、七、第一一〇三号証の七、甲第一一〇四号証の八、第一一〇五号証の一五、甲第一一〇六号証の五、八、第一一〇七号証の五、第一一〇八号証の三、第一一一一号証の一七、第一一一二号証の六ないし八、第一一一三号証の七、八、第一一一四号証の九、第一一一五号証の八、第一一一六号証の七、第一一一七号証の一六ないし一八、第一一一八号証の四、第一一一九号証の九、一一、第一一二〇号証の五、六、第一一二一号証の六、七、第一一二三号証の六、八、第一二〇一号証の一四、乙第二号証の三、四、六、七、一二ないし一四、第三号証の一ないし七、第四、第五号証、第一四、第一五号証の各一、二、第二〇号証の一ないし三、第二二、第二四ないし第二六号証の各一、二、第三五号証の一ないし三、第三七、第三八、第四〇号証の各一、二、第四三、第四四号証、第四六号証の一ないし五、第四七、第四八号証、第四九号証の一、二、第五〇ないし第五三号証、第五四号証の一、二、第五五号証、第五六号証の一、二、第五七ないし第六一号証、第六二号証の一、二、第九〇号証、第九七号証の一、二、第九八ないし第一〇四、第一〇九、第一一二ないし第一一九、第一二一、第一二二号証、第一二三号証の一、二、第一二五、第一二八ないし第一三二号証、第一三三号証の一ないし六、第一三四ないし第一三七号証、第一三八号証の一、二、第一三九ないし第一四六号証、第一四八、第一四九号証の各一、二、第一五〇、第一五三、第一五四号証、第一六一号証の一、二、第一六二、第一六四、第一六五、第一六七ないし第一七三号証、第一七四号証の一ないし三、第一七五号証の一ないし三、第一七六ないし第一七八号証の各一、二、第一七九、第一八〇号証、第一八一号証の一ないし五、第一八二号証の一、二、第一八三号証の一ないし三、第一八四、第一八五、第一八七ないし第一八九号証の各一、二、第一九二ないし第一九四号証の各一、二、第一九五号証の一ないし一〇、第一九六号証の一ないし八、第一九七号証の一ないし一〇、第一九八号証の一ないし六、第一九九号証の一ないし四、第二〇〇号証の一ないし一二、第二〇一号証の一、二、第二〇二号証の一ないし七、一〇、第二〇三号証の一ないし六、第二〇四、第二〇五号証の各一、二、第二〇六号証の一なしい六、第二〇七号証の一ないし四、第二〇九号証の三ないし六、第二一九ないし第二二一号証の各一、二、第二三八号証、第二三九号証の一、第二四三、第二九六、第二九七号証、第三一一号証の二、四、六、第三一二号証、第三三九号証の一、第三四〇号証、第三四一号証の一、二、証人山田政次、同前嶋貞幸、同渡部能和、同鴨川純一郎、同中野輝和、同井杉延寿、同宍戸連次郎、同萩尾稔、原告今田智明本人、原告宇都重徳本人、原告大田利守雄本人、原告大渡貞夫本人(第一、二回)、原告斧澤正徳本人(前同)、原告河野左郷本人、原告佐藤郁雄本人(第一回)、原告田中豊本人、原告原三作本人(第一、二回)、原告廣瀬邇本人、元原告亡本田昌幸本人、原告宮崎正司本人、原告宮谷春松本人、原告山口惣次郎本人、元原告亡山元秋夫本人、原告享保衛本人(第一回)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  被告会社における内規及び協定等

争点1で確定した個々の安全配慮義務の違反の有無を検討するに先立ち、被告会社の内規、労働組合との協定等を概観することとする。

(一) 北松鉱業所では、昭和二六年ころ、けい肺罹患者の存在が確認され、同二八年五月、北松労働組合と協議の上、同二六年に制定された「珪肺措置要綱」に該当する者に対し、配置転換手当、栄養補給費を支給する旨の「珪肺症患者取扱内規」を定めた。

(二) 被告は、昭和三〇年一二月二七日(同年は、けい特法が制定された年である。)、被告の九州地方労働組合連合会(本件各鉱業所及び嘉穂鉱業所の労働組合の連合会)との間で、けい特法に基づく健康診断による適正配置、けい肺早期発見の努力、けい肺を生ずるおそれのある粉じん作業に就業する者に対する防じんマスクの無償貸与、配置転換に際しての転換手当支給等を内容とする「けい肺協定」を締結した。

右協定に基づき、二瀬鉱業所では、同三一年一〇月、「珪肺対策委員会規程」により「珪肺対策委員会」が設置され、同年一一月六日には、右委員会の審議により「防じんマスク貸与規程」が定められた。右貸与規程は、掘進・採炭・囲い(採炭の準備方)の各作業に従事する者に対し、防じんマスクを無償貸与することを内容とし、耐用期間をマスク一年半、部品(締紐及び濾過具)半年としていたが、やむを得ない理由により破損又は紛失したときは、耐用期間満了前でも協議の上、取り替えることがあるとしていた。マスクの交換の条件としては、旧品の返還のみが定められ、マスクの管理、補修等は借用者である労働者が行うこととされていた(なお、被告は、昭和二七年一〇月「粉じん防止のための防じんマスク等の備え付けに関する件」と題する規程を定めていたことが認められるが、その内容については、これを明らかにする証拠はない。)。

伊王島鉱業所においても、昭和三三年五月ころ、「けい肺協定」に基づく「珪肺(その後「じん肺」と改正)対策委員会」が活動を開始した。その内容は、ほぼ、二瀬鉱業所と同様であり、右委員会により、このころ、「防じんマスク貸与規程」が制定されたものと推認される。

また、北松鉱業所においても、伊王島鉱業所と前後して、同様の規程が設けられたものと推認される。

(三) 二瀬鉱業所高雄二坑では、国による昭和二八年度のけい肺巡回検診により、同坑でのけい肺罹患者発生の事実を認識し、国会においては、けい特法に関する審議が行われていたこともあり、同二九年度の衛生管理計画において、切羽の粉じん数の測定、遊離けい酸含有量の調査等けい肺の実態調査及び予防対策(但し、具体的な方法には言及がない。)を取り上げ、同三二年一〇月、それまでの「けい肺協定」を若干改訂した。

(四) 被告は、旧じん肺法の制定に伴い、昭和三六年二月一〇日、被告の九州地方労働組合連合会との間で「じん肺協定」を締結した。右協定は、常時粉じん作業に従事する者に対しマスクを無償貸与すること、その範囲及び方法は、じん肺対策委員会で定めること、労働者にも防じんマスクを着用する義務があることの外、予防及び健康管理のための教育を行うこと、作業転換をなすべきであると法の定める者は粉じん作業以外の作業に付けること、転換手当を支給すること等が規定されていた。

2  発じんを抑制すべき義務の履行について

(一) 散水及び噴霧の実施状況

ここでは、本件各炭坑における、じん肺を予防すべき安全配慮義務の履行としての散水及び噴霧の実施状況を検討するのであるが、炭鉱においては、昭和一四年以前から、防爆目的で、散水等が行われており(この事実は当事者間に争いがない。)、乙第二六〇号証、第二六三号証の一ないし三、第二九五号証、証人伊木正二並びに同五四年一二月に改正された炭則二八三条の二(乙第七三号証の一)が、防爆対策としての散水等を実施した場合には、重ねて、じん肺対策としての散水を行うことを要しないとしている趣旨等によると、防爆対策としての散水が、じん肺対策としても一定の有効性をもっていると解されるから、以下においては、防爆対策として行われていたものもあわせて、散水等の状況を検討することとする。もっとも、防爆対策とじん肺対策とでは、問題となる粉じんの種類、大きさ、濃度等が異なり(乙第二六三号証の三、証人伊木正二等)、これに伴って、当然、対策を必要とする箇所、その方法、程度が異なると解されるから、完全な防爆対策の実施が、完全なじん肺対策の実施を意味するものでないことは明らかである。以下、この見地から検討する。

(1) 伊王島坑

① 採炭作業における散水等

本坑では、被告が経営を開始した後の昭和三〇年一月一四日、「伊王島炭鉱保安規程」が改訂され、改訂後の右規程には、いずれも防爆対策として、炭則一四一条六号にいう「適当な箇所」を、本卸捲立、採炭区域における主要捲立とした上、同条の規定する散水箇所(炭じんを発生する採炭機械を使用する場合、炭層発破の前後、炭じんが発生しやすい採炭作業場、石炭の積込口及び積替場、鉱車に積込みの直前若しくは直後における石炭の全面)に散水を行うこと、炭則一四二条に基づく坑道等炭じんが飛来集積する箇所への散水の回数を、一作業時間少なくとも四回ないし六回以上とすることが定められ(五一条)、坑内保安係員が散水する労働者を指定するとされていた(右改訂前の保安規程の内容は明らかではなく、右改訂前には、防爆対策として、コンベアーの落ち口や石炭の積込口での散水が行われてはいたが、じん肺対策というに足りる散水は行われていなかったと推認される。)。

右規程に基づき、同年ころから、深坑道や肩坑道に配水管(散水管)が布設され、肩風道の積込口(鉱車に直接積込んでいた時期)、パンツアーコンベアーからゲートコンベアーへの又はゲートコンベアー間の積替口、ポケット積込口、戸樋口(ポケットから鉱車に石炭を積み込む場所)、本線又は主要片盤捲立(捲立は、入気坑道の坑内運搬作業箇所であり、採炭作業に伴う散水には該当しないが、防爆対策としての散水として便宜上ここで取り上げる。)(以上の箇所での散水には、ゴムホースに穴の開いたパイプをT字型に取り付けたものなど、シャワー式の散水設備が使用された。)、採炭切羽(散水管の取出口にゴムホースを接続する方法がとられた。)で散水が可能になった。これは、各卸坑道の底に設けられたバックに集められた坑内水を、坑外に揚水するのとあわせて、片盤坑道、クロス坑道、沿層坑道を経て、切羽まで配水管を布設する方式で行われた。同三五年ころには、防爆対策として大肩での噴霧(水圧によりプロペラを回転させ、水を飛散させるもの)も行われるようになった。

もっとも、払内部に配水管が布設されたのは、昭和三三年ころ、水を必要とする採炭機械が導入されてからであり、(右機械の稼働に伴う散水では、発じんを抑制するに足りなかったことは、前記一4(二)(1)②で認定したとおりである。)、これは払の進行に併せて、移動させる必要があった。

以上のような採炭作業における散水は、本坑の閉山まで、一貫して防爆目的で行われ、被告は、昭和三一年ころから炭じんの有害性を認識していたが、じん肺対策固有の散水を検討することはなかったため、その方法、量、場所等はじん肺対策として十分なものとはならなかった(後に開始された大肩噴霧は、右箇所が採炭現場の排気側になるため、採炭作業員にとってはじん肺対策にならなかったし、圧力水を利用した霧状の噴霧は行われなかった。)。また、各散水箇所は、それぞれ管理を担当する作業員が決められてはいたが、配水量の不足や設備の故障、散水をすると作業能率が落ち、出炭量が目減りするため、作業員がこれを好まず、係員もそれを注意することはなかったこと等により(なお、これは、後述する被告会社のじん肺に関する教育の欠如に基づくものである。)、徹底して行われず、粉じんの発生、飛散を抑制するに十分な散水は行われなかった。

乙第四二号証によると、昭和四二年に、全炭鉱保安視察団が、本坑につき、コンベアー上の石炭を握ると団子になるほど各払及びゲートの散水が徹底していると評したことが認められるけれども、原告ら元従業員の各供述等に照らし、常時、右のような状態であったとは認めることはできない。

なお、採炭作業における発じんを防止する方法には、炭壁注水があり、甲第一九八号証の一、二によると、本坑においても、これが行われていた箇所があったことが窺われるが、右方法は、作業現場の状態により行えない場合もあり、本坑においてもこれを行うことが不可能な場所があったことは当事者間に争いがないので、炭壁注水による発じんの抑制が不十分であったか否かは、確定することができない。

② 掘進作業における散水等

昭和三〇年九月からの岩石掘進箇所の調査により、遊離けい酸分の高い区域が発見されたことから、被告は、岩石掘進箇所でさく孔前に散水を行う準備を進め、同三一年七月、主要岩石掘進箇所一箇所で散水が可能になった。その後も、遊離けい酸分を多量に含有している岩石掘進箇所には配水管を布設し、さく孔前に散水することを計画していたが、同三四年二月の段階では、岩石掘進一三箇所、沿層掘進三箇所のいずれにも散水設備がない状態であった。

また、掘進作業場での散水は、卸掘進箇所の溜水を活用していたため、パイプが泥土で閉塞され、散水を実施することが困難であった。そのため、同三一年下旬からは、富士坑道延詰から毎分一五立法尺程度の給水を行い、清浄水を五気圧のポンプにより給水源のバックにまで揚水して各関係作業場に供することも行われた。

しかしながら、同三四年以降も、掘進作業の進行に配水管の布設が追い付かないこと、散水量の不足、作業員らの作業効率の重視等から、散水は徹底しなかった。

③ 仕繰作業等その他坑内作業における散水等

本坑では、仕繰作業等その他坑内作業において散水が行われたことはなかった。

坑内運搬作業に関しては、原告廣瀬邇が右作業に従事した昭和二五年ないし同二六年ころには、捲立において、散水が行われておらず、採炭、掘進の各作業における散水等も前述したように不十分であったから、発じんが抑制されることはなかった。

④ 選炭作業における散水等

硬チップラーが設置された昭和三一年ころから、炭チップラー及び硬チップラーに、一台につき片側四個づつのシャワー式散水装置(ほぼ五センチ間隔で、三ないし五ミリメートルの穴の開いた長さ三メートル、直径三センチメートルの管)が設けられ、作業時には常時散水されたが、その散水量は、前述した坑内での散水をあわせても、発じんを抑制するには不十分であった。

なお、被告は、北松鉱業所において、昭和三四年ころ、坑外のチップラーに多々良式等の収じん機を使用し、被告の経営する有明鉱では、同四一年ころ、既に、防じん装置を備え、遠隔操作をすることのできるチップラーを設置していたが(甲第一九八号証の七)、本坑では、炭チップラー操作の後の選炭作業過程で、ブレーカーにサイクロン式収じん機を使用していたものの、チップラーには、収じん機を設けることがなかった(有明鉱は、同四五年に出炭をめざす新しい炭鉱であったけれども、このことを理由として、本坑で同様の設備を設けなかったことが、被告の安全配慮義務違反にならないとはいえない。)。

(2) 北松鉱業所各坑

① 原告原三作が、池野鉱において掘進作業に従事していた昭和一五年から同一八年ころまでの間、及び神田坑において同作業に従事していた同二一年ころから同三五年ころまでの間、両坑において、掘進作業現場で散水が行われることはなかった。もっとも、神田坑においては、同二五年ころから、防爆目的で、捲立散水や戸樋口散水が行われてはいた。

御橋鉱では、同三五年ころには、捲立、戸樋口で散水が実施されており、同三七年ころには、掘進作業現場で散水を行ったことがあったが、定着せず、その後も、掘進作業で十分な散水が行われることはなかった。

② 小佐々坑、矢岳坑では、昭和二三年の北松鉱業所鹿町炭鉱西坑でのガス燃焼事故を契機として、防爆目的で戸樋口散水が行われるようになり、その後、同二五年一二月の矢岳坑での爆発事故を契機として、防爆目的で大肩噴霧が実施されるようになった。また、後には、本線捲立でも散水がなされていた。

③ 右のうち、散水が行われていた部分では、坑内水を利用していたが、ここでも、伊王島坑と同様の理由で、特に甲種炭鉱でない炭坑では、散水は十分に実施されず、じん肺対策としての散水が検討されることもなかった。

(3) 二瀬鉱業所高雄二坑

本坑では、昭和二五年ころから、防爆対策として、捲立散水及び戸樋口散水を実施していたが、同二〇年代は、払内の散水や掘進作業での散水は行っていなかった。その後、同二九年から同三〇年代前半に、岩石掘進箇所で散水を開始し、同三四年には、採炭切羽の一部で散水を行い、同三六年には、沿層掘進箇所でも散水が可能になった。右各散水には、坑内水を使用していた。しかし、その散水状況は、他の本件各炭坑と同様、じん肺対策として十分ではなかった。

(二) 湿式さく岩機及び乾式さく岩機用収じん機等の使用状況

(1) 伊王島坑

本坑では、昭和二二年ころには、古河鉱業足尾製作所の乾式さく岩機ASD二五型を使用しており、その後、同製作所製の乾式さく岩機ASD二二を、同三七年までには、右製作所製の乾式さく岩機ASD三二二D型を導入した(いずれも、衝撃式さく岩機であり、本坑では、電機オーガー等の回転式さく岩機はほとんど使用されなかった。)。

本坑では、前記(一)(1)②で認定したように、昭和三〇年に遊離けい酸分の高い区域が見つかり、同三一年に、右箇所がけい酸質区域に指定されると同時に、伊王島鉱業所の作業員の中から、けい肺罹患者が発見されたことから、岩石掘進箇所への散水準備と同時に、さく岩機の湿式化の準備を進め、同年七月には、主要岩石掘進箇所一箇所で湿式さく岩機の利用が可能になった。

被告は、当時、ASD二五型、ASD二二型を湿式に改造(バックヘッドを湿式のものと取り替え、ウォーターチューブを付ける。)して使用していたが、水圧や水量の調節が困難で、故障も多かった。また、その使用は定着せず、同三一年から同三二年に行ったけい酸質区域指定を受けた箇所での岩石掘進作業には、右湿式さく岩機を使用したが、同三四年の時点では、ASD二二型の湿式さく岩機四台(これは、乾式さく岩機を湿式に改造したものと解され、従って、後記の使用中の乾式さく岩機には、改造後のものは含まれていない。)が備えられていたものの、使用されていたのは、同型の乾式さく岩機三八台であり、岩石掘進箇所及び沿層掘進箇所のすべてで、乾式さく岩機が使用されていた。

その後も、さく岩機の湿式化は、迅速には行われず、昭和四六年ころには、掘進箇所では湿式さく岩機が使用されていたが、採炭、仕繰では乾式さく岩機が使用されていた。

また、湿式さく岩機への給水は、散水と同様、卸掘進箇所の溜水を活用していたため、散水及び給水パイプが泥土のため閉塞され、散水等を実施することが困難であったこともあり(その解消策については、前記(一)(1)②記載のとおりである。)また、湿式さく岩機は、乾式さく岩機よりも作業能率が落ちること(特に、導入の初期にはその傾向が著しかった。)等から、作業員の間では、湿式で使用し得るさく岩機を乾式で使用することも行われており、これに対する被告の指示、監督は徹底していなかった。

なお、伊王島鉱業所では、乾式さく岩機の収じん機が使用されたことはなかった。

(2) 北松鉱業所各坑

本鉱業所では、同鉱業所内で、けい肺患者の発見された後である昭和二八年ころ、ドイツ製のさく岩機用収じん機ケーニヒスボルンの、同二九年ころには、宝式さく岩機用収じん機及びドイツ製の湿式さく岩機ベルグマイスターの坑外での試用が行われた。

その後、さく岩機の湿式化が行われ、昭和三三年二月ころには、矢岳坑、小佐々坑の外に鹿町坑、鹿町南坑を含む鹿町炭鉱で使用されていたさく岩機二三台のうち、一二台が湿式さく岩機であり、これらはすべて掘進作業において使用されていた。また、同三四年三月には、右鹿町炭鉱では、湿式さく岩機は、足尾、東洋、山本各製作所製のもの一九台を使用し、ベルグマイスターを含む二〇台を予備として備えており、乾式さく岩機は、足尾及び東洋製作所製の四二台を使用し、一九台を予備としていた。右同時期、神田坑及び御橋鉱からなる神田鉱では、湿式さく岩機は、東洋製作所製のもの二一台を使用し、足尾及び山本製作所製のものを含め一三台を予備として備え、乾式さく岩機は、足尾及び東洋製作所の六台を使用し、二五台を予備としていた。これらにより、右鹿町炭鉱及び右神田鉱の岩石掘進箇所においては、すべて湿式さく岩機が使用されていた。しかしながら、沿層掘進箇所、採炭切羽では、乾式さく岩機が使用されていた(甲第二一八号証によると、右鹿町炭鉱は、ケーニヒスボルンを掘進作業に使用していたとの記述があり、同時期の調査において、岩石掘進箇所では湿式さく岩機が使用されているので、右収じん機は、沿層掘進箇所で使用されたことが窺えるが、右収じん機は一台であったから、沿層掘進箇所で十分な発じん抑制措置がとられていたとはいえない。)。

なお、右鹿町炭鉱では、電気オーガーではない回転式さく岩機を一台、右神田鉱では、電動式三台を含む回転式さく岩機二六台を使用していたが、これらの使用された作業は、主に採炭作業であった(回転式さく岩機の使用の多かった神田坑及び御橋鉱においては、原告原三作は掘進作業に従事しており、採炭作業には従事していない。)。

このように、本鉱業所では、湿式さく岩機の導入が比較的行われていたが、導入箇所は岩石掘進箇所を中心としたものであり、採炭作業等においては乾式さく岩機が使用され続けたし、湿式さく岩機を使用することが可能な箇所においても、機械や設備の故障、作業効率重視等により、湿式さく岩機の使用が徹底しなかったのは、伊王島坑におけると同様であった。

(3) 二瀬鉱業所

本鉱業所では、昭和二五年ころ、作業効率をあげる観点から、乾式さく岩機S―五五を湿式に改造する実験を行っていたが、同二八年ころ、超合金のインサートビットが開発されたため、湿式化を取り止めた。このころ、同鉱業所では、けい肺患者が発見されたが、これを契機に湿式さく岩機の導入がなされることはなかったし、その後も、同三四年三月ころまでは、湿式さく岩機が保有されることはなく、岩石掘進二六箇所を初め、すべての作業箇所で乾式さく岩機が使用されていた(右時点では、回転式さく岩機も保有されていなかった。)。

このように、原告享保衛が、本鉱業所での採炭及び掘進作業を終えた昭和三六年九月ころまでに、本鉱業所に湿式さく岩機が導入されることはなかった。

なお、甲第二一八号証によると、本鉱業所において、坑内で宝式の収じん機が使用されていたことが認められるが、これは乾式さく岩機用収じん機とは異なると認められるものの、本件全証拠によっても、その機能等は明らかでなく、じん肺対策としての有効性を認めることはできない。

3  除じん及び粉じん曝露を回避すべき義務の履行について

(一) 坑内通気の状況

(1) 炭鉱においては、坑内の有害ガスの排除、炭じん爆発の防止、坑内温度の低下及び作業員に対する酸素供給等を目的として、機械力による強制通気が行われるところ、前記一3(一)で認定したように、本件各炭坑においても、昭和一〇年代に一部で自然通気が行われていた外は、排気坑道の坑口に主要扇風機を設置し、坑内の空気を吸い出す方法で強制通気が行われていた。そして、右目的による通気の確保は、じん肺対策としての坑内通気の確保にもなり得ると認められるから、ここでは、右目的による通気の確保をも含めて検討する。但し、散水等の状況を検討するにあたって説示したと同様、防爆対策等として完全な通気の確保が行われていたことが、直ちに、じん肺対策として通気を確保する義務を完全に履行していたことになるものではない。

なお、原告らは、本件各炭坑において、直列式通気法(他の払の排気が別の払の入気となる通気方式)が採られていたと主張するが、甲種炭坑であった伊王島坑及び二瀬鉱業所に属する炭坑においては、直列式通気法が禁じられていることもあり(炭則一一二条参照)、本件の証拠上、本件各炭坑で直列式通気法が行われていたと断定することは困難である(北松鉱業所各坑においては、右通気法式が採られていたようにも思われるが、未だこれを認定するには足りない。)。そこで、以下においては、通気系統自体の是非については検討しないこととする。

(2) 小佐々坑で強制通気の行われていなかった時代には、その通気は著しく悪かった。

その後、本件各炭坑においては、前記一3(一)で認定したように、主要扇風機による通気が図られており、その能力は、一応、その設けられた坑に必要な主要通気(炭則の規定する防爆対策としての通気量)を確保するに足りるものであったと認められる。

原告らは、本件各炭坑の坑内温度が高かったことを根拠に、通気量が不十分であったと主張するところ、炭鉱における強制通気が、坑内温度の低下を目的のひとつとするところからすると、原告らの主張もあながち根拠のないものでもない。しかし、炭鉱で坑内温度が上昇なるのは、地熱、石炭の酸化熱等が原因となるもので、これらによる坑内温度の上昇を、坑内通気で抑制するに足りる通気を行うことをじん肺対策として求めることは、通気量によっては、坑内粉じんの再飛散が生じ、じん肺対策として、かえって有害となることのあること(このような事態が生ずること自体は、原告らも認めるところである。)からして、必ずしも相当ではないというべきである。そして、被告会社が現に行っていた通気量を、粉じんの再飛散が生じない範囲で、いかに増加させるべきであったのか、その度合いは明らかではないから、主要通気の通気量に関しては、強制通気が行われなかった時代があったことを除き、この点に係わる被告会社の債務不履行の事実を確定することはできない(もっとも、被告は、本件各炭坑で、けい肺ないしじん肺が発生する可能性のあること、又は右疾病に罹患している者がいるということを認識しても、従来、じん肺対策以外の目的で行っていた坑内通気の通気方法、通気量を検討するなど、じん肺対策として有効な通気を行うための行動をとっていないことが窺われ、右態度は、安全配慮義務を負う使用者の態度としては、妥当なものではないということができる。)。

(3) しかしながら、局部通気等については、次のような不備があり、被告会社の通気の確保等に関する安全配慮義務の履行は十分ではなかった。

① 前進払の長壁式採炭法においては、先行する掘進現場の排気が、採炭法の入気に混入したため、掘進作業により発生した粉じんに、採炭作業員も曝露することとなった。被告会社は、後退払を行うべきであったが、北松鉱業所各坑等本件各炭坑の一部で、前進払を採用していた。

② スライシング採炭法では、下段の払は、上段の払より幹線坑道から奥に位置するため、通気は上段の払を通り勝ちとなる。その上、盤圧により、下段の肩風道が潰されるため、更に通気の確保が困難となるから、被告会社は、肩風道を整備するとともに、下段に上段と同程度の通気が流れるような措置をとるべきであったのに、肩風道の整備は十分になされず、他に、上段と同程度の通気を確保するための措置もとられなかった。

③ 局部通気に使用されていた風管は、鉄製風管では目塗りが発破等の振動で剥げたり、ビニール風管では発破の際に硬があたって破れたりすることがあった。目塗りの補修が破損したビニール風管の補修(坑外での補修を要するときは、通気事務所で行われた。)、交換等は、通気大工が行うことになっていたが、資材の不足や通気大工が、原則として一番方のみで稼働していたこともあり、十分に対応できず、その結果、掘進作業現場への通気が悪化した。

④ 掘進作業の進行に伴い、風管が延び、ひとつの局部扇風機で通気の行われる距離が延びるが、これにより、延先の通気量は減少する。風管は、掘進作業員が仮延長し、後に通気大工が作業を行ったが、前述した通気大工の稼働状況、人数不足から、風管延長のみでなく、適切な局部扇風機の設置、目抜き工事等が遅延した。

⑤ 前進払の方式でスクレーパー採炭が行われていた箇所では、払の進行に伴い、矢玄柱等を移動させるときに、先行している掘進現場への通気のために深坑道等に設置されている風管を外してしまうことがあったので、掘進現場への通気が阻害された。

以上のうち、③ないし⑤記載の状態に対し、被告会社の指導、監督も不十分であった。

(4) なお、乙第一〇二号証には、昭和四二年ころに、伊王島坑における水タンパーを使用した場合の発破効果に関する実験結果として、掘進箇所で発破により発生した(浮遊)粉じんは、発破後五分程度でほとんど排除されたとの記載がある。したがって、右記載から、局所通気箇所においても、通気状態が良好で、じん肺対策としても十分効果があると解される通気が確保されていた箇所があったことが認められるが、前掲各証拠に照らすと、このような通気が、本件各炭坑のすべての箇所で確保されていたとは、到底認めることはできず、むしろ例外的であったと推認され、右記載は、前記認定を覆すに足りない。

(二) 防じんマスクの使用状況

(1) 伊王島坑

① 本坑では、昭和二四年に炭則がさく岩機によるせん孔を行う場合には防じんマスクを着用するよう規定するまで(前記一6(三)(3)参照)は、作業員に対し、防じんマスクを支給することはなく、右規定を受けて、同年ころ、さく岩機を使用する掘進作業員に対し、防じんマスクを貸与することとした。

その後、同三〇年に炭則が改正され、岩石の掘進、運搬、破砕等の坑内作業において、岩石の掘進、運搬、破砕等により著しく粉じんを飛散する場合には防じんマスクを支給するように規定されたため、掘進作業員全員に防じんマスクが貸与されることとなり、同三三年には、前記1(二)で認定した「けい肺協定」に基づく「防じんマスク貸与規定」により、防じんマスクの貸与対策が掘進、採炭の各作業に従事する作業員に拡大され、同三六年ころには、全ての坑内作業員に貸与されることとなった。

当初、被告会社が貸与していた防じんマスクは、重松製作所製のT・N・〇一二、通称「ブタマスク」といわれるものであり、昭和二五年一二月に定められた国家検定規格(JIS規格)では、湿式第四種合格品とされたものであった。

右JIS規格は、昭和二八年一二月、防じんマスクを低濃度用と高濃度用に大別し、それを更に、各四種に区分するものに変更されたが、その後の同三四年三月ころには、本坑には、重松製作所製のTS式二型(高濃度試験第四種合格品・濾じん(塵)効率六〇パーセント以上、吸気抵抗五ミリメートル以下)一九〇個、興進会研究所製サカイ式一六P型(高濃度試験第四種合格品)二五八個が備えられており、同三六年ころにも、TS式二型四三一個、サカイ式一六P型(高濃度試験第三種合格品・濾塵効率七五パーセント以上、吸気抵抗八ミリメートル以下)五六一個が備えられていた。

その後、昭和三五年ころのミクロンフィルターを使用した防じんマスクの実用化(前記一6(四)(2)参照)に伴い、同三七年五月三〇日労働省告示第二六号により、直結式防じんマスクは、濾じん効率により、九九パーセント以上の特級、九五パーセント以上の一級、八〇パーセント以上の二級に区分するとのJIS規格の改訂が行われ、同年ころから、本坑では、右規格の二級に合格するものと認定されたサカイ式一一七型(排気弁付き、濾じん効率86.6パーセント、吸気抵抗4.2ミリメートル、KST濾層を使用し、軽量で、視界が広いという利点があった。)を貸与するようになり、同時に、坑外の選炭作業(チップラー操作)従事者にもマスクの貸与を開始した(昭和三一年の時点で、選炭作業員の防じんマスク着用率が一〇〇パーセントであった旨の乙第九〇号証の記載は、前掲各証拠に照らし、信用できない。)。サカイ式一一七型の使用は、同四七年の閉山まで続けられた。

② 右で述べた防じんマスクの選定の妥当性について検討するに、昭和三三年ころまでについては、より濾じん効率が高く、吸気抵抗の少ない防じんマスクが存したことが認められるけれども、防じんマスクの選定にあたっては、重量、管理整備の方法及び簡便さ等をも考慮する必要があることから、被告会社の行った選定を直ちに不当とすることはできない。しかしながら、同年以降については、静電濾層を使用し、濾じん効率、吸気抵抗に優れ、洗濯も可能な防じんマスクが存在していたのであり(前記一6(四)(2)参照)、じん肺対策としては、これを採用すべきであったというべきである。被告は、同三七年ころから、静電濾層を使用したサカイ式一一七型を導入しているけれども、このころには、その開発に被告も参加していた、更に性能の優れた粉研式ミクロンフィルターを使用した防じんマスクであるサカイ式一〇〇三型や同一〇〇五型(濾じん効率95.8パーセント、吸気抵抗三ミリメートル、軽量)が開発されていたのであるから、これを採用すべきであったということができる。

被告は、サカイ式一一七型は、じん肺対策委員会で、種々のマスクの性能検査を行い、本坑での使用に最も適しているとの結論が得られたものである旨主張するけれども、右検討の具体的経過は不明であること、乙第一〇一号証によると、右マスクは六か月の使用で八〇パーセント以上の濾じん効率を維持できなくなっていること(次項で検討するように、同三七年の時点では、被告における防じんマスクの交換期限は、一年とされていた。)が認められることからすると、適正な性能試験が行われたとすることには疑問がある。右マスクが洗濯使用できることは、確かに、炭鉱における使用に適した点であるといえるかもしれない(前記一〇〇三型や一〇〇五型は、洗濯使用はできない。)が、右一〇〇三型や一〇〇五型の吸気抵抗の低さ、これらの防じんマスクが炭鉱での使用にも適したものとされていることからすると、洗濯使用できないことが、本坑での使用を不可能とするほどの障害となるとは解することはできない(従前、洗濯可能な防じんマスクを使用していたとしても、別種の防じんマスクを貸与するときに、適切な管理方法を指導、教育するか、被告自身が整備、管理を行うことで対応できる。)。仮に、これが著しい障害になるとしても、同四三年ころには、濾じん効率、吸気抵抗ともに優れ、洗濯することの可能なミクロンセキラン濾層を使用した防じんマスクが存在したのであるから、遅くともこの時点からは、これらの防じんマスクを使用すべきであったということができる。

③ 次に、貸与した防じんマスクの交換期限等について検討するに、右期間は、当初、防じんマスク本体は一年半、部品(締紐及び濾過具)は半年とされていた(前記1(二)参照)が、その後、一年となり、昭和三九年には、機種により、六か月から一年(本坑においては八か月とされた。)、同四五年一〇月には、坑内直接夫のみ六か月に短縮された(なお、被告は、同三九年には、当時使用していたサカイ式一一七型の防じんマスクは、六か月の使用で、濾じん効率が八〇パーセント以下に低下することを認識していた。)。

右期間は、その当時、貸与されていた防じんマスクの性能からすると、じん肺対策として十分な性能を保持し得ないものであり、交換期限前の従業員の交換要求は、容易に応じられることがなかった。その上、その性能から、ひとつの防じんマスクを連続して使用することが困難であったこともあり、原告ら元従業員の中には、自費で予備の防じんマスクを購入していた者もあった。

また、防じんマスクの貸与、交換が行われること、その範囲、期限等が、従業員に十分認識されていなかったことから、被告の規程に沿った貸与を受けられない者もいた。

④ 前記2で認定したように、被告会社が発じんを抑制すべき義務を怠っていたため、坑内では多量の粉じんが発生、飛散しており、防じんマスクが目詰まりを起こしやすく、また、防じんマスクの吸気抵抗が低くなかったこともあって、積込作業等を行うときには、息苦しさから、これを継続して使用することが困難であった。そのため、原告ら元従業員は、防じんマスクを使用せずに稼働していたが、マスク着用に関する被告の指導監督は十分になされず(被告は、作業員にCOマスクを携帯させることが、法規上、義務付けられてからは、入坑時に、右マスクを携帯しているか否かの検査を行ったが、防じんマスクについては、このような検査が行われたことはなかった。)、マスクの貸与時等にも、着用目的や重要性の説明はなされなかったし、継続的なマスクの着用を可能にするような対策も講じられなかった。

また、マスクの性能を維持するための管理・整備体制がとられることもなかった。

(2) 北松鉱業所各坑

① 本鉱業所各坑においても、防じんマスクの貸与は、昭和二四年の炭則制定を契機として行われ、したがって、原告原三作が、池野鉱で稼働していた昭和一〇年代には、右マスクの支給は行われなかった。

その後の、貸与対象の拡大は、伊王島坑よりも早く、当初の削岩作業に従事する掘進作業員から、同二七年ころからは、掘進、採炭、仕繰作業従事者へと拡大され、同三〇年ころには、坑内直接夫全員に貸与されるに至った。

貸与されたマスクは、当初は「ブタマスク」であったが、後にサカイ式が導入され、昭和三四年三月末には、鹿町炭鉱(前記2(二)(2)参照)に、重松製作所製のTS式七型一八個、TS式DR五型八三個、興進会研究所製のサカイ式一八C型二一九個、サカイ式一七D型一二七個(以上の防じんマスクは、いずれも高濃度用ではあるが、いずれの規格の試験に合格したものであるかは不明である。)、神田鉱(前記2(二)(2)参照)に、TS式七型一九個、TS式DR五型一二七個、サカイ式一八C三三二個、興進会H・サカイ式一七D型一一五個が備えられており、同三六年には、本鉱業所全体で、重松式DR五型(高濃度試験第四種合格品)八個、重松式DR三五型(高濃度試験第三種合格品)一〇一個、サカイ式一七P型(高濃度試験第二種合格品・濾じん効率九〇パーセント以上、吸気抵抗一二ミリメートル以下)六一一個、サカイ式一八C(高濃度試験第二種合格品)二九個、サカイ式三三B(高濃度試験第三種合格品)一〇六三個が備えられていた。

② 貸与されていたマスクの選定の妥当性については、伊王島坑に関し説示したところと同様のことがいえるが、本鉱業所各坑は、昭和三六年から遅い坑でも同四〇年に閉山していることから、サカイ式一一七型等静電濾層を使用した防じんマスクが導入されることはなかった。しかしながら、静電濾層を使用した防じんマスクは、同三三年ころには、実用化されていたのであるから、少なくとも、この時期以降は、静電濾層を使用した防じんマスクを導入するべきであったのであり、このことは、三年ないし七年後の閉山という事情により異なることはない。

③ 防じんマスクの交換期限、貸与の実態、着用の実態やそれに対する被告の指導監督等の状況は、伊王島坑について述べたところと、ほぼ同様であり、マスクの性能試験等は行っていたものの、じん肺対策としては、未だ不十分なところがあった。

(3) 二瀬鉱業所

防じんマスク貸与開始の時期、理由、貸与対象及び貸与した防じんマスクの種類は、他の鉱業所におけると同様である。その後、昭和三一年に設けた「防じんマスク貸与規定」(前記1(二)参照)に基づき、掘進、採炭(当時の準備方を含む)作業従事者に貸与を開始し、同三四年三月末には、重松製作所製の湿式マスク(高濃度試験第四種合格品)九八〇個が、同三六年には、重松製作所のTS式2型一一九一個が備えられていた。

本鉱業所での防じんマスクに関する被告の義務履行については、北松鉱業所について認定説示したところと同様である。

(三) 発破作業により発生した粉じん曝露回避の状況

(1) 本件各炭坑では、上がり発破や中食時発破が行われることがあったが、御橋鉱を除いては、作業の進行の度合いに左右され、必ずしも上がり発破が原則とはなっておらず(御橋鉱でも、上がり発破とならないことはあった。)、また、作業員が中食を順次とるなどして作業を中断しないこともあったため、粉じん曝露を回避するに有効な形での中食時発破もほとんど行われず、粉じん曝露を回避するため、上がり発破等を行うようにという被告の指導は十分になされなかった。

(2) 発破の際には、作業員らの退避場所は、近くに目抜きがあれば、粉じんの通過しない入気側の場所を確保できたが、必ずしも適切な退避場所が確保されず、退避箇所を発破後の粉じんが通過する場合もあった。

また、被告は、保安規程上、係員が発破警戒線を解いてから、作業員が現場に入ること、有毒ガス等を吸入することを防止するため、発破による煙が排除されるまでは現場に進入しないことを定めていたが、作業員は、作業効率を上げるため、これを守らず、粉じんが排除される前に現場に戻っていた。

このような状況に対し、改善のための被告の指導監督は十分に行われなかった。

(3) 昭和二五年ころからの段発雷管等の導入、同四二年ころからの水タンパーの使用(前記一4(一)(3)参照)は、作業員が曝露する粉じんの量を減少させることにはなったけれども、これらのみでは、発破による粉じん曝露を回避するには不十分であった。

4  労働者の健康管理に関する措置を講ずべき義務の履行について

(一) 健康診断の実施状況

(1) 一般健康診断

被告会社は、昭和二二年に労働基準法及び労働安全衛生規則が制定されてから、本件各鉱業所において、右法規に基づく定期健康診断を行うようになり(右時期以前については、実施されていなかったものと推認される。)、各鉱業所の中央病院や各坑に設けられていた診療所において、年二回、全従業員を対象にエックス線の間接撮影等が行われていた(但し、二瀬鉱業所においては、後に、一般健康診断は年一回となり、他の一回は、後に述べる有害業務従業者の健康診断に変更された。)。また、結核予防法に基づき、全従業員に対し、ツベルクリン反応検査を行っていたところもあった。

被告は、右健康診断を受診するよう、口頭伝達、文書掲示、各鉱業所で発行され、従業員に配布されていた新聞(「伊王島」、「北松」、「ふたせ」)への掲載により啓蒙活動を行い、かつ、未受診者に対し、再度、受診期日を設けることもあったため、いずれの鉱業所においても、受診率は高かった。

一般健康診断は、従業員の健康を管理するに一定の効果を持つものではあったが、じん肺罹患者の早期発見には不十分なものであった。

(2) けい肺ないしじん肺健康診断

① 伊王島鉱業所

(ア) 本鉱業所においては、昭和三〇年制定のけい特法により、けい肺健康診断が義務付けられるまでは、じん肺罹患者の発見を目的とした健康診断は行われなかった。

同法附則の規定に基づき都道府県労働基準局により行われた第一回健康診断(実際には、被告の医師副島に委嘱して行われた。)は、同三一年一〇月から、坑内直接夫を対象として行われた(この健康診断の結果、罹患者が発見されている。)。

被告自身によるけい肺健康診断は、同三四年から行われ、これ以後も、けい特法、けい臨法及び旧じん肺法の規程に則った健康診断が行われた(したがって、坑内間接夫に対して、じん肺健康診断が行われるようになったのは、旧じん肺法制定以後である。)。被告は、一般健康診断と同様に、従業員に受診を呼び掛け、一次検査を受診しなかった者に対しては、文書で通知していた。また、一次検査であるエックス線直接撮影等から、じん肺所見があると診断された者に対しては、二次検査である心肺機能検査を受診するよう通知し、じん肺罹患が発見された者については、前記各法に基づき、健康管理区分の決定申請を行っていた。

原告らは、被告が書証として提出した「けい肺健康診断、心肺機能検査・結核精密検査の結果証明書」あるいは「じん肺健康診断等証明書」記載の原告ら元従業員の署名には自署でないものがあることや、署名自体がなされていないものがあることを理由として、原告ら元従業員が、けい肺ないしじん肺健康診断を受診したことを争うが、右事情は、粉じん職歴調査が不十分であったことを示すものと解することはできるけれども、それにより、右健康診断自体を受診しなかったということはできない(乙第三二九号証の一、二、第三三〇号証、第三三一、第三三二号証の各一、二、第三三三号証等によると、原告ら元従業員が、右証明書に捺印していることが認められるので、この点からも、受診しなかったと認めることはできない。)。

(イ) ところで、けい特法、旧じん肺法等に基づいて昭和三一年以降に行われたけい肺ないしじん肺健康診断の診断記録として提出された原告ら元従業員の「けい肺健康診断・心肺機能検査・結核精密検査の結果証明書」ないし「じん肺健康診断等証明書」には、一部(乙一九九号証の三、第二〇二号証の三、第二〇四号証の一、第二〇六、第二〇七号証の各三)を除き、身長体重の測定結果とエックス線写真の番号が記載されているのみで、局部に対する臨床検査(以下「胸部臨床検査」という。)については記載がなく、右検査が全受診者に対しては行われていなかった(エックス線写真上、けい肺ないしじん肺所見の認められた者に対しては行われていたと認められる。)のではないかと思われる(原告らは、エックス線写真の読影結果の記載がなされていないことから、エックス線直接撮影が実施されたことにも疑いがあると主張するが、右記載がないことから、直ちに直接撮影自体が行われなかったとすることはできず、前掲各証拠により、その実施は認めることができる。)。そうすると、けい特法二条一項三号が規定するけい肺健康診断は、胸部臨床検査を含むから、法定の健康診断が完全には実施されていなかったことになるが、昭和三一年度の健康診断については、県の労働基準局からの委嘱により実施されたとの事情に照らし、胸部臨床検査が行われていなかったと断定するのは困難である。しかし、同三四年に被告自身が実施したけい肺健康診断に関しては、右のような事情がなく、他に右検査が完全に実施されていたと認めるに足りる証拠はない(乙第二〇六、第二〇七号証の各三には、他覚所見の記載があるけれども、これのみでは、全受診者に実施されていたと認めるには足りない。)。胸部臨床検査は、旧じん肺法からは、エックス線写真撮影及び粉じん職歴の調査により、じん肺に罹患していないと診断された者以外の者に対してのみ行うとされているものではあるけれども(同法三条二項)、使用者としては、その当時の法規が規定するものは、最低限のものとして実施すべきであって、その要件を充たしていなかった同年度のけい肺健康診断は不十分であったといわざるをえない。これに対し、それ以後の旧じん肺法に基づくじん肺健康診断においては、エックス線写真の読影を正確に行い、じん肺罹患者を早期に発見するための判断資料把握のための胸部臨床検査が、全受診者に行われることが望ましかったとはいえるけれども、その不実施自体が、直ちに安全配慮義務違反に該当するとまではいうことはできない。

次に、粉じん職歴調査については、当該受診者の一回目の健康診断時には、比較的詳細な記載があるが、その後は、期間のみの記載や、作業名が下書きされたにとどまっているとみられるものがあり、適切に行われていたというには疑問がある。

(ウ) 診断結果の通知は、異常が認められた者に対し、二次検査の通知を行う形で行われ、健康管理区分の認定がなされた場合には、その旨が通知されていた。但し、原告宮崎貞雄は、昭和三八年、旧じん肺法に基づき、管理一に認定されているが、その旨の通知を受けておらず、被告は、右管理一(エックス線写真の像が第1型又は第2型で、じん肺による心肺機能の障害その他の症状がなく、かつ、肺結核がないと認められるものを含む。)の認定を受けた者に対する通知は行っていなかったものと推認されるところ、じん肺が進行性の疾病であることに照らし、少なくとも、エックス線所見が認められる者に対して、なんら通知をしなかったことは労働者の健康管理上、適切ではなかったということができる(原告らは、エックス線所見の有無に関わらず、全受診者に対し、結果を通知すべきであったと主張するが、右主張は採用することができない。)。

また、結果通知の際、疾病や健康管理区分についての説明は、十分に行われなかった。

② 北松鉱業所

本鉱業所では、昭和二六年ころ、初めてけい肺罹患の発見を目的として、鹿町鉱南坑の従業員に健康診断を受診させ(これにより、けい肺罹患者が発見され、行政上の決定を受けた。)、同二七年には、労働省によるけい肺巡回検診が行われ、原告原三作を含む約六名がけい肺第一症度、一名が同第二症度、二名が同第三症度の認定を受け、その旨が被告から当該作業員に通知された。また、同二八年には、来所した慈恵医大の医師による診断が行われた。これらの対象は、掘進作業に一〇年以上又は採炭作業に一五年以上従事した者等一部の作業員であった。

その後は、けい特法、旧じん肺法に基づく健康診断が行われた。本鉱業所で、原告原三作、亡石川清文が受けた健康診断の内容・結果を明らかにするに足りる証拠はないが、実施内容、健康診断の連絡、結果の通知等に関しては、伊王島鉱業所と同様であったものと推認される。

③ 二瀬鉱業所

本鉱業所では、労働省がけい肺巡回検診を行っていたことなどから、昭和二八年から、坑内夫を対象にけい肺罹患者の発見を目的とした健康診断を実施した。

けい特法附則に基づく県の労働基準局によるけい肺健康診断は、昭和三〇年一二月に実施され、選抜された四〇〇名の作業員が、胸部臨床検査、粉じん作業の職歴調査、エックス線写真による検査を受け、けい肺所見の認められた者に対しては、心肺機能検査が行われた。同様の検査は、同三一年一〇月に七八〇人、同三二年六月に八四〇人に対して実施された。

同三三年からは、被告により、三年前の受診者、前年度までの健康診断においてけい肺に罹患しており、けい肺第二症度又は同第三症度との決定を受けた者を対象として実施されることとなったが、この年度から、粉じん作業職歴書、健康診断個人表の作成は、エックス線直接撮影により、けい肺に罹患していると診断された者についてのみ行うこととした。

なお、本鉱業所では、けい肺を除くじん肺を起こし、又はそのおそれのある粉じんを発生する場所における業務に従事する者についても胸部の変化を検査する有害業務従事者の健康診断を行っていることがある(その時期は、旧じん肺法制定前と解される。)が、エックス線撮影は間接撮影で行われていた。

本鉱業所についても、健康診断の内容、その連絡、診断結果の通知等に関しては、伊王島鉱業所と同様であった。

④ 以上のように、被告は、本件各鉱業所において、けい特法、旧じん肺法等により、使用者によるけい肺ないしじん肺健康診断等が義務付けられてからは、一応、法規に従った健康診断を行ってはいたけれども、その開始された時期、対象となる従業員の点において、安全配慮義務である従業員の健康を管理すべき義務の履行としては、未だ不十分であった。その上、受診の呼び掛け等により、けい肺ないしじん肺健康診断であることは従業員にも認識されていたと思われるものの、その意義、必要性については、従業員は十分に理解していなかったと認められ、診断結果の通知に際する説明、教育等により、これが改善されることもなかった。

なお、原告らは、以上で検討した他にも、就業中の健康診断に関し、被告は、少なくとも全従業員に対し、年二回のじん肺健康診断、採用時及び離職時の健康診断(以上は、原告ら元従業員に対する関係では、法規の定めを超えるものである。)を行うべきであったと主張するが、被告会社の健康診断実施に関する義務の不履行は、これらを検討するまでもなく明らかである。

(二) 作業転換等の実施状況

(1) 北松鉱業所では、昭和二八年に設けた「珪肺症患者取扱内規」(前記1(一)参照)において、「珪肺措置要綱」に基づいて作業転換した者に対し、(a)坑内直接夫から坑外夫への転換の場合は平均賃金の五〇日分、(b)坑内直接夫から坑内間接夫への転換の場合は平均賃金の二五日分、(c)坑内間接夫から坑外夫への転換の場合は平均賃金の二〇日分の配置転換手当を支給することとした。

その後、昭和三〇年の「けい肺協定」(前記1(二)参照)により、本件各鉱業所において、けい特法に基づき作業転換した者につき、前記(a)の場合には平均賃金の九〇日分、同(b)の場合には平均賃金の四五日分、同(c)の場合には平均賃金の三〇日分を支給することとした。

これは、昭和三六年の「じん肺協定」(前記1(四)参照)締結により変更され、旧じん肺法に基づき作業転換した者につき、前記(a)の場合には平均賃金の九〇日分、同(b)の場合には平均賃金の五〇日分、同(c)の場合には平均賃金の四〇日分を支給することとした。

(2) 現実の作業転換等の状況は、昭和二七年ころ、二瀬鉱業所において、けい肺第二症度と決定された者が坑外作業に作業転換され、同第三症度と決定された者が休業したほか、北松鉱業所においても、同三三年ころまでに、けい肺第三症度と決定された坑内直接夫が坑外作業に、同第二症度と決定された坑内直接夫が粉じんが極めて少ない坑内作業(被告は、仕繰作業がこれにあたると考えていた。)に転換されたことがあった。

しかしながら、被告が作業転換を打診しても、これに応じない従業員が少なくなく、現実に作業転換されたのは、その必要性が認められるじん肺罹患者のうちの一部にすぎなかった。

被告は、作業転換は、当該従業員の同意がない限り、行うことはできなかったのであり、従業員が転換を拒否した以上、被告に義務の不履行はない旨主張する。なるほど、けい特法八条に基づき労働基準監督署が作業転換勧告をするのは労使双方の合意があるときに限るべきである(昭和三一年一二月二七日基発八八八号)とされるなど、労働者の意向が重視されていたことは認められるが、使用者としては、労働者が作業転換の必要性を認識できるよう、粉じん作業を継続することによる影響等を十分説明すべきであるところ、被告は、旧じん肺法に基づく管理三の決定を受けた者を、自覚症状がないために、作業転換事情聴取書に「健康」と記載していることからしても、そのような説明を十分に行わなかったと認められる。もっとも、作業転換に応じた者がいたことも認められるが、これらの者は、心臓機能に障害があって入院治療中の者や身体の疲労から現作業が困難であるとして自ら申し出た者であり、被告の説明が十分に行われたことの根拠とすることはできない。かえって、北松鉱業所で、坑外作業に転換されていた従業員(大浦民次郎)が、伊王島鉱業所で坑内作業に従事していたり、作業転換を打診されていた原告宮崎貞雄が、退職に際し、ゲート番として引き続き稼働するよう要請されていることからすれば、被告には、じん肺罹患者の健康管理として、作業転換等を適切に行う意思が欠如していたとさえいえる。

5  じん肺に関する教育を行うべき義務の履行について

(一) 本件各炭坑における保安及び衛生管理の機構とその活動

本件各鉱業所では、戦後、鉱山保安法に基づき、保安規程を作成し、保安委員会を設置するなどし、これらにより、保安衛生対策を行い、また、労働基準法及び労働安全衛生規則に基づき、衛生委員会を設けるなどして、健康診断、衛生教育を実施していた。

(1) 保安委員会は、労使双方から選出された委員により構成され、鉱業所毎に設けられ、各職場の保安衛生状況の立入検査を行い、その結果を基に、保安衛生に関する問題を検討するもので、毎月一回開催されていた。討議の結果は、各坑に伝達され、係員にも資料が配布されるなどしていた。しかし、同委員会は、災害防止に重点を置くもので、保安検査の対象には、じん肺対策に関するものは含まれず(但し、防爆対策と重複するものを除く。)、同委員会で、じん肺対策が検討されたことはなかった。

また、伊王島鉱業所では、係員と作業員が毎月一回、作業上及び保安上の問題点等を協議する保安懇談会が設けられ、その内容は、保安委員会に報告されていた。北松鉱業所では、各坑に安全委員会が設けられ、二瀬鉱業所では、各坑毎に保安自治会が設けられていた。これらの委員会においても、昭和三五年ころ、矢岳坑の安全委員会で、旧じん肺法が議題となったことはあったものの、主な目的は災害の防止であり、じん肺対策に関しては、ほとんど討議されなかった。

(2) 衛生委員会は、約三か月に一回開催され、右委員会が、定期健康診断やけい肺ないしじん肺健康診断の実施を担当していた。

(3) 各鉱業所には、昭和三〇年の「けい肺協定」に基づき「けい肺対策委員会」(後に「じん肺対策委員会」)が設けられており、(前記1(二)及び(四)参照)、防じんマスクの選定、じん肺罹患者の作業転換、その他じん肺対策については同委員会で協議されていた。しかしながら、じん肺に関する教育方法は協議の対象とならなかった。

なお、被告には、保安監督員補佐員制度があり(伊王島鉱業所では「保安鉱員」と呼ばれていた。)、労働組合の推薦で選出された右補佐員が、毎日坑内を巡視して、作業環境を調査しており、伊王島鉱業所の保安鉱員は、けい肺(じん肺)対策委員会の委員を兼任していた。

(二) 係員及び作業員に対する教育体制

(一)記載の各委員会等で協議された結果や、被告本社からの情報等は係員会議等により係員に伝達され、作業員には、主に係員により教育が行われていた。

(1) 係員会議は、各坑の各係において、主任係員が部下である係員を集めて行うもので週一回開催されていた。ここでは、法規の制定、改廃に関する教育が行われたほか、けい肺罹患者の発生の事実や、保安委員会等の討議結果が伝達されていた。また、保安担当者が労働基準監督署主催の衛生管理講習会等に出席した場合には、その内容を同会議で伝達していた。

被告は、また、作業員に対する現場教育の重要性等を印刷物により教育し、作業員に対する五分間教育の資料(じん肺症に関するものも含まれていた。)も配布していた。

(2) 作業員に対する教育としては、係員が、担当の作業員に対し、毎日の繰込み時に、繰込場(入坑口)において、伝達事項を伝え、保安衛生上の注意を与える繰込場教育(いわゆる「五分間教育」)や、坑内で危険行為等を現認したときに注意を与える機会教育が行われた。

その外、新規採用時の教育、資格取得時の教育も行われた。

(3) 更に、被告は、各鉱業所で発行し、配布していた「伊王島」、「北松」、「ふたせ」に、けい肺ないしじん肺やその健康診断に関する記事を掲載していたし、文書の掲示やスライドも教育手段として利用された。

昭和四三年に伊王島鉱業所で行われたCOマスクの取扱い等に関する集団教育のように、係員及び直接夫全員に一定期間をかけての講習が行われることもあった。

外部から、大学教授を招き、けい肺に関する講演会が行われたこともあった。

(三) じん肺に関する教育の実施状況

被告会社は、昭和二五年の炭則改正により、けい酸質区域が設けられる直前ころまでは、炭鉱においては、けい肺ないしじん肺は発生しないとの認識を有していたため、これらに関する教育を係員及び作業員に行うことはなかった。右改正や、同二六年に北松鉱業所でけい肺罹患者が発見されたことから、けい肺に関する教育が開始された(但し、伊王島鉱業所においては、作業員に対する教育は、同三一年以後に開始された。)が、炭じんも有害であるという教育を開始したのは、同三五年の旧じん肺法制定のころからであった。

このように、被告会社のじん肺に関する教育は、その開始時期が遅いほか、繰込場教育や機会教育によっては、じん肺罹患の深刻さ、予防の重要性等を作業員に十分理解させるには至らず、文書掲示や配布物による情報の提供も効果的ではなかった。被告の作業員教育においては、災害の防止等他の保安上の教育も同時に行われていたのであるから、その中で、作業員に対し、直ちに目に見える被害を生じさせないじん肺について理解させ、その対策の重要性を認識させるためには、集合教育等より有効な教育を行うべきであったところ、じん肺について、そのような集合教育が行われたとは認められないし、本件各鉱業所の保安週間、衛生週間行事においても、じん肺問題はほとんど取り上げられておらず、被告による効果的なじん肺教育が行われたと認めることはできない。

(四) 被告は、原告ら元従業員が所属していた労働組合の組合報やその上部団体発行の新聞によっても、原告ら元従業員は、疾病の実態、法規、「けい肺協定」等に関する情報を取得し、現実の組合活動にも関与していたのであるから、そのような従業員に対する教育として、被告の行っていた教育は十分なものであった旨主張する。

しかしながら、労働組合等から原告ら元従業員に右のような情報が与えられることに依拠して、被告会社の負う安全配慮義務が軽減されるとは一概にはいえないし、原告ら元従業員のじん肺に対する理解が不十分であるにとどまったことは先に認定したとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。

6  まとめ

(一)  以上で認定した事実によると、被告会社は、昭和一五年から炭鉱でけい肺ないしじん肺が発生するとの認識を有するに至った同二五年ころまでは、防爆対策等として一部で行っていた散水、通気の確保以外には、ほとんど本件安全配慮義務を履行していなかった。

そして、同二五年以降については、法規の定めるところに応じて、一応の対策は行われたけれども、散水、通気については、従来、防爆対策等として行ってきたものを特段改善することもなく(被告従業員であった証人らの各証言中、対策を強化したという部分は、その具体的内容が必ずしも明らかでなく、信用できない。)、これは、本件各炭坑におけるじん肺罹患者の増加という事実を受けても変化することがなかった。防じんマスクの支給やさく岩機の湿式化等その他の義務の履行についても、実施時期が遅滞したり、対策が十分徹底されなかったことにより、不十分なものにとどまったといわざるを得ない。

(二) なお、乙第九〇号証によると、昭和三一年九月の「労働衛生管理状況」中に、福岡鉱山保安監督部技官調査結果として、粉じん発生量は、一cc当り、さく孔中、一〇〇〇ないし五〇〇〇個、発破後〇ないし三〇〇個、積込み中一〇〇〇個であった旨の、同第一六三号証には、同三七年九月の掘進切羽粉じん調査の結果として、硬積みや施枠作業中(さく孔中や発破後については測定が行われていない。)の粉じん量が一cc当り、およそ一七〇ないし二三〇個であった旨等の記載があり、これによると、本件各炭坑の粉じん量は少なく、被告による安全配慮義務は履行されていたかのようであるが、甲第九一(第一九二号証と同一文書)、第一九三号証により認められる他の炭坑での粉じん測定の結果、先に認定した本件各炭坑の環境作業、作業内容、及び被告会社の発じん抑制、粉じん排除義務の履行状況に照らし、これらの値を直ちに信用することはできない。

本件各鉱業所が、労働衛生に関し労働大臣賞等を受章したことがあるとの事実(乙第一四七、第一五七号証)も、前記認定を左右するに足りるものではない。

7  原告ら元従業員のじん肺罹患等と被告会社の安全配慮義務違反との因果関係

原告ら元従業員は、全員、じん肺罹患者である(原告ら元従業員のじん肺罹患の事実については、当事者間に争いがない。)。前記一6で認定したじん肺に関する知見及び後記三で認定するじん肺の病理機序等によれば、右疾病は、多量の粉じんを吸入したことが原因となるものであるところ、原告ら元従業員が従事した本件各炭坑における掘進、採炭、仕繰、坑内運搬等の坑内作業、選炭作業の各作業は、適切な防じん措置を施さなければ、粉じんが発生し、これに曝露するというものであり(前記一4参照)、原告ら元従業員は、別紙二原告ら元従業員就労状況一覧表記載のとおり、最も短い者(原告今田智明)で五年九か月、長い者で約二五年にわたり、右各作業に従事している(争いのない事実等1(二))。そして、その間、被告会社は、前記2ないし5で認定したように、発じん抑制、粉じん曝露回避等に関する安全配慮義務を十分に履行せず、健康管理やじん肺教育に関する右義務の履行も懈怠していたのであるから、原告ら元従業員は、被告会社の安全配慮義務の不履行により発生した粉じんを吸入したことにより、じん肺に罹患し、また、その病状が重篤化したものということができる。

本件全証拠を検討しても、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、原告ら元従業員が有する被告会社以外での粉じん職歴と同人らのじん肺罹患又は増悪との関係は、後記四で別に検討する。)。

8  被告会社の有責性

(一) 前記一3ないし6で認定した昭和一四年以降のじん肺に関する知見及び原告ら元従業員が従事した各作業とその作業環境等(被告会社は、これらを的確に認識すべきであった。)に照らし、前記2ないし5で認定した安全配慮義務の不履行につき、被告会社には、少なくとも過失があったと認めることができる。

特に、被告会社が、炭鉱においてけい肺ないしじん肺が発生することを認識した昭和二五年以降においては、早急に、徹底したじん肺対策を講ずべきであったのであり、右時点以降の不履行については、重大ともいうべき過失があるということができる(原告らは、被告には、従業員のじん肺罹患という結果の発生に対する認容があり、故意責任があると主張するが、本件全証拠によっても、被告が右結果の発生を認容していたとまでは認めることができない。)。

(二) 被告は、被告が設立された昭和一四年五月から第二次世界大戦が終決した同二〇年八月までの間、及び右終戦時から同二二、二三年ころまでの間、全国民が人的、物的資源に窮乏を強いられたという社会情勢に照らし、一民間企業にすぎない被告には、安全配慮義務に沿う結果回避措置をとることは不可能であり、期待可能性がなかった旨主張する。

そこで、これを検討するに、乙第二二六号証の一ないし二五、第二六四、第二九三号証及び弁論の全趣旨によると、被告設立の前年である昭和一三年から同二〇年八月の終戦日まで国家総動員体制が続き、その体制下に石炭鉱業が軍需会社指定等種々の統制を受け、特に終戦に近づくにつれ、物的、人的資源に窮乏を強いられたこと、終戦直後からほぼ昭和二二、三年ころまで、わが国の全国民、全企業がかつてない終戦の混乱の中にあったうえ、基幹産業としての石炭鉱業においては、出炭割当等増産要請からの管理、規制が課せられたこと、被告も石炭鉱業を目的とする企業のひとつとして右の例にもれなかったことが認められ、これらの事実に基づいて考えると、その時期には、本件安全配慮義務の履行が著しく困難であったと推認されるけれども、このことをもって、労働者の生命、身体の保護を目的とする安全配慮義務の履行につき期待可能性がなかったとまではいうことはできない。

もっとも、被告に本件安全配慮義務の履行が著しく困難な時期があったとの事情は、原告ら元従業員の損害としての慰籍料算定に対しては、一定の影響を与えるものであるから、後に検討する損害としての慰謝料の算定の基礎となる一事情として考慮することとする。

三  争点3(原告ら元従業員の損害)について

1  原告ら元従業員は、被告会社の安全配慮義務の不履行によって、じん肺に罹患したのであるから、被告は右じん肺罹患によって、原告ら元従業員に生じた損害を賠償する義務を負う。そこで、以下、原告ら元従業員のじん肺罹患による損害の額を検討する。

2  じん肺の病像

(一) 病理機序及び特質

甲第一一一、第一一二、第一一五ないし第一一九、第一九七号証、第二〇一号証の二、三の一・二、四、第二〇四号証、第二一五、第二三九、第二四七、第二四八、第二五六、第二五八号証の各一、二、第二六二号証、乙第八一号証、第八二号証の一、第八四号証、第八五号証の一、第三二〇、第三二一号証、証人海老原勇、同乾修然、同馬場快彦及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(1) 「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体する疾病」(改正じん肺法二条一項一号)であるじん肺は、肺内に吸入された粉じんが、当初は、リンパ管を通じてリンパ腺に運ばれるが、量が多くなると、リンパ腺が閉鎖され、肺内に沈着し、肺組織が、これを長い年月をかけて、細胞内部に取り込む線維化と呼ばれる生体反応を続け、やがて肺胞腔内の線維が固い結節となり、最後には融合して手拳大の塊になり、肺胞壁を閉塞させ、気管支や血管の閉塞も招くというものであり、吸い込む粉じんの種類により、けい肺、金属じん肺、炭素じん肺、有機じん肺等に分類される。

じん肺による右病変は不可逆的であり、現在の医学では治療は不可能である。また、肺内に粉じんが存在する限り右反応が継続するところ、肺の線維増殖性変化は、粉じんの量に対応する進行であり、無限の進行ではないが、これに伴う気管支の炎症性変化、気腫性変化は線維増殖性変化の停止後も進行し続ける。そのため、粉じんを発散する職場を離れた後、長年月を経て初めてじん肺の所見が発現することも少なくない。進行の程度、速度は、吸入された粉じんの質・量等により多様であり、個人の資質も影響するが、進行する場合の予後は不良であり、線維増殖性変化、気腫性変化等により惹起される心肺機能障害は乏酸素血症を招き、チアノーゼやばち状指が現出し、その結果、全身萎縮を来し、あるいは心不全から肺性心(右心肥大等)を招き、また肺感染症を合併して死亡に至るとされている。

(2) じん肺の初期症状は、作業時に息切れを感ずる等の呼吸困難、咳や痰である。吸入した粉じんに遊離けい酸分が多い場合は、線維増殖性変化が強いが、炭じんは遊離けい酸分が多くないこと、エックス線写真上に現れにくい気腫性変化が強いことから、エックス線写真上の変化よりも、呼吸困難の程度が高いことがある。右気腫性変化及び慢性的な気管支炎症性変化も不可逆的である。

じん肺罹患者は、粉じんによりリンパ腺の閉塞により、肺炎等の呼吸器感染症に罹患しやすくなり、また治癒も困難である。

(3) じん肺症状の進行の経過及び程度に関する、肺野の線維化や結節化は、粉じんを吸入し続けている間か粉じん吸入を止めた直後の一定期間に限られるとの被告の主張は右に認定したところから失当であるが、他方、じん肺罹患者は皆、じん肺罹患に起因する死(いわゆる「じん肺死」)を免れないとの原告らの主張もまた、肺炎や肺結核に対する治療等医療の進歩によりじん肺罹患者の平均余命が延びていること、それに伴い、じん肺と関連性のない原因により死亡する者が増加していることに照らし、失当である。

但し、じん肺罹患者の肺内の線維増殖性変化の進行が停止したか否かの判断は、非常に長期の経過観察を経なければ困難であり、更に、他の病的変化は継続する可能性があるため、全体として、じん肺症状の固定を認定することは現在では困難である。

(4) また、被告は、じん肺による肺機能障害とこれに伴い臨床症状は必ずしも不可逆的ではなく、運動療法や呼吸訓練を継続することにより、肺機能が改善され、臨床症状が軽快すると主張する。

なるほど、甲第一一五号証、乙第八六、第八七号証、証人海老原勇、同馬場快彦、同乾修然によると、じん肺罹患者に対し、肺機能回復体操(換気体操)等の運動療法や呼吸訓練が行われ、これらの療法が、肺の予備能力の発揮や呼吸に関連する筋肉の能率の上昇により、じん肺罹患者の肺機能改善に肯定的な効果をもたらすことが認められるけれども、じん肺自体の病変がこれで治癒するものではないし、肺機能改善の効果も実証されるには至っていない。また、じん肺罹患者が運動療法等を試みるには、その症状の程度に応じ、慎重な配慮を要するものであり、これらを考慮すると、右療法による肺機能障害の改善を、一般的に期待することはできないということができる。

(二) 合併症

前記(一)掲記の各証拠によると、以下の事実が認められる。

(1) 改正じん肺法二条二項、同法施行規則一条は、じん肺と肺結核との密接な関連性から、肺結核及び結核性胸膜炎を、じん肺の基本的な病変である線維増殖性変化、気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を素地として高頻度に発症すると考えられる疾病として、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症及び続発性気胸を、それぞれ合併症として規定し、管理二又は管理三に認定されているじん肺罹患者が右合併症に罹患した場合は、療養を要するものとされる(管理四に認定されている患者に合併症罹患の認定がされることはない。)。

これらの合併症は、治癒又は症状が安定するという意味で可逆的である。

(2) この他、労災保険法上の取扱いとして、管理四相当のじん肺患者に合併した肺癌につき、じん肺との因果関係が認められている(昭和五三年一一月二日基発第六〇八号)。これは、けい酸又はけい酸塩粉じんの発癌性を肯定することはできず、その他の粉じんによるものも含め、じん肺と肺癌の因果関係は不明であるものの、けい肺罹患者の肺癌合併率が高く、かつじん肺罹患により肺癌の早期診断が困難となる、肺癌の内科的、外科的適応が狭められる、予後が悪くなる等の臨床医の指摘を考慮し、行政上の保護措置をとるために定められたものである。

(三) 免疫疾患性等

(1) 原告らは、じん肺罹患者を含む粉じん作業者には、体液性免疫の異常亢進(血沈の亢進、ガンマ・グロブリンの増加等)と細胞性免疫機能の低下(T細胞の減少)、更には非臓器特異性自己抗体(リュウマチ因子、抗核抗体等)の高率な出現、及び自己免疫疾患が高率にみられ、その原因には、粉じんのアジュバント効果、免疫担当細胞であるT細胞とB細胞の相互関係に与える粉じんの影響があるから、じん肺は全身的な自己免疫疾患と考えるべきであると主張するので、この点について検討する。

甲第二一一、第二一三、第二一四、第二一七号証、第二三三ないし第二三六、第二四〇、第二四六、第二五一ないし第二五三、第二五七、第二五八号証の各一、二、第二六一号証、証人海老原勇及び弁論の全趣旨によると、疾患の発生機序に自己免疫疾患的なメカニズムが関与していると考えられている進行性硬化症、慢性関節リュウマチ等膠原病とその近縁疾患、びまん性間質性肺炎等の罹患率が粉じん作業者に高いこと、粉じん作業者やじん肺罹患者にみられる腎障害、肝障害の発生要因は、粉じんのアジュバント効果(液性免疫の亢進)等自己免疫的な機序によるとの見解があること、それらは、粉じん曝露を原因とするマクロファージの破壊、マクロファージの破壊による細菌やウィルスに対する抗体産生の機構の機能障害、粉じん自体のB細胞に対する抑制作用、インターフェロン産生能の低下による免疫系及び非免疫系の防御機構の障害による免疫能の低下と深い関連があるとの見解があること、免疫学的な反応が発癌予防の重要な役割を果たしていることから、粉じん作業者において免疫異常を基盤に消化管を中心とする臓器の発癌性が高まる可能性があるとして、この点から、じん肺罹患者を含む粉じん作業者の発癌率の高さを指摘する見解があること、これらのことから、じん肺そのものをある種の免疫疾患として把握する見解のあること等が認められる。

しかしながら、右各疾病には、びまん性間質性肺炎のように発症原因自体不明なものがあるし、右各疾病と自己免疫疾患的なメカニズムの関連は、必ずしも明らかにされていない。また、前掲各証拠によると、右各疾病が粉じん曝露と関連を有していることは窺えるものの、じん肺に罹患していない粉じん作業者の右各疾病罹患率も高いことが認められる。そして、粉じん曝露者にみられる免疫異常は、じん肺性変化に続発するものではなく、各種の自己免疫疾患やその近縁疾患及び各種の悪性腫瘍のリスクは、じん肺所見の有無に関わりなく高まるとするものや、免疫病理学的疾患の発症は、じん肺の重症度とは関わりがなく、右疾病は、じん肺と並列的に発生する粉じん曝露に起因する疾患であるとの指摘がなされていること(甲第二一一、第二一七号証)、原告ら元従業員の中に、これら自己免疫疾患やその近縁疾患等に罹患している者があるとは認められないこと(原告らも、その旨の主張はしていない。)を併せ考慮すると、本件において、損害額の算定の基礎とすべきじん肺の病像の一内容として、原告らの主張する自己免疫疾患性を認めることはできないといわざるを得ない。

(2) 次に、原告らが、じん肺による病変を原因として、又は、それに伴い、二次的に生ずると主張する疾患について検討しておく。

① 甲第二〇五、第二〇九ないし第二一一号証、第二四九、第二五八号証の各一、二によると、慢性肺気腫等の慢性肺疾患に消化性潰瘍が高率で合併するとの調査結果があり、慢性閉塞性肺疾患による呼吸不全に際しての低酸素血症、高炭酸ガス血症等から、続発性多血症(二次的赤血球増多症、血液の粘稠度を増加させる続発性多血症は、狭心症や心筋梗塞の要因となる。)、消化性潰瘍、腎機能障害、不整脈、性腺機能や副腎皮質機能の低下という内分泌機能障害が高率に生ずるとの研究があるが、その合併の機序は解明されておらず、続発性多血症に関しては、免疫学的な異常から、むしろ貧血傾向が認められるとの研究結果もある。

また、主として肺性心に伴ううっ血性変化から、肝機能障害が起こる場合があり、抗結核剤によっても右障害が惹起されることが指摘されている。

更に、甲第二〇六、第二〇七号証によると、慢性肺疾患と虚血性心疾患の関係について研究がなされ、前者が後者のリスクファクターであることを指摘する見解があること、慢性肺疾患と中枢神経系疾患についてもその関係に留意すべきであるとする見解があることが認められる。

② 甲第二一二、第二一四、第二一七、第二六〇号証、証人馬場快彦によると、石綿作業者に消化管の悪性腫瘍のリスクが高く、炭坑夫じん肺罹患者には胃癌の発症率が高いとの指摘があり、慢性肺気腫や慢性気管支炎等慢性肺疾患の患者には、それに関連して消化性潰瘍あるいはそれを原因とする消化管出血の発症する危険性があるとの見解があるが、その発症原因、慢性肺疾患の程度と消化管出血の関係については定説がなく、また、これらの指摘は慢性肺疾患一般で論じられていることで、じん肺罹患者に限定した議論は十分にはなされていないことが認められる。

なお、甲第二六〇号証によると、昭和四九年八月になされた中央公害対策審議会答申(「公害健康被害保障法の実施に係る重要事項について」)が、同法による指定疾病である慢性気管支炎、慢性肺気腫の続発症として、消化性潰瘍を挙げていることが認められるが、同法が適用される大気汚染等による慢性気管支炎等とじん肺とでは、その病理機序が異なると解されるし、右答申においても、消化性潰瘍は典型的な続発症(指定疾病の進行過程において当該指定疾病を原疾患として、二次的に起こりうる疾病又は状態、及び指定疾病の治療又は検査に関連した疾病又は状態)とはされず、指定疾病の進行過程に起こりうる疾病若しくは状態又は指定疾病が誘因となりうる疾病若しくは状態の例とされており、稀な続発症例を収集し、運用上の指針とする行政実例集に収めることとされているものである。

③ 次に、癌との関連性については、甲第一一七、第二一四号証、第二五〇号証の一、二、第二六二号証によると、石綿肺と肺癌については、かねてから研究が行われていたが、けい肺と肺癌の関連性については、慎重な考慮を要するとされるものの、結論が得られていない。特に、炭坑夫のじん肺と肺癌については、罹患率の高さについても、一致した見解が得られていない。

肝臓癌など他臓器癌は、吸入粉じんに癌原物質が混入しているときには粉じん吸入との因果関係を認められるとの指摘がされているが、けい酸じん、炭じんについては発癌性は指摘されていない。肝臓等では、粉じんの滞留、粉じん巣の形成(線維化)が認められるが、これにより、癌が発生するとは認められていない(但し、じん肺における気道の線維化を含む慢性炎症が発癌の母地となると指摘する研究はある。)。

3  じん肺の健康管理区分決定手続

甲第一一二、第一九七号証、第二〇一号証の二、三の一、第二〇一号証の四、証人馬場快彦及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一) けい特法は、けい肺第一症度からけい肺第四症度までのけい肺の症状を決定する手続を規定した。

その後、旧じん肺法が、粉じん作業歴の調査、エックス線写真像、心肺機能検査の結果、結核精密検査の結果、胸部臨床検査の結果の組合せにより、胸部エックス線撮影検査の結果、じん肺病変が認められなかった者を管理一、エックス線検査でじん肺病変が認められるが、肺機能検査で著しい障害が認められなかった者を管理二又は管理三、エックス線検査で特に大きなじん肺病変が認められた者、及びエックス線検査でじん肺病変が認められ、かつ肺機能検査で著しい障害が認められたものを管理四とする「健康管理の区分」を決定する手続を定めた。

更に、同五二年七月一日、同法が改正され、エックス線写真像と肺機能障害の組合せにより、管理一から管理四までの「じん肺管理区分」を決定する手続が定められた(改正じん肺法三、四条)。同法は、合併症をじん肺の定義からはずしたが、基本的な診断基準に変化はなく、じん肺の所見があると認められる者は、管理二以上に区分され、管理四と決定された者及び管理二又は管理三で前記2(二)記載の合併症に罹患している者は、療養を要するものとされている。

なお、右管理区分におけるエックス線写真像の区分は、粒状影、不整形陰影、大陰影によって、第1型(両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第2型(両肺野に粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第3型(両肺野に粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第4型(じん肺による大陰影があると認められるもの)に分類されている。

(二) 旧じん肺法又は改正じん肺法による健康管理区分の決定は、一般医師がじん肺所見があると判断した者につき、エックス線写真及びじん肺健康診断結果証明書を基礎として、労働大臣が任命した地方じん肺審査医三名の合議による診断又は審査により都道府県労働基準局長が決定する(改正じん肺法一三条二項、一五条三項、三九条)。労働基準局長の右決定は、地方じん肺審査医の診断又は審査の結果に拘束される。

なお、じん肺健康診断において、胸部エックス線撮影検査と胸部臨床検査の結果、合併症に罹患しているか又はその疑いがあると診断された者に対しては、合併症に関する検査を行うこととなり、肺機能検査を実施しないか、実施してもそれを考慮しないで合併症として要療養とされ、管理区分はエックス線所見のみで決定される。

(三) 改正じん肺法の施行に伴う経過措置及び関係政令の整備に関する政令(昭和五三年政令第三三号)二条二項は、旧じん肺法の規定によりされた決定で、じん肺に罹っており、かつ健康管理の区分が管理四である旨の決定は、改正じん肺法の規定によりされた管理四の決定とみなすと定めているところ、前記(一)でみたように、旧じん肺法の管理区分決定基準と改正じん肺法のそれとは、結核罹患の有無に関する点を除き、異なるところはないから、結核に罹患していないじん肺罹患者で、旧じん肺法に基づき管理四の決定を受けた者は、改正じん肺法による管理区分の基準によっても、管理四に相当することになる。

4  原告らの主張する損害について

(一) 原告らは、本件各請求において、原告ら元従業員は、いずれもじん肺罹患により、身体的苦痛、精神的苦痛及び労働能力喪失とそれによる経済的困窮に加え、それらを原因とする生活破壊、家庭破壊、人生破壊等多岐にわたり、かつ、相互に関連する損害を被ったが、これらの損害は、その相互関連性及びじん肺が進行性の疾患であることから、逸失利益や個々の治療費、入院費等を合算した物質的損害に精神的損害(慰謝料)をあわせて、その損害額を算定することに馴染まず、包括的に捉えられなければならないと主張している。そして、右主張の立場から、原告ら元従業員のじん肺の病状、経済的困窮の一般的状況については、主張立証を行ったものの、個々の原告ら元従業員の逸失利益、じん肺罹患を原因として支出した治療費、入院費等の具体的な物質的損害については、これを行わないまま、原告ら元従業員の受けた前記包括的な損害に対する賠償の一部請求として、原告ら元従業員各人につき、一律三〇〇〇万円の損害賠償とその一割に相当する弁護士費用を請求している。

そこで、検討するに、公害や労働災害を原因とする大規模な損害賠償訴訟においては、いわゆる「包括一律請求」がなされる場合が見られ、そのような場合には、当該原告らに共通して生じている物質的損害、精神的損害を認定し、それに基づき、最低限の損害の賠償として、一律額による賠償が行われることがあり、この手法自体は、正当なものである。

ところで、債務不履行を原因とする損害賠償請求訴訟においては、損害は主要事実をなすものであるから、原告らは、損害費目とその額及びその損害算定の基礎となる事実を具体的に主張、立証する必要があると解すべきであり、包括一律請求がなされる場合の物質的損害についても、これは異なるところがないところ、先に述べたように、本件において、原告らは、具体的な物質的損害についてこれを行わなかった。

そうすると、原告らの請求については、これを具体的な物質的損害の賠償をも請求しているものとしてではなく、財産、生命、身体ないし人格等一切に生じた損害に起因する精神的損害に対する慰藉料を請求をしているものとして理解せざるを得ず、これが、原告らの意思の合理的解釈としても相当であるということができる。

(二) そこで、以下においては、本件各請求を、原告ら元従業員に生じた慰謝料及び弁護士費用を請求するものとして、賠償額を算定することとする(原告らの主張の中には、原告ら元従業員の親族(家族)に生じた精神的苦痛に対する賠償をも請求するように解されるものもなくはないが、原告ら元従業員が、自己を原告とする訴訟において、これを請求できないことは明らかであるし、遺族原告については、その固有の慰謝料を請求していると解される主張はなされていない。)。

なお、原告らは、本訴請求の他には、物質的損害、精神的損害等名目のいかんを問わず、現在及び将来共に、これを別訴提起等によって請求する意思がない旨陳述しており、これにより、原告らは、被告会社の本件安全配慮義務不履行に起因する全損害につき、本件において認容される以外の賠償を受けることができないということができるところ(もっとも、労災保険法等による保険給付を除く。)、このような事情も、慰藉料額算定における一事情として考慮するのが相当である。

他方、右事情を考慮することは、慰謝料としての賠償の中に、実質的には、逸失利益の賠償をある程度取り込むことになることを否定できない。そうすると、原告ら元従業員又は遺族原告が、逸失利益の賠償の性質を有する労災保険法等による保険給付を受けている場合には、その事実も、慰藉料額算定における一事情として考慮するのが相当である。

5  原告ら元従業員の健康被害等

(一) 本件においては、原告ら元従業員がじん肺に罹患したことによる健康被害が最も大きな損害であると解されるから、同人らの慰謝料額を算定するにあたり考慮すべき事項のうち、最も重要な事項は、同人らのじん肺の症状、程度(現在の症状等のみでなく、従来の経過を含み、それによる労働能力喪失の程度も加味されるべきである。)であり、その外に、前述した右疾病の特質、被告会社の安全配慮義務違反の態様及び前項記載の各事情が考慮されるべきである。

そこで、以下、原告ら元従業員のそれぞれについて、健康被害の程度を検討する。

なお、本件においては、この点に関する証拠として、海老原勇、馬場快彦、山下兼彦の各医師による意見書(甲第一七三、第二五九号証、乙第一五五号証の一)が提出されている。右各意見書は、原告ら元従業員の病状を評価する基準において、著しく異なるところはなく(特に、甲第一一二、第一七三号証、第二一五号証の一、乙第一五五号証の一、第二一〇号証、証人海老原勇、同乾修然、同馬場快彦によると、海老原と馬場については、旧じん肺法及び改正じん肺法に基づく各種の肺機能検査の基準値の相当性についての認識が一致しており(更に、これは、一般に指摘されているところと合致する。)、右両名の各意見書は、その認識の下に作成されていることが認められる。)、その内容においても、大きく異なるものではない。もっとも、馬場の意見書には、海老原、山下の各意見書に比べ、原告ら元従業員の肺機能障害の程度を軽度と評価するものがあるが、海老原が原告ら元従業員を直接診断しているのに対し、馬場にはこれを行う機会がなかったこと(甲第一一〇一号証の四、第一一〇二号証の五、第一一〇三号証の四、第一一〇四号証の七、第一一〇五号証の一四、第一一〇六、第一一〇七号証の各四、第一一一一号証の一六、第一一一二号証の四、第一一一三号証の六、第一一一四号証の八、第一一一六号証の四、第一一一七号証の一五、第一一一八号証の三、第一一一九号証の五、第一一二〇号証の四、第一一二一号証の五、第一一二三号証の七、第一二〇一号証の九、乙第一五五号証の一、証人馬場快彦)、海老原の意見が、後の原告ら元従業員の病状の進行の経過とより合致していること、山下についても、より新しい時点での直接の診断に基づく意見が述べられていること(甲第二五九号証)から、右各意見書間で相異のある場合には、海老原及び山下の意見書をより重視すべきであると考える。

また、被告は、肺機能検査のうち、一次試験は、被検者の態度により検査結果が左右されやすく、これに左右されない二次試験の結果を重視すべきであると主張するが、被検者の態度による検査結果の変動は、検査技師や医師により排除することが可能であるし(甲第二一五号証の一、証人海老原勇、同乾修然)、原告ら元従業員が、海老原や山下の診断を受けるにあたり、その検査結果が左右されるような非協力的な態度をとったとの事実を窺わせる事情も認められないから、被告の右主張は採用することができない。

一方、原告らは、静的状態での検査を前提とする現行の肺機能検査では、じん肺罹患者の肺機能障害の程度を正確に把握するには限界があり、右検査に基づく数値のみからじん肺による損害を算定することは相当でないと主張する。なるほど、現在の安静時の肺機能検査により、肺機能障害が認められないと判定されている者が、運動負荷がかかった場合にどのような肺機能の値を示すかは不明であり、労働能力喪失の程度を含む肺機能障害をより正確に把握するについては、旧じん肺法下で行われていたような運動負荷試験により運動指数を測定することが望ましいとはいえるが(証人馬場快彦)、本件において、原告ら元従業員に対する運動負荷試験は行われておらず、運動負荷時に原告ら元従業員の肺機能障害の程度が安静時より増悪すると推認することは本件全証拠によってもできないし、改正じん肺法は、運動負荷試験に替えてV25/HTを用いることを意図しており(甲第一一一号証)、右のような状況においては、各種肺機能検査に基づく総合的な判断をすることが、原告ら元従業員の病状の程度を最も正確に把握する方法であるということができる。

したがって、以下においては、じん肺健康診断等の結果、前記各意見書等に基づいて、検討することとする。

(二) 原告ら元従業員の健康被害等

甲第一四一、第一六九、第一七三、第二五九号証、第一一〇一号証の一、二、四ないし六、第一一〇二号証の一ないし三、五ないし七、第一一〇三号証の一、二、四ないし七、九ないし一一、第一一〇四号証の一ないし五、八ないし一二、第一一〇五号証の一ないし一二、一四ないし一九、第一一〇六号証の一、二、四、五、七、八、第一一〇七号証の一、二、四ないし六、第一一〇八号証の一ないし三、第一一一一号証の一、二、三ないし一四、一六ないし二〇、第一一一二号証の一、二、四ないし八、第一一一三号証の一ないし四、六ないし八、第一一一四号証の一ないし六、八、ないし一二、第一一一五号証の一ないし六、八、一〇、第一一一六号証の一、二、四ないし一〇、第一一一七号証の一ないし一三、一五、一六、一八ないし二二、第一一一八号証の一ないし五、第一一一九号証の一ないし三、五ないし一二、一三の一・二、一四ないし一七、第一一二〇号証の一、二、四ないし六、第一一二一号証の一ないし三、五ないし七、第一一二三号証の一ないし五、七ないし一一、一三、一四、第一二〇一号証の一ないし七、九、一〇、一一の二、一二、一三、一六ないし二二、第一三〇一号証の一ないし一六、一九、二〇、乙第一五五号証の一、検証(原告ら平成元年八月二三日付申出分)、原告今田智明本人、同宇都重徳本人、同大田利守雄本人、同大渡貞夫本人(第一、第二回)、同斧澤正徳本人(第二回)、同河野左郷本人、同佐藤郁雄本人(第一、第二回)、同田中豊本人、同原三作本人(第二回)、同廣瀬邇本人、同堀川武治本人、同本田勝雄本人、同本田基子本人、同溝田勝義本人、同宮崎定雄本人、同宮崎正司本人、同宮谷春松本人、同山口庫松本人、同山口惣次郎本人、元原告亡山元秋夫本人、原告享保衛本人(第一、二回)、同石川シズエ本人及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(1) 原告今田智明

同原告(昭和六年一〇月生)は、被告退職後、船員として稼働していたが、昭和五四、五年ころから、上り坂の歩行等において息苦しさを感ずるようになり、同五七年四月に管理三イの決定を受けた際には、エックス線写真像第2型、肺機能障害ありと診断された。

同原告の自覚症状は、右行政上の決定を受けたころは顕著ではなく、現在の症状としても、咳、痰等が著しいまでには至っていない。同六一年初め以降は、ほとんど稼働しておらず、身体に負担のかかる動作が不可能であるが、これには、同原告の有する腰部、視力の障害や筋無力症の影響が大きいと推認され、じん肺による肺機能障害の程度は、軽度である。

(2) 原告宇都重徳

同原告(昭和五年一二月生)は、被告退職後、昭和六二年三月まで、塗装作業、収じん作業、土木作業等に従事した。その間、同五六年七月には、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けた。現在の自覚症状として、上り坂等での息切れ、風邪に罹患しやすくなったことなどがあるが、肺機能障害の程度は軽度である。

(3) 原告大田利守雄

同原告(大正一〇年六月生)は、被告退職後、平成元年一二月まで、タンカー清掃作業、土木作業に従事していたが、昭和五五年ころから、労働や坂道の歩行で息苦しさを感ずるようになり、同六〇年一〇月及び平成三年二月にエックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けた。平成三年ころまでは、夏に自己所有の船で漁をすることもあったが、現在は、咳や息切れの程度が悪化し、同六年三月、エックス線写真像は第1型であるが、著しい肺機能障害があるとして管理四の決定を受けた。

(4) 原告大渡貞夫

同原告(大正一一年三月生)は、被告退職後、昭和四七年ころから同四八年四月ころまで、三菱重工の下請企業で稼働していたが、結核に罹患したため、その後は稼働せず、同五一年三月から約一〇か月は、肺結核のため入院していた。同五四、五年ころ、咳や痰がよく出て、坂道等で息切れがするようになり、同五六年には、肺の切除手術を受けた。同五七年一〇月に、エックス線写真像第1型で、肺結核に罹患しているとして管理二・要療養の決定を受けた(したがって、同四八年ころから罹患していた結核は、じん肺の合併症であったと推認される。)。その後、平成二年二月ころに肺結核が一旦治癒したが、同四年一〇月二二日から同五年七月九日まで、じん肺結核、結核性胸膜炎等により入院加療を受け、同年一〇月一二日から胸膜炎悪化のため、再度、入院加療中であり、現在は、肺結核の合併症により再び要療養の決定を受けている(但し、肺機能障害自体は軽度である。)。自覚症状としては、咳や痰、体力低下がある(なお、平成三年六月ころから生じているという手足の痺れは、糖尿病が原因であると推認され、じん肺に起因するものとは認められない。)。

(5) 原告斧澤正徳

同原告(大正一二年七月生)は、被告退職後、鉄筋工として稼働していたが、昭和五二年ころから、坂道、階段等を昇る際に困難を覚えるようになり、同五六年二月、エックス線写真像第4型、肺機能に著しい障害があるとして管理四の決定を受け、このころから稼働を中止した。同年三月には、長崎県から、「じん肺による呼吸器の機能の障害により社会での日常生活活動が著しく制限されるもの」として、身体障害者等級二種四級に、その後同一種四級に認定された。現在は、自覚症状として呼吸困難、咳、痰を訴え、ばち状指が認められる状態である。

なお、検証(原告ら平成五年二月一七日付申出分、被告申出分)の結果により認められる同原告の歩行状況は、いずれも、同原告の肺機能障害の程度に関する右認定を左右するに足りるものではない。

(6) 原告河野左郷

同原告(昭和九年五月生)は、被告退職後、建設関係労働者として稼働しており、昭和五五年ころから風邪が治癒しにくくなったと感じ初めたものの、同五六年にはじん肺所見なしとして管理一であったが、同六〇年一〇月には、肺機能障害はないが、エックス線写真像第1型であるとして管理二の決定を受けた。現在は、坂道等の歩行に困難を覚えると訴えてはいるものの、肺機能障害はほとんど認められない。

なお、検証(原告ら平成五年二月一七日付申出分、被告申出分)の結果により認められる同原告の歩行状況は、いずれも、同原告の肺機能障害の程度に関する右認定を左右するに足りるものではないことは、原告斧澤と同様である。

また、原告河野は、昭和六三年ころからは、ほとんど稼働していないが、これはじん肺を原因とするものではない。

(7) 原告佐藤郁雄

同原告(昭和一〇年三月生)は、被告在職中の昭和四〇年ころから、咳が出るようになり、同四二年には、高原病院でけい肺に罹患しているとの診断を受けた。その後、同五七年五月、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けたが、平成二年四月に定年退職するまで、鉄工や漁船員として稼働した。その後は、軽作業のアルバイトを行う程度で稼働しておらず、現在は、咳や痰、息切れを訴え、風邪をひいたときはその治療を受けているが、肺機能障害は軽度である。

(8) 原告田中豊

同原告(大正一三年六月生)は、被告退職後、塗装工として昭和五四年八月まで稼働し、その後は、年金生活を送っているが、同五五年ころから、痰が出たり息苦しさを感ずるようになり、同五六年五月、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けた。現在も、同様の自覚症状を訴えているが、肺機能障害の程度は極めて軽度である(平成元年八月に心筋梗塞で倒れており、胃潰瘍、脳梗塞の疾病も有し、体力の低下等にはこれらの疾病も影響していると推認される。)。

(9) 原告原三作

同原告(明治四三年九月生)は、被告で稼働中の昭和二七年、けい肺第一症度であると告げられており、被告退職後は、建設会社の現場監督等として稼働していた。その後、同四一年に体力的に困難を覚え、退職し、以後は定職にはついていない。同五二年一〇月ころからは呼吸困難を覚えるようになり、同五三年三月、エックス線写真像第3型であるとして管理四の決定を受け、その後、治療を継続しており、風邪に罹患して入院したことが三回ある。現在は、痰、息切れ等の自覚症状を訴え、チアノーゼやばち状指も認められる状態で、肺機能障害は高度である。

(10) 原告廣瀬邇

同原告(昭和二年一二月生)は、被告退職後、高島炭鉱の下請企業等で稼働していた。同原告は昭和四七年五月ころ、じん肺に罹患していることを健康診断の結果から認識したが、従前どおり稼働していた。同五八年に退職後、呼吸困難等を覚えるようになり、同六〇年八月、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の、平成二年一二月、エックス線写真像第2型、肺機能障害ありとして管理三イの決定をそれぞれ受けた。現在は、息切れ等を訴えている(もっとも、同原告の罹患している狭心症の影響も、否定できないと解される。)。

(11) 原告堀川武治

同原告(昭和五年二月生)は、被告退職後、池島炭鉱及び高島炭鉱で稼働していたが、昭和五一年、胃潰瘍で入院したのを契機に退職し、その後は、稼働していない。同五七年ころから咳が出始めたことから検査を受け、同六〇年一〇月、エックス線写真像第1型、肺機能障害なしで管理二の、同六二年一二月、エックス線写真像第2型、肺機能障害なしで管理三イの決定を受けた。現在は、呼吸困難、咳等の症状を訴えているが、肺機能障害自体はほとんど認められない。

(12) 原告本田勝雄

同原告(大正一二年二月生)は、被告退職後、塗装工等として稼働していたが、昭和五一年九月ころ、肺炎と心房瀕拍症で四か月余り入院した後は、同五五年ころまで、アルバイトで塗装等の仕事をしていた。同五七年二月、管理二の決定を受け、その後、心臓発作により二回の入院や自宅療養をしていたが、同五九年一〇月、再発性肺炎・じん肺症で約一か月入院し、同六〇年三月、エックス線写真像第3型、著しい肺機能障害ありとして管理四の決定を受けた。現在、呼吸困難、咳、痰を訴えており、肺機能障害の程度は高度である。

(13) 元原告亡本田昌幸

同元原告(大正九年九月生)は、被告在職中の昭和四二、三年ころから、息切れ等を感ずるようになっており、被告退職後、塗装工として稼働していたが、体力の低下から、同五四年一〇月以降は稼働しなくなり、同五七年五月、エックス線写真像第2型、著しい肺機能障害ありとして管理四の決定を受けた。その後も、咳や痰が出て、呼吸困難となり、体重が減少する状況が続き、同六三年一二月ころから平成元年一月ころまで入院治療を受け、同年八月一八日から再度、急性肺炎及びじん肺症のため入院し、点滴や酸素吸入を受けたが、同年九月一日、同各症を原因とする呼吸不全により死亡した。

(14) 原告溝田勝義

同原告(大正一三年三月生)は、被告退職後、三菱高島鉱業所で採炭作業に従事し、昭和五五年三月定年退職したが、このころから、咳や痰が出て、息切れがするようになり、同六〇年一〇月、肺機能障害はないがエックス線写真像第1型であるとして管理二の決定を、平成三年二月、肺機能障害はないがエックス線写真像第2型であるとして管理三イの決定を受けたが、その後、呼吸困難等が増強し、同五年七月には、エックス線写真像第2型、著しい肺機能障害があるとして管理四の決定を受けた。現在では、チアノーゼやばち状指がみられる状態にある。

(15) 原告宮崎貞雄

同原告(大正元年八月生)は、被告在職中の昭和三七年ころ、けい肺第二症度、同四二年ころ、けい肺第三症度との被告診療所医師の診断を受けており、咳、痰が出て体力が低下していたため、被告を定年退職した後は、稼働することがなく、同五一年五月には、管理四の決定を受け、現在、エックス線写真像第1型であるが、肺機能障害が相当程度あり、呼吸困難、咳、痰等を訴え、ばち状指が認められる状態で、通院加療を受けている。

(16) 原告宮崎正司

同原告(大正一三年七月生)は、被告退職後、鉄工建設や酸素の充填工として、昭和五七年七月まで稼働したが、その間、同五五年にじん肺に罹患しているとの診断を受け、同五七年四月、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けた。現在は、息切れや風邪に罹患しやすいと訴えているが、肺機能障害はほとんど認められない。

(17) 原告宮谷春松

同原告(昭和四年四月生)は、被告退職後、電気溶接工等として昭和五九年四月まで稼働していたが、同五六年ころ、息切れや体力の低下を感ずるようになり、医師からじん肺に罹患しているとの診断を受け、同六〇年一〇月、肺機能障害はないが、エックス線写真像第1型であるとして管理二の決定を受けた。その後、同六二年一〇月二〇日から同年一一月一一日まで自然気胸、平成二年一一月二〇日から同年一二月二七日までじん肺・続発性気胸により入院し、同二年一二月には、エックス線写真像第2型、続発性気胸の合併症ありとして管理三イ・要療養の決定を受けた。その後も、同三年八月一九日から同年九月二〇日まで、同年一一月四日から同四年一月七日まで、及び同年七月一六日から同年八月二五日まで、いずれも続発性気胸等により入院治療を受けた。気胸以外には、咳、痰、息切れを訴えている(なお、肺機能障害の程度自体は軽度である。)。

(18) 原告山口庫松

同原告(明治四四年二月生)は、被告を定年退職後、昭和五五年ころまで、機械組立修理に従事したり、造船所の下請業者で稼働していたが、同四五年ころから、咳や痰が出て、息切れを感ずるようになり、同六二年八月、エックス線写真像第1型、肺機能障害ありとして管理二の決定を受けた。現在も、同様の自覚症状を訴えており、相当程度の肺機能障害が認められる(なお、同原告には僧坊弁閉鎖不全症の疾病がある。)。

(19) 原告山口惣次郎

同原告(大正一五年一二月生)は、昭和三四年一一月に被告を退職後、同四三年から同四五年まで、被告の下請企業に就職して、伊王島炭鉱で稼働し、その後は同五六年ころまで、土木作業に従事するなどしていたが、その間の同五二年ころ、医師からじん肺に罹患しているとの診断を受け、同五六年五月、肺機能障害はないが、エックス線写真像第1型であるとして管理二の決定を受けた。現在、労作時の息切れや風邪に罹患しやすいことを訴えているが、肺機能障害は、軽度である(同六〇年ころからの心臓疾患は、じん肺との因果関係が認められない。)。

(20) 元原告亡山元秋夫

同元原告(昭和九年一二月生)は、被告退職後、同六〇年八月まで、配管作業補助やタンカーの廃油処理作業に従事していたが、同五五年ころ、息切れや咳、痰が生じるようになり、同年三月、エックス線写真像第3型、肺機能障害ありとして管理三ロの決定を受けた。その後、同五九年八月、エックス線写真像第4型であり、続発性気胸の合併症に罹患しているとして管理三ロ・要療養の、同六二年八月、エックス線写真像第4型、著しい肺機能障害があるとして管理四の各決定を受けた。これに前後して、同六〇年二月一三日から同年三月五日、同六一年一一月一日から同月二九日、気胸再発のため入院し、同六二年六月二五日から同年七月一七日まで、平成二年四月一六日から同年六月二五日まで、じん肺症、慢性肝炎及び肝腫瘍により、同三年三月二七日から同年四月三〇日まで、同年一一月一日から同月二二日まで肝硬変(本疾病には、平成元年ころから罹患していた。)等により、同四年二月一九日から同年三月三日まで肺炎等により、同年七月一日から同月二七日まで肝腫瘍により、それぞれ入院治療を受けた。その後、C型肝炎による肝硬変で肝不全となり、同六年二月二二日、死亡した。

なお、同人の罹患したC型肝炎と肝腫瘍との因果関係、肝炎と腫瘍の治療との因果関係は明らかではなく、前記2(三)で認定したじん肺の免疫疾患性に関する指摘やじん肺に伴い二次的に発生するとされる疾病に関する指摘を考慮しても、同人の肝炎ないし肝腫瘍とじん肺との間に因果関係を認めるのは、本件証拠からは著しく困難である。したがって、同人の死亡が、じん肺に起因するものと認めることはできない。

(21) 原告享保衛

同原告(昭和四年四月生)は、被告退職後、昭和四九年二月ころからは、製造所で木場作業に従事していた。同五二年二月から結核の治療を受けていたが、同五三年春ころから、咳・痰等が出るようになり、同年九月、医師からじん肺であるとの診断を受け、同年一二月五日、管理三ロの決定を受けた。同五五年から咳・痰等が悪化し、体力も低下して同五六年二月一六日から同年五月一一日まで入院したが、その間、同年四月二四日には、エックス線写真像第4型であるとして管理四の決定を受けた。右入院中、医師から稼働は不可能であるといわれたことから、同五六年五月一五日からは稼働していない。前記入院の後は通院治療していたが、胸水が溜まり、結核性胸膜炎の合併症を起こして同六三年一月二二日から同年七月まで入院した。平成元年ころ、上り坂等の歩行が著しく困難になるなど、呼吸困難が増大し、同二年一二月には、大阪府から呼吸機能障害四級の認定を受けた。その後、同五年五月二日から同年九月二二日まで、慢性呼吸不全、じん肺及びじん肺結核で入院し、現在は、咳、痰、労作性呼吸困難を訴え、通院治療や在宅酸素療法を行っている。同年一〇月に受けた診断では、呼吸機能の著しい拘束性・閉塞性障害及び低酸素血症のため就労不可能ということで呼吸障害等級一級に該当するとの意見が示されている。

(22) 亡石川清文

① 同人(大正二年二月生)は、昭和三二年ころから、咳が出て、風邪に罹患しやすくなり、同三七年七月に被告を退職して後は、呼吸困難のため稼働していなかった。同五〇年ころ、保健所の胸部検診を受け、再検査を要求されたが、これを受診せずにいたところ、同五一年五月末、旅行後に体調を崩し、同年六月四日、喘鳴、咳、喀痰を訴えて医師の診察を受け、じん肺症と診断され、翌五日、江迎病院に転院、呼吸困難、発熱等により入院、酸素吸入等の治療を受けた。しかし、呼吸困難、発熱が続発し、笛声音、ラッセル音が認められるようになり、同月一五日には、突然血を吐いて、血圧が低下、貧血症状が著明になり、全身が衰弱した。同月一七日には血便多量となり、意識混濁状態に陥り、下血が続いたため、このころ消化管出血と診断され、同月一九日午前三時ころから呼吸困難、下血等症状が悪化し、同月二〇日、消化管出血及び喀血による心不全により死亡した。

② 同人の治療にあたった医師は、エックス線写真において、全肺野に結節性陰影散布、右肺野全般に点状ないし斑状陰影散布が認められ、肺紋理が著明に増強し、胸水もたまっていたこと、呼吸異常があったこと等から、同人は明らかにじん肺に罹患しており(なお、肺性心は認められなかった。)、結核にも罹患していると判断し、同人の死亡は、じん肺有所見者が気道感染により、呼吸困難等の症状を起こし(喀血、血痰)、なんらかの原因により消化管出血(出血場所は不明)あるいは肺動脈破じょう等のいずれかにより死亡したものと考えられ、じん肺結核兼結核性肋膜炎にて喀血あるいは上部消化管出血による呼吸不全、心不全を起こしたものであると判断した。

しかし、労災保険審査手続において意見を述べた医師は、じん肺(エックス線写真像第2型)や結核への罹患は認められるものの、直接死因は消化管出血からの吐血であり、その原因がじん肺と関係があるかどうかは定めがたいとするものやこれを否定するものがあった。他方、消化管潰瘍や癌の可能性が否定できないが、その予後不良にじん肺症状が影響していると考えられるので、直接死因にじん肺も寄与しているとの意見や、慢性気管支炎や肺気腫及びじん肺に罹患している者は、出血等を起こすような重篤な消化性潰瘍あるいは広汎な消化管出血を発生しやすいのであり、同人の死亡はじん肺症及びこれと密接な因果関係のある消化管出血によるものであるとの意見も示された。

以上によると、同人は、同人の死亡時、管理三イに相当する程度のじん肺に罹患しており、合併症である結核に罹患していたと認められるから、同人のじん肺症の程度は、管理三イ・要療養の決定を受ける程度にあったとするのが相当である。しかしながら、その死亡原因である消化管出血については、これをじん肺と因果関係のあるものと認めるのは困難であり、したがって、同人の死亡がじん肺に起因するものと認めることはできない。

(三) 前記(二)で認定した原告ら元従業員の個々の病状等及び前掲各証拠によると、原告ら元従業員のほとんどは、その症状の程度に差はあるものの、咳、痰、呼吸困難等のじん肺の症状のために、外出することが容易ではなくなり、そのため、社会的な活動等を行うことが阻害され、日常生活においても、風邪等に罹患しないように注意を払うことを余儀なくされ、入浴も制限されるなど日常生活に制約を受けている。また、これらの制約から、旅行に出たり、趣味を持つことも困難であり、煙草等の嗜好品についても制約を受けたため、精神的に豊かな生活を送ることができず、多大の苦痛を被ったばかりか、自己の罹患した疾病が進行性であり、かつ、治癒することがないということや、自己を看護する家族の肉体的あるいは精神的負担が大きいこと等を痛感させられることによっても、その精神的苦痛は増大したものと認められる。

労働能力の低下又は喪失による経済的困窮については、原告ら元従業員の中には定年退職まで稼働していた者が少なくなく、それ以前に稼働を中止している者については、それがじん肺症による労働能力の低下又は喪失によるものと認められない者も少なくない。そして、じん肺症の増悪により、稼働中止に至ったと認められる者が右中止に至った時点の年令は、四〇歳代後半から五〇歳代前半であるが、労災保険給付の支給等により、亡石川清文を除いては、経済的困窮の程度が著しかったとか、長期間にわたったと認めるに足りる者は存しないと認められる。

(四) ところで、亡石川清文を除く原告ら元従業員が、旧じん肺法又は改正じん肺法に基づき、管理二ないし管理四の決定を受けていることは、争いのない事実等3及び前記(二)記載のとおりであるところ、前記3で認定したように、管理区分の決定は専門医によって慎重に行われること、肺機能検査の結果の判定についても、肺機能検査によって得られた数値を判定のための基準値に機械的にあてはめて判定することなく、エックス線写真像、既往歴及び過去の健康診断の結果、自覚症状及び臨床所見等を含めて総合的に判断されていることからすると、右管理区分は健康管理のための行政上の区分ではあるけれども、じん肺罹患者の健康被害の程度を客観的に示すものとして、もっとも信用性の高いものということができる。

したがって、原告ら元従業員の具体的な病状が、各人が受けている管理区分の決定に相当するものよりも、一貫して、著しく軽い又は重いことを証する事実が認められない限り、各原告ら元従業員は、その属する管理区分に相当する健康被害を受けているというべきである。なお、合併症の罹患の有無は、当該罹患者が、合併症罹患により入院治療を余儀なくされ、合併症に罹患してない場合よりも、種々の制約を受けるとの事実に照らし、健康被害の程度を大きくするものということができる。

これを、亡石川清文を除く各原告ら元従業員についてみるに、前記(二)で認定したところによると、管理二の決定を受けている者のうち、原告大渡貞夫は、肺結核に罹患していることから、他の者より健康被害の程度が大きく、他方、原告河野左郷、同宮崎正司は、管理区分の決定を受けて以来、現在まで、肺機能障害がほとんど認められない状態にあり、原告宇都重徳ら他の五名の管理二の決定を受けている者に比べ、健康被害の程度が軽いということができる。

原告今田智明、同廣瀬邇、同堀川武治、同宮谷春松は、管理三イの決定を受けているが、この内、原告宮谷春松は、続発性気胸に罹患しており、他の三名よりも健康被害の程度が大きく、同堀川武治は、肺機能障害がほとんど認められない状態にあり、その程度が軽いといえる。

原告大田利守雄外八名は、管理四の決定を受けているが、じん肺症により死亡したと認められる元原告亡本田昌幸については、死亡という最大の被害が生じている(元原告山元秋夫の死亡は、これをじん肺症による死亡と認めることができないことは、先に認定したとおりである。)。なお、原告原三作と同宮崎貞雄は、旧じん肺法に基づき、管理四の決定を受けた者であるが、同原告らは、右決定時、結核に罹患していなかったから、前記3(三)で認定したところに照らし、改正じん肺法に基づく管理四の決定を受けた者と異なるところがないといえる。

以上に対し、管理区分の決定を受けていない亡石川清文については、管理区分の決定基準、他の患者との対比等により、その病状が、どの管理区分に相当するものかを認定することにより、健康被害の程度を決定するのが相当であるところ、先に認定したように、同人のじん肺症の程度は、管理三イに相当するものであり、かつ、結核に罹患していたのであるから、その健康被害の程度は、原告宮谷春松と同程度と認められる(同人の死亡がじん肺症によるものと認められないことは、先に認定したとおりである。)。

(五)(1) 原告ら元従業員の本件口頭弁論終結時又は死亡の時の健康被害の程度は以上で認定したとおりであるが、前記2で認定したように、じん肺は進行性の疾病であり、原告ら元従業員が粉じん作業から離脱して相当期間経過した現時点においても、管理二又は管理三の決定を受けている者の病状が、管理四に相当する程度に進行する可能性を否定することはできない(もっとも、相当長期間、病状の進行が認められない場合に、今後の進行の可能性が低いと解することは、不当とはいえない。)。

そうすると、管理二又は管理三の決定を受けている者については、更に進行する可能性のある疾病であることも、慰謝料算定の重要な要素と解するべきである。

(2) 被告は、管理二又は管理三の者で、合併症に罹患していない者、すなわち、療養を要するとの行政の決定を受けていない者は、じん肺有所見者ではあるけれども、療養を要する「じん肺患者」ではなく、健康被害が生じていたとしても、その程度は極めて軽微であり、特に、右管理二の者については、労災保険制度上も、胸部障害ありとは認められておらず、じん肺法上、粉じん作業に従事することも可能であり、したがって、日常生活に関しても、労働能力の点に関しても、何ら賠償すべき健康被害が生じているとはいえないと主張する。

そこで、労災保険法の規定をみるに、同法及び同法施行規則は、労働能力喪失による損失填補としての保険給付を行う障害等級につき、胸腹部臓器の障害に関しては、その障害の程度により、重度の障害のために、生命維持に必要な身のまわり処理の動作について、常に他人の介護を要するものを第一級、生命維持に必要な身のまわり処理の動作は可能であるが、高度の胸部臓器の障害のために終身にわたりおよそ労務に就くことができないものを第三級、胸部臓器の障害のため、終身にわたりきわめて軽易な労務のほか服することができないもの(独力では一般平均人の四分の一程度の労働能力した残されていない場合)を第五級、中等度の胸部臓器の障害のために、労働能力が一般平均人以下に明らかに低下しているもの(独力では一般平均人の二分の一程度の労働能力しか残されていない場合)を第七級、一般的労働能力は残存しているが、胸部臓器の障害のため社会通念上、その就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるものを第九級、一般的労働能力は残存しているが、胸部臓器の機能の障害の存在が明確であって労働に支障をきたすものを第一一級に、それぞれ該当すると規定している。そして、じん肺による障害については、基本的には、右と同様であるが、その疾病のもつ特異性、複雑性等に鑑み、特に次のように取り扱うこととしている。すなわち、心肺機能に中等度(換気指数が四〇以上六〇未満)の障害があり、エックス線写真の像型が第4型のものは第七級、心肺機能に軽度(換気指数が六〇以上八〇未満)の障害があり、エックス線写真の像型が第4型のものが第九級、心肺機能に軽微な障害(換気指数が八〇以上)があり、エックス線写真の像型が第4型のもの、心肺機能に軽度の障害があり、エックス線写真の像型が第3型のもの、及び心肺機能に中等度又は軽度の障害があり、エックス線写真の像型が第2型のものが、いずれも第一一級に該当する(乙第三二八号証)。そして、エックス線写真の像が第1型で、じん肺による著しい肺機能障害がないと認められる管理二は、以上のいずれにも該当しない(被告は、公害健康被害の補償等に関する法律における障害等の基準にも言及しているが、右基準は、対象となっている基本的疾病、その病理機序が異なるので、これによることは相当ではない。)。

確かに、管理二又は管理三の者で、合併症に罹患していない者の健康被害の程度は、管理四の決定を受けている者や要療養の決定を受けている者に比して軽度であり、これは先に認定説示したところである。しかしながら、前記(二)で認定したところによると、これらの者についても健康被害が全くないということはできず、このことは、肺機能障害がほとんど認められない原告河野、同堀川、同宮崎貞雄についても、異なるところはない。そして、労働能力に影響を及ぼさない程度の健康被害であっても、それに基づく慰謝料が発生することは否定できないということができる。

(3) 他方、被告は、高齢者や管理四を含む療養中のじん肺患者の就労率が高い例や日常生活に支障がない者がいる例(乙第八三号証の一、二)のあることを根拠に、じん肺罹患により就労が不可能になるものではなく、日常生活においても平均寿命の点においてもじん肺に罹患していない高齢者と異なるところはないと主張し、乙第八〇号証、第八二号証の一(甲第一九七号証)、第八七号証には、これに沿う記述がある。

なるほど、要療養の場合の療養とは、休業を伴うものだけではなく、就業をしながらの治療が可能であるものも含むが、それは当該罹患者の病状等に基づき、医師の判断を待たなければならないし、また、就業を選択するにしても、個々の罹患者の機能に見合った適切な仕事を見付けるのは困難である。本件において、要療養又は管理四の決定を受けた者はいずれも、休業を伴う療養を行っており、その個々の病状は前記認定のとおりであるから、これらの原告ら元従業員がじん肺に罹患していない高齢者と同様の身体状況であるということはできず、被告の右主張は失当である。

6  次に、原告ら元従業員のうち、要療養又は管理四の決定を受けた者(原告大田利守雄、同大渡貞夫、同斧澤正徳、同原三作、同本田勝雄、元原告亡本田昌幸、原告溝田勝義、同宮崎貞雄、同宮谷春松、元原告亡山元秋夫、原告享保衛)は、当該原告ら元従業員又はその相続人(遺族原告)が、それぞれの管理区分に相当する、労災保険法及び厚生年金法上の保険給付を受領しているものと推認される(但し、その給付額については、これを明らかにし得る証拠がない。)。

7  なお、甲第二二八号証によると、被告は、昭和五八年七月五日、被告の石山労働組合連合会との間で、①じん肺管理区分が管理四に該当し療養中の者が退職する場合は、餞別金として一六一五万円を支給する、②管理三ないし二に該当する者が退職し、又は解雇されたときは、管理三ロに該当する者に二〇〇万円、管理三イに該当する者に一〇〇万円、管理二に該当する者に一〇万円を支給する、③管理三ないし二に該当する者が合併症に罹り療養中に退職するときは、管理三ロに該当する者に一三三〇万円、管理三イに該当する者に八七四万円、管理二に該当する者に七八二万円を支給する旨のじん肺協定を締結したことが認められる。

また、甲第二二七号証の一、二によると、被告は、昭和六二年六月二八日、被告の鳥形・津久見労働組合連合会との間で、①じん肺管理区分が管理四に該当し療養中の者が退職する場合は、餞別金として一九五五万円を支給する、②管理三ないし二に該当する者が退職し、又は解雇されたときは、管理三ロに該当する者には二四四万円、管理三イに該当する者には一二三万円、管理二に該当する者には一四万円を支給する、③管理三ないし二に該当する者が合併症にかかり療養中に退職するときは、管理三ロに該当する者には一六一〇万円、管理三イに該当する者には一〇五八万円、管理二に該当する者には九四六万円を支給する旨のじん肺協定を締結し、右支給金員は、じん肺罹患に伴う問題を解決し、以後、労使間で紛争を起こさないという趣旨で支給されるものであったことが認められる(なお、右各協定の有効期限は二年とされており、期限後は、改訂更新されていると思われる。)。

さらに、甲第二二九号証の一ないし三によると、平成元年九月一四日、労災職業病専門委員会は、金属鉱業会社や同労組連合会に対し、①障害等級一級の者が即時退職した場合、扶養者がなければ一八七五万円の特別餞別金を支払う、②じん肺患者に対する特別餞別金は、管理四に対し二一二五万円(障害等級二等級相当。扶養家族がない場合は一五九四万円。以下同旨。)、管理三ロに対し四〇〇万円(三〇〇万円)、③管理三ロで合併症に罹患し、治療開始後三年を経過して退職する場合の特別餞別金は、一七五〇万円(障害等級三級相当。一三一三万円)、管理三イか管理二で合併症に罹患し、治療開始後三年を経過して退職する場合の特別餞別金は、一一五〇万円を支給するのが相当であるとの答申を行ったこと、これらの支給金は、民事損害賠償金と相殺される趣旨のものであることが認められ、同号証の四によると、平成元年六月、大手金属会社が、組合員が業務上死亡したときは、その遺族または本人の死亡当時、その収入によって生計を維持していた者に対し、遺族補償の他に、二五〇〇万円を支払う旨の協定を締結したことが、同号証の五によると、金属大手の同和鉱業株式会社は、①管理四の決定を受け、療養休業中の者が療養開始後三年を経過して退職する場合は、特別餞別金二一二五万円を支給する。②定年その他の事由で退職する管理二の者には四〇万円、管理三イの者には二〇〇万円、管理三ロの者には四〇〇万円を支給する、③管理二又は管理三で合併症に罹り、療養中の者が療養開始後三年を経過して退職するときは、管理二又は管理三イの者に対しては一一五〇万円、管理三ロの者に対しては一七五〇万円を支給する旨定めていることが、それぞれ認められる。

8 以上検討した全ての事情、すなわち、原告ら元従業員の労働能力の喪失又は低下を含む健康被害の程度(前記5参照)、じん肺の特質(前記2参照)、被告会社の安全配慮義務不履行の態様(前記二参照)、原告らが本件以外には損害の賠償を請求しないということ(前記4参照)、原告ら元従業員又はその相続人(遺族原告)の各種保険給付受領の事実(前記6参照)、被告や他の企業が労働組合と締結している協定によりじん肺罹患者に支給される金員の額(前記7参照)、及び前記二8で認定した被告会社に本件安全配慮義務の履行が困難な時期があったとの事実(原告ら元従業員の稼働時期に照らし、この事実を、慰謝料を減額する事情として考慮すべきは、原告原三作、亡石川清文に対してのみである。)を総合考慮して判断すれば、慰謝料額は、じん肺に罹患したことが原因となって死亡した元原告亡本田昌幸については二二〇〇万円、管理四の原告大田利守雄、同斧澤正徳、同原三作、同本田勝雄、同溝田勝義、同宮崎貞雄、元原告亡山元秋夫、原告享保衛については、各二〇〇〇万円、管理三イのうち、合併症の罹患のある原告宮谷春松は一六〇〇万円、同じく合併症の罹患があるが、管理区分の決定を受けていないため、各種保険給付が受領できず、生前の経済的困窮の著しかった亡石川清文については一八〇〇万円、原告今田智明及び同廣瀬邇については、各一四〇〇万円、肺機能障害がほとんど認められない原告堀川武治については、一二〇〇万円、管理二のうち、合併症に罹患している原告大渡貞夫については、一四〇〇万円、原告宇都重徳、同佐藤郁雄、同田中豊、同山口庫松、同山口惣次郎については、各一〇〇〇万円、肺機能障害がほとんど認められない原告河野左郷、同宮崎正司については、各九〇〇万円とするのが相当である。

9  弁護士費用

原告らが、原告らの訴訟代理人らに、本件訴訟の遂行を委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額及び被告の応訴態度等諸般の事情を考慮すると、原告らが原告ら訴訟代理人らに支払うべき弁護士費用のうち、先に認容した慰謝料額のおよそ一割に相当する金額が被告の債務不履行と相当因果関係にある損害であると認めるのが相当である。

10  相続

元原告亡本田昌幸、同山元秋夫、亡石川清文に関する相続関係は、争いのない事実等1(三)記載のとおりであるから、右三名の遺族原告は、それぞれ、別紙一原告別認容金額一覧表の「認容金額」合計欄記載の金額及びそれに対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からの年五分の割合による遅延損害金の請求権を相続したと認められる。

四  争点4(他粉じん職歴による責任の限定)について

1(一)  被告は、安全配慮義務の不履行に基づき使用者が負担する損害賠償債務は、可分債務であるから、一人の労働者に対し、複数の使用者が右賠償債務を負う場合には、原則として、民法四二七条により、全使用者が平等の割合で賠償義務を負担するにとどまり、仮に、可分債務でないとしても、当該労働者側で、全損害が、特定の使用者の行為によってのみ生じたことを主張立証しない限り、特定の使用者に、全損害の賠償責任を負わせることは公平に反するのであり、被告の責任は、原告ら元従業員の粉じん職歴に占める被告における就労期間の割合に限定されるべきである旨主張するので、以下、これについて検討する。

(二)  まず、労働者が、順次、複数の使用者に雇用されて稼働した場合には、各使用者は、それぞれ別個の安全配慮義務を負っているところ、右使用者のうちの複数の者の安全配慮義務不履行により労働者が損害を被った場合において、当該労働者が取得するのは、各使用者に対する別々の債権であり、全使用者に対する一個の債権ではないというべきである。したがって、右主張のうち、一個の可分債務であることを前提とする主張は失当である。

(三)  次に、民法七一九条一項後段は、「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加へタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」にも、共同行為者は各自連帯してその賠償の責に任ずる旨規定しているが、この規定は、甲、乙等特定の複数の行為者(以下、甲、乙の二者で表示する。)につきそれぞれ因果関係以外の点では独立の不法行為の要件が具備されている場合において、被害者に生じた損害が甲、乙いずれかの行為によって発生したことは明らかであるが、甲、乙、の各行為が原因として競合していると考えられるため、現実に発生した損害の一部又は全部がそのいずれによってもたらされたかを特定することができないとき(以下、右のような特定複数の行為者又は行為の関係を「択一的損害惹起の関係」という。)には、甲、乙の各行為がそれだけで損害をもたらし得るような危険性を有し、現実に発生した損害の原因となった可能性があることを要件として、発生した損害と甲、乙の各行為との因果関係の存在を推定し、甲又は乙の側で自己の行為と発生した損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証しない限り、その責任の一部又は全部を免れることができないことを規定したものと解するのが相当である。けだし、甲の行為と乙の行為との間に択一的損害惹起の関係があるときには、被害者としては、甲又は乙の違法行為がない限り、乙又は甲の違法行為と損害との間に因果関係が存在することを立証することができるにも関わらず、甲又は乙の違法行為が存在するとされた途端に、乙又は甲の違法行為と損害との間に因果関係が存在することを立証することが困難となり、明らかに被害者の保護にもとることとなるので、被害者を救済するため、甲、乙の各行為に前示の要件が充足されている限り、甲、乙の各行為と損害との間に因果関係が存在することを法律上推定するものとしたのが同規定の趣旨というべきだからである。

したがって、甲又は乙としては、自己の行為が右のような危険性を有し、損害の原因となった可能性がある限り、乙又は甲の違法行為の存在を主張、立証しただけではその責任を免れることはできず、責任を免れるためには更に自己の行為と損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することを要するものというべきである。

そして、いずれも債権者の生命又は身体を保護することを目的とする債務を負う複数の債務者の債務不履行が、因果関係以外の点で債務不履行に基づく損害賠償責任の要件を充足する場合において、択一的損害惹起の関係があるときには、債権者を救済する必要性のあることは前示の不法行為の場合と異ならないから、債務不履行に基づく損害賠償責任についても、民法七一九条一項後段の規定を類推適用するのが相当である。したがって、時を異にし、複数の粉じん作業使用者のもとにおいて、粉じん吸入のおそれのある複数の職場で労働に従事した結果じん肺に罹患した労働者が、右複数の使用者の一部又は全部に対して、その雇用契約に基づく安全配慮義務違反を理由に損害賠償を求める場合には、右複数の職場のうちいずれの職場における粉じん吸入によっても、現に罹患したじん肺になり得ることが認められる限り、同項後段を類推適用し、労働者のじん肺罹患と右複数の使用者の右各義務違反の債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべきであり、じん肺に罹患した労働者としては、そのじん肺罹患と一部の使用者の同債務不履行のみとの間の因果関係を立証することができなくても、複数の使用者の各債務不履行が現に罹患したじん肺をもたらし得るような危険性を有し、右じん肺の原因となった可能性があることを主張、立証することができれば、各使用者らの債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべく、使用者において、自らの債務不履行と労働者のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することができない限り、使用者はその責任の一部又は全部を免れることができないというべきである(最高裁判所平成四年(オ)第一八七九号同六年三月二二日第三小法廷判決、東京高等裁判所平成二年(ネ)第一一一三号・第一二九九号同四年七月一七日判決、東京地方裁判所昭和五七年(ワ)第四八八九号平成二年三月二七日判決参照)。

以上に基づいて、本件をみるに、前記二7において認定説示したように、被告会社の債務不履行と原告ら元従業員のじん肺罹患との間には因果関係が認められる(すなわち、被告会社の債務不履行は、原告ら元従業員が現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有するものであることが認められる。)ところ、別紙四他粉じん職歴一覧表一記載の原告ら元従業員の有する他の使用者の下での粉じん職歴(同人らが、同表記載の職歴を有すること自体は、当事者間に争いがない。)が、当該粉じん職歴の内容、就労期間の長さ、当該使用者の安全配慮義務違反の態様等からして、当該原告ら元従業員が現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有するものと認められる場合でも、被告が、原告ら元従業員のじん肺罹患による損害を賠償する責任の一部又は全部を免れるには、被告において、自らの債務不履行と当該原告ら元従業員のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することを要することになる。

2  そこで、別紙四他粉じん職歴一覧表一記載の原告ら元従業員一六名につき、個々の粉じん職歴が当該原告ら元従業員の現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有しているか否か、及びそれが認められる場合に、被告により因果関係の一部又は全部を否定する主張、立証が行われたかを検討することとする。

(一) 原告ら元従業員が従事した他の粉じん作業の内容等

甲第一二〇、第一三八号証、第一一〇二号証の六、七、第一一〇三号証の七、九、第一一〇七号証の二、五、六、第一一〇八号証の三、第一一一一号証の一七、第一一一二号証の二、六ないし八、第一一一三号証の二、四、七、八、第一一一四号証の九、第一一一五号証の二、八、第一一一六号証の二、六、七、九、第一一一七号証の一六、一八、第一一一八号証の五、第一一一九号証の七、九、第一一二一号証の六、七、第一一二三号証の二、八、第一三〇一号証の一九、乙第二〇号証の三、第二〇三号証の二、四、第二〇九号証の一、四、原告宇都重徳本人、同大田利守雄本人、同佐藤郁雄本人(第一、第二回)、同廣瀬邇本人、同堀川武治本人、同本田勝雄本人、元原告亡本田昌幸本人、原告溝田勝義本人、同宮崎貞雄本人、同宮崎正司本人、同宮谷春松本人、同山口惣次郎本人、元原告亡山元秋夫本人及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(1) 原告宇都重徳は、昭和四九年から約四年間、香焼工業において、船のデッキから船底にホースを降ろし、それに取り付けたファンによって、船底での溶接作業等により生じた煙やじん埃を吸い上げる収じん作業に従事した。右作業は、デッキ上で行うことがほとんどであり、防じんマスクを着用していたが、船底に降りることはほとんどなかった。

(2)① 原告大田利守雄は、昭和一三年から同一六年まで、三菱兵器製作所において、部品の鉄を焼いたり、ハンマーで打つという鍛冶場作業に、同四七年から約一年間、白浜組において、溶接作業の補助や雑役作業に、それぞれ従事した。鍛冶場作業においては、多少は粉じんが発生し、溶接の補助をするときは、マスクを着用していた。

② 原告佐藤郁雄は、昭和四八年四月から同五四年五月まで、中一運輸工業において、仮付溶接作業、玉掛作業(配材作業)及びガスで鉄板を焼く作業に従事した。仮付溶接作業に際しては、サンダー等も使用するため、防じんマスクを着用していた(なお、同原告は、中一運輸工業に入社後間もなくの健康診断により、医師からじん肺罹患を告げられた。)。

③ 原告宮谷春松は、同四八年四月から同年八月までは共立工建において、同四九年四月から同年八月までは先田組において、同年一二月から同五〇年五月までは赤岩工業において、いずれも電気溶接作業に従事した。右作業は、鉄板にサンダーをかける作業を伴ったため、防じんマスクを着用していた。また、同原告は、同五二年四月から同五九年四月までは小柳配管において、船内配管作業を行ったが、これは、船底において、配管の仮付溶接を行うもので、グラインダーを使用することもあり、防じんマスクを着用していた。

(3)① 原告田中豊は、昭和四八年四月から同五〇年八月までは秀洋塗装において、同五一年五月から同五四年八月までは高谷工業において、それぞれ船体塗装に従事し、主にペンキを塗る作業を、時折、錆落とし作業を行った。

② 原告本田勝雄は、昭和四八年から同四九年三月までは秀洋塗装において、同年四月から同五〇年春までは中外工業において、それぞれ船舶塗装作業に従事した。刷毛塗作業を担当したため粉じんはなく、マスクをしていたのは、シンナー吸引を回避するためであった。サンダーによる錆落とし作業を行ったのは、右作業の担当者が休んだときのみであった。

③ 元原告亡本田昌幸は、昭和四八年四月から同四九年四月までは秀洋塗装において、同月から同五〇年四月までは中外工業において、同五二年五月から同五四年一〇月までは長田工業において、それぞれ船舶塗装作業に従事した。主に船体外部の塗装を行っていたが、紙やすりやグラインダーによる錆落とし作業も行ったため、防じんマスク及び防じん眼鏡を着用していた。

(4) 原告宮崎貞雄は、昭和一一年から約三年間、機関手助手の仕事に従事した。右作業では、石炭を釜に入れる際に、粉じんが舞うことはあった(そのため、口や鼻をタオルで覆っていた。)が、長くて半日であった乗務において石炭を扱う時間はそう長くはなく、また、機関室には、外気が流れこんでいた。

(5) 原告山口惣次郎は、昭和一九年一月から同二〇年三月までの間及び同二三年一一月から同二四年八月までの間、川南造船所において、船体防水作業に従事した。右作業では、粉じんが発生することもあったが、防じんマスクは着用していなかった。

(6)① 原告原三作は、昭和八年から約一年六か月間、崎戸炭鉱において、掘進作業に従事した。

② 原告廣瀬邇は、昭和四七年五月から同五八年四月まで、高島炭鉱の下請企業であった新砿建設(但し、同五〇年五月から同五一年四月までは、大牟田所在の三井建設に出向していた。)において、掘進の保安係員として稼働した。同原告は、上席係員であったため、常時、坑内での作業に従事してはいなかったが、坑内で作業を行う場合は、掘進作業員らと掘進現場に赴き、ガス測定を行い、右作業員らがさく孔を行っている間に、入気側で発破のためのマイトを準備し、結線、発破を行った。その後の積込作業や枠入作業は、右作業員らが行い、同原告は、これに参加しなかった。新砿建設では、同五一年から湿式さく岩機が使用され始めたが、徹底せず、発破前後の散水も、同年五月以降に開始された。他方、三井建設では、完全に湿式さく岩機を使用し、発破後及び積込作業時には散水を行っていた。なお、同原告は、新砿建設に採用される直前に、同社の元請企業に、じん肺罹患(管理二相当)及び腰部障害を理由として、採用を拒否されていた。新砿建設では、管理三の決定を受けた者には、作業転換を受けた者もあったが、じん肺教育は十分行われていなかった。

③ 原告堀川武治は、昭和一九年に二か月間、大島炭鉱において支柱夫として稼働し、同二二年一月から同二七年一〇月までは住友・潜竜炭鉱において掘進作業に、同二八年八月から同二九年四月までは日興炭鉱において掘進作業に、同四七年九月から同四八年三月までは池島炭鉱において仕繰作業に、同四八年五月から同五一年二月までは高島炭鉱において仕繰作業に、それぞれ従事した。右仕繰作業は、前進払が行われている箇所付近の肩風道で行っていたが、さく岩機は使用しておらず、また、下盤に水の多い箇所であった。

④ 原告溝田勝義は、昭和二五年一〇月から同二七年まで約二年間は神林炭鉱において、同二七年から同二八年まで約一年間は三菱鯰田炭鉱において、同二八年から同二九年の一年六か月間は松島炭鉱において、同四七年七月から同五四年三月までは三菱・高島炭鉱において、いずれも採炭作業に従事した。右いずれの炭鉱においても、じん肺教育は行われなかった。

⑤ 原告宮崎正司は、昭和一八年一月から同年三月まで、高島炭鉱において、戦時中の奉仕作業として採炭及び掘進における積込作業や充填作業に従事した。

⑥ 元原告亡山元秋夫は、昭和二六年八月から同三二年四月までは志免炭鉱において掘進作業(防じんマスクは着用していなかった。)に、同三三年一〇月から同三四年九月までは隧道(トンネル)工事に従事した。右工事においては、三か月は乾式さく岩機を使用した岩石掘進を行い(この時は、「ブタマスク」を着用していた。)その後、ディーゼル車両の運転を担当した。

⑦ 亡石川清文は、昭一五年から同一七年まで炭鉱に勤務していた。

(二) 以上の事実に基づいて判断するに、前記各作業のうち、原告宇都重徳が従事した収じん作業、同大田利守雄が従事した鍛冶作業および溶接補助作業、同佐藤郁雄が従事した溶接作業及び玉掛作業等、同田中豊、同本田勝雄及び元原告亡本田昌幸が従事した塗装作業、原告宮崎貞雄が従事した機関手助手、同山口惣次郎が従事した船体防水作業は、いずれも、その作業内容、作業実態、就労期間等に照らし、当該原告ら元従業員が現に罹患しているじん肺を発症させ又は増悪させ得る危険性を有するものと認めることはできない。同様に、原告原三作が従事した炭鉱での堀進作業、同宮崎正司及び亡石川清文が従事した炭鉱での作業についても、右各作業が、本件と同様の炭鉱労務であることからすると、右各作業に伴う、粉じんの発生及びその吸入の可能性を否定することは困難であるけれども、特に就労期間に照らすと、右各作業が、当該原告ら元従業員の現に罹患しているじん肺を発症させ又は増悪させ得る危険性を有するものとまでは認めることはできない。

これに対し、原告宮谷春松の従事した溶接作業、同廣瀬邇、同堀川武治、同溝田勝義及び元原告亡山元秋夫の従事した炭鉱での各種作業(元原告亡山元秋夫については、隧道工事も含む。)については、その作業内容、就労期間等に照らし、右各原告ら元従業員が現に罹患しているじん肺の発症要因あるいは増悪要因となり得る危険性を有した可能性が高いと推認される(殊に、元原告亡山元秋夫本人は、被告での稼働を開始して約三年後の昭和四〇年ころから、既に、息切れを覚えることがあった旨供述している。)。

しかしながら、右各作業における粉じんの程度、各作業場での防じん対策の有無あるいは程度は、これを明らかにする証拠がなく、また、右各原告ら元従業員に、前記各粉じん作業に従事したことにより、固有の損害が発生したと認めるに足りる証拠も存しない。そうすると、右各原告ら元従業員についても、被告の立証は、その損害の一部又は全部が被告の安全配慮義務不履行と因果関係がないことを明らかにするには至っていないといわざるを得ない。

(三)  したがって、いずれの原告ら元従業員に対しても、他の粉じん職場での稼働歴を有することを理由として、被告の賠償責任を限定することはできない。

五  争点5(消滅時効及び除斥期間等)について

1  契約上の基本的な債務の不履行に基づく損害賠償債務は、本来の債務と同一性を有するから、その消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時から進行するものと解される(最高裁昭和三三年(オ)第五九九号同三五年一一月一日第三小法廷判決・民集一四巻一三号二七八一頁参照)。これに対し、安全配慮義務は、特定の法律関係の付随義務として一方が相手方に対して負う信義則上の義務であって、この付随義務の不履行による損害賠償請求権は、付随義務を履行しなかった結果により積極的に生じた損害についての賠償請求権であり、付随義務履行請求権の変形物ないし代替物であるとはいえないから、安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務は、安全配慮義務と同一性を有するものではない(最高裁平成元年(オ)第一六六六号同六年二月二二日第三小法廷判決参照)。

そうすると、雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償債務が、安全配慮義務と同一性を有することを前提として、右損害賠償請求権の消滅時効は被用者である原告ら元従業員が退職した時から進行するという被告の主張は前提を欠き失当である。

2  また、被告は、原告ら元従業員が最初にじん肺有所見診断を受けた日の翌日又は改正じん肺法等に基づく最初の行政上の決定を受けた日の翌日から同人らの権利行使は可能であったから、右のいずれか早い日から消滅時効が進行する(時効期間は五年又は一〇年)と主張するので、この点について検討する。

(一) 雇用契約の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され(最高裁昭和四八年(オ)第三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、本件においては、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。

しかし、このことから、じん肺に罹患した患者の病状が進行し、より重い行政上の決定を受けた場合においても、重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が、最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。すなわち、先に認定したじん肺の病像、その健康管理区分の決定手続(前記三2及び3)、原告ら元従業員の被告を含む粉じん職場での稼働状況(争いのない事実等1(二)、前記四2)と原告ら元従業員が受けた行政上の決定の推移(争いのない事実等3、前記三5(二))等の事実関係によれば、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって、しかも、その病状が管理二又は管理三に相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば、最も重い管理四に相当する症状まで進行した者もあり、また、進行する場合であっても、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてからより重い決定を受けるまでに経過した期間にもそれぞれ相当の差があり、その進行の有無、程度、速度も、患者によって多様であることが明らかである。そうすると、例えば、管理二、管理三、管理四と順次行政上の決定を受けた場合には、事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの、このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば、その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することができないのであって、管理二の行政上の決定を受けた時点で、管理三又は管理四に相当する病状に基づく各損害の賠償を求めることはもとより不可能である。以上のようなじん肺の病変の特質にかんがみると、管理二、管理三、管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ず、したがって、重い決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、最初の軽い行政上の決定を受けた時点で、その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは、じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない。これを要するに、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けた時から進行するものと解するのが相当である(最高裁平成元年(オ)第一六六七号同六年二月二二日第三小法廷判決参照)。

(二) ところで、亡石川清文は、その死亡に至るまで、改正じん肺法等に基づく行政上の決定を受けたことがなく、じん肺に罹患した事実を認め難かったものであるが、このような罹患者についても、じん肺症状の重症度に基づく損害を確定し得る場合には、これに相当する損害について損害賠償の請求をすることが可能であるから、その時点から消滅時効が進行するというべきであるところ、右罹患者が死亡した場合、遅くとも右死亡時には、右罹患者がじん肺罹患により被った損害も確定するのであり、右時点を消滅時効の起算点と解するのが相当である。

(三) 以上、述べたところから、本件原告ら元従業員につき消滅時効の成否を検討するに、亡石川清文を除く原告ら元従業員が、改正じん肺法等に基づくじん肺所見がある旨の最終の行政上の決定を受けた時期は、それぞれ、別紙三管理区分行政決定経過一覧表記載のとおりであり(争いのない事実等3参照)、右原告ら元従業員が本件各訴えを提起した昭和六〇年一二月二六日までに一〇年が経過していないことは明らかである。そして、亡石川清文が死亡した昭和五一年六月二〇日(争いのない事実等1(三)(3)参照)から、同人の遺族原告である原告石川シズエ外二名が本件訴えを提起した昭和六一年六月一八日までに一〇年が経過していないこともまた明らかである。

したがって、本件原告らに関しては、いずれも、消滅時効の成立は認めることができない。

(四) 被告は、管理区分によって損害額に差が設けられ、かつじん肺の病変の特質から、管理二、管理三及び管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害が質的に異なるのであれば、時効の進行についてもそれぞれの行政上の決定時からそれぞれの管理区分に相当する損害額の時効が進行すると解すべきであり、昭和四二年四月一四日に管理三の認定を受けてから本件提訴時までに一〇年が経過している原告宮崎貞雄については、管理四に相当する病状に基づく損害額と管理三に相当する病状に基づく損害額の差額については消滅時効が成立していないとしても、管理三に相当する病状に基づく損害自体については時効が成立していると主張する。

しかしながら、前記(一)で述べた各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害が質的に異なると解すべき趣旨からすると、後に受けた重い行政上の決定に相当する病状に基づく損害のうち、先に受けた決定に相当する病状に基づく損害と金額的に重なる部分につき、それを先に受けた決定に相当する病状に基づく損害であるとして彼此区別することは相当ではなく、被告の右主張は採用することができない。

3  次に、被告は、原告原三作、同山口惣次郎、亡石川清文の遺族原告らに対し、民法七二四条後段の除斥期間の経過を主張する。

しかしながら、消滅時効の起算点について、同条を類推適用することなく、債務不履行に関する民法一六六条一項によることは、前記2(一)で説示したとおりであり、また、退職時から除斥期間が進行するとすると、じん肺の前記特質からは、法律上権利行使が不可能な間に除斥期間が経過してしまうという結果を招くことにもなり、法律上は権利行使可能な債権について定めた同法七二四条後段の趣旨にも合致しない。

したがって、被告の右主張は相当でなく採用することができない。

六  争点6(過失相殺)について

1  被告は、使用者が雇用契約の付随的義務としての安全配慮義務を負っている場合でも、労働者は、自己の安全を守るための基本的な注意義務を免れるものではないから、使用者の安全配慮義務不履行により生じた損害に関し、労働者にも過失があると認められる場合には、損害賠償額の算定において、右過失を考慮すべきであると主張するところ、右主張は、一般論としては正当ということができる。そこで、被告の主張する個々の過失相殺事由につき、原告ら元従業員の過失の有無及び過失相殺の程度について検討する。

2  防じんマスク不着用について

原告ら元従業員が被告の貸与した防じんマスクを着用せずに作業を行っていたことがあったのは、前記二3(二)で認定したとおりであるが、原告ら元従業員は、被告が原告ら元従業員に対するじん肺の病理や防じんマスクによるじん肺罹患の防止効果の教育を怠ったため、防じんマスク着用の必要性を十分認識することができなかったのであるし、また、被告が作業による発じんを防止するために適切な措置をとらなかったこと、及びより適切な防じんマスクの貸与を怠ったことにより、防じんマスクを常時着用することが困難な状況にあったのであるから(前記二参照)、これらに起因する防じんマスクの不着用を、原告ら元従業員の過失であるということはできない。

被告は、防じんマスクが貸与されている以上、その必要性について教育を受けなくとも、必要性は認識できた旨主張するけれども、先に認定した被告の安全配慮義務不履行により生じた粉じんの多い作業環境、原告ら従業員の従事していた作業内容、貸与されていた防じんマスクの性能等に照らし、十分な教育を受けず、粉じん吸入の危険性に対する認識が薄いままに、防じんマスクの着用を要求し、その不着用を過失相殺の対象とすることは相当でないということができる。

3  喫煙について

甲第一一五号証、乙第二一六、第二一七号証、証人海老原勇、同乾修然、同馬場快彦及び弁論の全趣旨によると、たばこの煙は、著しい絨毛毒であり、喫煙によって、吸入された粉じんを排出する機能を有する気管支粘膜の絨毛上皮細胞の絨毛運動が阻害されるので、長年にわたって喫煙することは粉じん吸入を左右する因子のひとつとなりうること、じん肺有所見率と喫煙率の関連を窺わせる研究結果も存すること、慢性気管支炎、肺気腫等の慢性閉塞性肺疾患において、喫煙はリスクファクターであり、咳・痰等の自覚症状や肺機能障害の悪化防止のため禁煙が求められることが認められる。しかし、このような指摘がなされるに至ったのは、昭和五〇年代後半であり、原告ら元従業員が被告会社の炭鉱における就労を終えた後のことであるから、原告ら元従業員が、右就労当時から、前記認定のような喫煙の影響を認識することは困難であったと推認され、仮に、右当時からその認識が医学的に可能であったとしても、前記二5で認定したように、被告炭鉱での就労中、じん肺に関する教育を十分に受けることなく、したがって、じん肺の病理やその危険性を十分に認識することのできなかった原告ら元従業員に対し、喫煙のじん肺に対する影響を認識することを求めることはできないということができる。

また、原告ら元従業員が、自己のじん肺罹患を認識した後に、喫煙を継続していること(原告ら元従業員本人の各供述によると、じん肺罹患を認識した後も喫煙を継続している者がいることが認められる。)については、じん肺罹患者に対して、禁煙指導がなされていること(証人馬場快彦等)等からすると、じん肺罹患者は、じん肺に対する喫煙の悪影響を認識し得たともいい得るが、このことから直ちに、じん肺患者がその事実を認識しながら、禁煙をしなかったことをもって、右疾病の増悪を防止すべき義務を怠ったと解するのは相当でないし、本件においては、喫煙により、原告ら元従業員のじん肺増悪が促進されたと認めるに足りる証拠もない。

よって、原告ら元従業員の喫煙も、これを過失相殺の対象とすることはできない。

4  作業転換拒否について

前記二4(二)で認定したように、原告宮崎貞雄は、被告からの作業転換の勧告に応じなかったのであるが、これは、被告がじん肺に関する教育を十分行わず、作業転換の勧告に際しても、その必要性を十分説明しなかったため(前記二4(二)、5参照)、粉じん職場からの作業転換の必要性を認識し得なかったこと等の事情によるのであり、同原告が作業転換に応じなかったことをもって、過失相殺の対象とすることはできない。

5  以上によれば、個々の過失相殺事由に関する被告の主張は、いずれも失当である。

七  争点7(損益相殺)について

被告は、労災保険法に基づき、原告ら元従業員又は遺族原告が、本件口頭弁論終結時までに支給を受けた休業補償給付、傷病補償年金、遺族補償給付及び将来受領するであろう右各給付金を原告ら元従業員の損害額から損益相殺として控除すべきであると主張する。

労災保険法に基づく保険給付の原因となる事由が使用者の行為によって惹起され、使用者が右行為によって生じた損害につき損害賠償責任を負うべき場合において、政府が被害者に対し労災保険法に基づく保険給付をしたときは、被害者が使用者に対し取得した損害賠償請求権は、右保険給付と同一の事由(労働基準法八四条二項、労災保険法附則六四条)については損害の填補がなされたものとして、その給付の価値の限度において減縮するものと解されるところ(最高裁同五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)、右にいう保険給付と損害賠償とが「同一の事由」の関係にあるとは、保険給付の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解するのが相当であって、単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。そして、前示の同一の事由の関係にあることを肯定することができるのは、民事上の損害賠償の対象となる損害のうち、労災保険法による休業補償給付、傷病補償年金、遺族補償年金が対象とする損害と同性質である財産的(物質的)損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)のみであって、財産的損害のうちの積極損害及び精神的損害(慰謝料)は右の保険給付が対象とする損害とは同性質とはいえないものということができる(最高裁昭和五八年(オ)第一二八号同六二年七月一〇日第二小法廷判決民集四一巻五号一二〇二頁参照)。

本件において原告らが賠償を請求する損害は、前記三4で説示したとおり、精神的損害(慰謝料)であると解されるから、原告ら元従業員又は遺族原告が既に受領した又は将来受領する前記労災保険給付を右損害から控除することは許されない。

もっとも、原告ら元従業員又は遺族原告が労災保険給付を含む各種の保険給付を受けていることを慰謝料算定の一事情として考慮することまでが許されないものではなく、殊に、本件においては、原告らが請求する慰謝料中に、逸失利益の賠償がある程度取り込まれることから、保険給付がなされていることを慰謝料算定の根拠として考慮すべきであり、これを考慮して、本件損害額を算定したことは、前記三8で説示したとおりである。

八  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴各請求は、別紙一原告別認容金額一覧表の「認容金額」合計欄記載の各金員及び右各金額に対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却する。

なお、当裁判所は、右認容金額のうち、右同表「仮執行認容額」欄記載の限度において、仮執行宣言を付すものであるが、本件訴訟と同様、使用者の安全配慮義務不履行が原因でじん肺に罹患したとして損害賠償を請求する訴訟には、和解により早期に解決に至っているものがあり、また、本件被告の経営する炭鉱で稼働し、じん肺に罹患した者が、被告に対し、損害賠償を請求した訴訟の最高裁判決が被告に安全配慮義務不履行による賠償責任がある旨判示しているとの事情の下では、じん肺罹患者の早期救済の観点から、仮執行免脱宣言を付すことは著しく相当でないというべきであり、よって、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官大島明 裁判官倉地真寿美は、転官のため署名、押印することができない。裁判長裁判官江口寛志)

別紙一

原告別認容金額一覧表

原告番号

原告

認容金額(円)

遅延損害金起算日

仮執行認容額

慰謝料

弁護士費用

合計

今田智明

一四〇〇万

一四〇万

一五四〇万

昭和六一年一一月五日

一二六〇万

宇都重徳

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

大田利守雄

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

大渡貞夫

一四〇〇万

一四〇万

一五四〇万

右同

一二六〇万

斧澤正徳

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

河野左郷

九〇〇万

九〇万

九九〇万

右同

八一〇万

佐藤郁雄

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

田中豊

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

一一

原三作

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

一二

廣瀬邇

一四〇〇万

一四〇万

一五四〇万

右同

一二六〇万

一三

堀川武治

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

右同

一〇八〇万

一四

本田勝雄

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

一五

1

本田基子

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

右同

一〇〇〇万

一五

2

岩崎寛子

二七五万

二七万

五〇〇〇

三〇二万

五〇〇〇

右同

二五〇万

一五

3

本田省三

二七五万

二七万

五〇〇〇

三〇二万

五〇〇〇

右同

二五〇万

一五

4

本田裕二

二七五万

二七万

五〇〇〇

三〇二万

五〇〇〇

右同

二五〇万

一五

5

本田洋一

二七五万

二七万

五〇〇〇

三〇二万

五〇〇〇

右同

二五〇万

一六

溝田勝義

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

一七

宮崎貞雄

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

一八

宮崎正司

九〇〇万

九〇万

九九〇万

右同

八一〇万

一九

宮谷春松

一六〇〇万

一六〇万

一七六〇万

右同

一四四〇万

二〇

山口庫松

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

二一

山口惣次郎

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

二三

1

山元夕エ子

一〇〇〇万

一〇〇万

一一〇〇万

右同

九〇〇万

二三

2

山元陽一郎

二五〇万

二五万

二七五万

右同

二二五万

二三

3

山元紀子

二五〇万

二五万

二七五万

右同

二二五万

二三

4

秦美奈子

二五〇万

二五万

二七五万

右同

二二五万

二三

5

山元裕恵

二五〇万

二五万

二七五万

右同

二二五万

二四

享保衛

二〇〇〇万

二〇〇万

二二〇〇万

右同

一八〇〇万

二五

1

石川シズエ

六〇〇万

六〇万

六六〇万

昭和六一年一一月二一日

五四〇万

二五

2

鴨川勝子

三〇〇万

三〇万

三三〇万

右同

二七〇万

二五

3

橋川まり子

三〇〇万

三〇万

三三〇万

右同

二七〇万

別紙二

原告ら元従業員就労状況一覧表

原告番号

原告ら元従業員

就労炭鉱

就労期間(昭和)

就労作業

今田智明

伊王島鉱業所

三三・五―三三・一二

採炭

三四・一―三九・二

掘進

四〇・三―四〇・八

[坑外軽作業]

四〇・八―四二・四

機械修理(坑内)

四二・四―四七・三

火薬管理(坑内)

宇都重徳

伊王島鉱業所

二七・九―三三・二

仕繰

三三・四―四七・三

採炭

大田利守雄

伊王島鉱業所

二二・六―二五・三

[坑外製材]

二五・三―三三・二

車道大工

三三・二―三七・一二

仕繰

三七・一二―四七・三

採炭

大渡貞夫

伊王島鉱業所

二二・五―四四

選炭(坑外)

四四―四七・三

検炭(坑外)

斧澤正徳

伊王島鉱業所

二七・六―三三・四

仕繰

三三・五―三五・二

掘進

三五・三―四五・一

採炭

河野左郷

伊王島鉱業所

二七・六―三四・八

試錐

三四・九―四〇・六

採炭

四〇・七―四一・七

坑内修繕方

四一・八―四七・三

[坑外作業]

佐藤郁雄

伊王島鉱業所

三〇・九―三二・七

掘進

三三・七―三四・七

[坑外作業]

三四・八―四七・三

仕繰

田中豊

伊王島鉱業所

二八・一〇―四七・三

仕繰・掘進

一一

原三作

北松鉱業所池野鉱

一五・九―一八・一一

掘進

北松鉱業所神田鉱

二一・五―三五・六

掘進

北松鉱業所御橋鉱

三五・七―三七・四

掘進

一二

廣瀬邇

伊王島鉱業所

二四・八―二五・一

採炭

二五・二―二六・一一

運搬

二六・一二―四六・六

採炭

四六・七―四七・三

保安係員

一三

堀川武治

伊王島鉱業所

三〇・九―四一・三

掘進

四二・二―四七・三

掘進・仕繰

一四

本田勝雄

伊王島鉱業所

二三・一―四七・三

採炭

一五

本田昌幸

伊王島鉱業所

二三・七―四七・三

採炭

一六

溝田勝義

伊王島鉱業所

三〇・九―四七・三

採炭

一七

宮崎貞雄

伊王島鉱業所

二四・一―四二・八

掘進・仕繰・採炭

一八

宮崎正司

伊王島鉱業所

二三・三―二四・三

坑外夫

(ボイラーマン)

二四・四―三一・九

掘進

三一・九―四七・三

採炭

一九

宮谷春松

伊王島鉱業所

二三・二―二六・六

掘進

二七・六―三三・一二

仕繰

三四・一―三五・二

掘進

三五・三―四二・三

採炭

四二・四―四七・三

仕繰

二〇

山口庫松

伊王島鉱業所

二七・九―四一・二

採炭

二一

山口惣次郎

伊王島鉱業所

二七・四―三三・四

仕繰

三三・五―三四・一

掘進

三四・二―三四・一一

仕繰

四三・五―四七・九

(星野鉱業)

二三

山元秋夫

伊王島鉱業所

三四・三―三六・四

(間組)

三六・四―四七・三

掘進

二四

享保衛

二瀬鉱業所

高雄二坑

二二・三―三六・九

採炭・掘進

伊王島鉱業所

三六・一〇―四七・三

採炭・掘進

二五

石川清文

北松鉱業所

小佐々坑

一八・四―三六・九

採炭・掘進

北松鉱業所矢岳鉱

三六・九―三七・八

採炭

別紙三 管理区分行政決定経過一覧表〈省略〉

別紙四、五 他粉じん職歴一覧表一、二〈省略〉

別紙六 過失相殺割合一覧表〈省略〉

別紙七 労働災害保険給付個人別受給額計算表〈省略〉

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